腎臓は人の寿命を決める臓器として最近注目が上がっているらしいが、自分の父も晩年に透析する状況だったこともあり、改めて詳しく学ぼうと思って読んでみた。しかし本書は医学生向けの教科書を新書用に簡略化したような内容で、一般向けとしては少々難しすぎる気がする。

 構成としては一章から五章までは腎臓の役割と仕組みの解説で、学術的な話が延々と続く。六章は腎臓研究の歴史、そして七章は腎臓の病気と予防法について述べられている。一般人が最も興味あるのは七章だと思うが、肥満と喫煙と高血圧を避けろといった普通のことしか書かれていないので、腎臓病予防について詳しく知りたい人にはあまりおすすめしない。

 とはいえ、なんとなく「血液を濾過して尿を作るフィルターのような臓器」くらいの認識だった腎臓が、実際は極めて複雑で精巧な仕組みを持っていることが知れたのは面白かったし、壊れたら再生できない細胞が多いことも初耳だった。

2025年5月2日

読書状況 読み終わった [2025年5月2日]

 『氏名の誕生』の続編にあたる。前書はほぼ完全に男性の名前について述べられていたが、女性の名前はまた異なる仕組みがあった。前書同様に本書も半分は江戸時代の女性名について述べられ、明治時代に行われた変更については後半で扱われる。

 江戸時代の女性の名前はよく時代劇に出てくるような「お○○」という形式が圧倒的多数だった。これを「おの字名」と呼ぶが、「お」は接頭辞なのか名前の一部なのか、由来は何なのかといったことは諸説あるようだ。これが明治になると「○子」の形が増えるが、これは当時の流行らしい。

 本書で印象に残ったのは、まず江戸時代までは名前の字にこだわりが無かったという話だ。発音さえ同じならどの漢字で書かれても気にしなかったらしい。そもそも女性は自分で字の読み書きができない人が多かったので当然かもしれない。サブタイトルにあるこだわりは、識字率が向上したことで初めて生まれたものなのだ。

 次に夫婦同姓の発端だ。江戸時代は女性に苗字は付けないのが一般的だったので、全員に苗字をつけることになって初めて生まれた問題ということだ。

 江戸時代の場合、例えば山田太郎に娘が生まれて花子と名付けたら、「花子」または「山田太郎娘花子」と表記されることはあっても「山田花子」とは書かない。結婚して鈴木大介の嫁になったら「鈴木大介妻花子」であり、「鈴木花子」とは書かない(ただし夫が死んで妻が戸主になった場合はこういう書き方になる)。

 これが明治の法律によって女性も直接苗字を名乗ることになったわけだが、結婚した女性の苗字は最初はその人の祖先を示すもの(つまり結婚しても変わらない、夫婦別姓)だったのが、あとから家族の名前という夫婦同姓を採用したとのこと。現在まさに「選択的夫婦別姓の是非」が議論されているが、そもそも現在の仕組みはそんなに長い歴史を持つわけでもなければ深い議論の末に決められたものでもないのだ。

 個人的には、マイナンバーという制度ができたのだから、個人を識別する必要がある時はそれを使い、名前なんかは各自の好きにすればいいと思うのだが、適当に決めた制度でも100年経てば「こだわり」を持つ人が出てくるようだ。

2025年4月2日

読書状況 読み終わった [2025年4月2日]

 現在の日本人の名前は、苗字(氏、姓)+名(いわゆる下の名前)という2つの要素から成っている。苗字は英語のFamily Nameに相当し、同じ戸籍の家族は同じ苗字になる。名は産まれたときに親によって付けられ、原則として生涯変わらない。

 これは苗字をもたない皇族以外のすべての日本人に適用されている名前の仕組みだが、こうなったのは明治初期の法律によるもので、それ以前はまったく異なる名前の仕組みがあった。本書は基本的に江戸時代の名前の仕組みについて詳しく解説している。

 書籍タイトルから予想される「氏名という現在の仕組みが誕生した経緯」については本書の続編にあたる『女の氏名誕生』の方が詳しい。この2冊はタイトルが違うが事実上の上下巻なので両方読むのが良いだろう。

 江戸時代以前の名前の仕組みが現在と異なるのは主に3点挙げられる。1点目は構成要素が2つだけではなく、氏・姓・姓名・称号・官名・通称・苗字・名乗・実名など非常に多くあったことだ。現在では同じものを指す氏と姓と苗字も元来は別々に存在した。また、すべての人がすべての要素を持っていたわけではなく、公家と武家と庶民では違ったし、男と女でも違った。

