ノイズ―― 音楽/貨幣/雑音 (始まりの本)

4.07
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レビュー : 6
制作 : 陣野 俊史[解説]  金塚 貞文 
ntさん 音楽・美術・映画   読み終わった 

 この本のタイトル「ノイズ」は、ノイズ・ミュージックのノイズを指しているわけではない。
 原題Bruitsは英訳すればNoiseだから正しいのだが、どうも私たちが「ノイズ」という語からイメージするものとは異なっている。どうやら著者アタリは、この本の中で実に様々な意味でBruitsを使っている。単に耳障りな「雑音」という意味から、音楽をも含めた「音」全般、あるいは通信理論における、メッセージを疎外する不要な情報要素といった意味まで。
 この点、どうも惑わされてしまった。おまけに、ジャック・アタリの文章は論理の筋道がわかりにくいことが多く、訳文もちょっと生硬ですらすら読みがたい。・・・けれども、それでいて、この本を読んだことは素晴らしい経験であり、大いに考えさせられると共に、私の読書ノートを何ページもメモで埋めてしまったのだ。
 著者は理工系出身の経済学者で、政治にも手を染めている有名人らしいが、歴史や他文化に関する知識の蓄積は凄まじい。音楽は全然専門ではないはずなのに、この本では彼の、素人とは全く思えない音楽知識の豊富さ、理解の適切さに驚愕させられた。しかも、音楽の専門家には無いような視座を展開してくれる。
 この本は、「社会現象としての音楽」をめぐる社会論的な著作である。

 古代社会における音楽については、「供犠/殺人/暴力」に随伴するもの、あるいはそれを代理表象するもの、として考察されている。何となくバタイユっぽいが、私にはちょっと疑問だった。古代社会における音楽の役割はそれだけではなかったろうから。
 さて時代はくだって、中世の吟遊詩人の頃は、(教会音楽を除いて)民衆的な音楽とは下卑た猥雑なものであり、社会に害するものと見なされていたらしい。貴族に召し抱えられても、ほとんど奴隷に近いような待遇。
 音楽家の地位は徐々にあがって、近代に至ると音楽は経済秩序に組み込まれ、スター的な演奏家も出現する。
 そして現代では、レコードによって音楽は無数に複製され大量生産される、「死」そのもののような「反復」の時代となる。そこでは意味が否定され、差異が消滅するのだ。
 とりわけ「ヒットパレード」での「ランキング」が、現在の消費者にとって唯一の指標となっている、という指摘は素晴らしい。その通りだ。その世界観は音楽ばかりか、いまやすべてを覆っている。何でもかんでも、ランキング次第なのだ。

 終章で、「死」としての「反復」に抵抗する策として「作曲」をあげている。
「自分一人で、世界との自分一人の関係を創造し、こうして創造された意味において他者と結びつこうと試みること」(P.234)
 この著書(1977)の時点では想像もつかなかったほど、現在はコンピュータ、インターネット、各種小型デバイスやDTMが広がっている。私も好き勝手に「作曲」をしているDTMerの一人なのだが、アタリが期待を寄せた「作曲」とは、こんな状況のことだろうか? だとしたら、あまりにも楽観的すぎたのではないだろうか?

 けれども、音楽は常に多義的なものであることを、ジャック・アタリは見抜いている。ときの権力がいかに利用しようが、経済がいかにそれを組み込もうが、音楽は音楽としてありつづけ、一面的にとらえようとすればすぐに逃げていってしまう。
 それが音楽という謎であり、いまだに科学によってもほとんど全く解明されていないこの領域なのである。
 この本を読むことで改めて、音楽について考えざるを得なくなった。とりわけ現在の「大量生産」の状況と、そこに居合わせる自分の音楽とは何か、ということについて。
 こういう本には滅多に出会えない。

レビュー投稿日
2012年5月4日
読了日
2012年5月4日
本棚登録日
2012年5月4日
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