 2点目は頻繁な改名だ。現在では結婚で苗字を合わせる以外で名前が変わることはほとんどないが、江戸時代までは結婚以外に様々な場面で名前が変わっていた。位階などは階級が変われば当然変わるし、嫁入りや奉公で他家に入ってそこに同じ名前の人が先にいれば区別するために改名するのが普通だったようだ。また、複数の仕事をする人は同時に複数の名前を持つこともあったという。

 3点目は、名前がその人の身分や階級を示す意味を持っていたことだ。庶民であれば功績ある者のみ「苗字帯刀を許される」というように、そもそも苗字があることがステイタスだったわけだが、明治時代から全員が苗字を義務付けられることでその意味はなくなった。

 明治維新による改革は、大政奉還により武家から公家へ権力が戻ることでもあった。そのため江戸時代までの武家と公家の名前の仕組みは公家の方法に合わせるような動きもあったようだが、現実にはうまくいかず、結局は完全に新しい仕組みが作り出された。それが現在の氏名である。

 氏名は旧来に比べて非常にシンプルな名前の仕組みであり、身分や階級を示すこともなくなった。それでも人は自分の名前に愛着を持つ。その意識はどこから来るのか興味深いところだが、本書でそこまでは触れられていない。

2025年2月13日

読書状況 読み終わった [2025年2月13日]

 簡潔なタイトルだが、補足するなら「物価はどう決まるか、誰がどうやって決めているのか」を語っている。ここで言う物価とは個別の商品の価格ではなく、世の中のあらゆる商品の集合体のことを指しており、著者は個々の価格と全体の物価の関係を蚊と蚊柱の関係に例える。

 個々の価格は企業がコストや利益や売れ行きを勘案して決めているのに対し、その集合体である物価は貨幣価値とインフレ率に相関し、これらは失業率や貨幣供給などと相関している。その関係を理論化するのがマクロ経済学であり、これまでマクロ経済学の本は読んだことがなかったので、新鮮だった。お金の話は誰しも興味があるが、マクロ経済はミクロ経済の足し算ではないため、なかなか馴染みにくいものだ。

 あとがきに書かれているように本書はマクロ経済学の教科書ではなく、著者自身の主張も色濃く反映されている。元日銀職員で現在は東大経済学部の教授という肩書で相当な説得力を感じさせるが、庶民感覚からはやや理解しにくい部分もあった。著者が提唱する「物価水準の財政理論」は政府の徴税権が貨幣価値の裏付けだと述べるが、いまいち飲み込みづらかった。

 物価は貨幣価値の裏返しであり、貨幣価値が下がるのと物価が上がるのは表裏一体だ。つまり物価を安定させるにはインフレやデフレを制御する必要があるが、現在の日本銀行がインフレ率をコントロールする手段として現在用いられているのは「トーク」だという。政策金利の上下もあるが、日銀総裁の談話発表によって金融業界の専門家を動かすことがメインだという。そう説明されると定期的に公表される談話の意味が理解できた気がする。他にもなるほどと思う部分は多かった。

  これを読んだからと言って自分の経済活動が変わるものではないが、政府や日銀のやっていることが少し理解できた気がする。

2025年1月29日

読書状況 読み終わった [2025年1月29日]

 理系の学術論文は原則として「目的」「実験方法」「実験結果」「考察」「結論」という構成で書かれる。このうち実験方法は、別の人が同じ実験をしても同じ結果が出ることを確認できるよう、再現に必要な情報をすべて記載することが望ましい。しかし近年、十分な情報がなく再現試験が実施できなかったり、実施しても同じ結果にならないことが頻発している。これは「再現性の危機」と呼ばれ、科学の信用が損なわれている。本書はその現状および原因と対策について述べている。

 再現できない論文の割合は分野によって異なり、心理学やヘルスケアに多いようだ。本書によれば、例えば心理学分野の大規模な調査では約半数の論文が再現できなかったという。これらの分野は一般人の関心が高く、話題になりやすいことも影響しているだろう。ネットでよく見かける「最新の研究で意外な事実が明らかに!」というやつだ。しかし他の分野でも同様な問題は認められている。

 その原因は不正行為と詐欺師の横行だと著者は言う。具体的な手法として、実験結果の有意性を示すp値や学術誌の権威を示すインパクトファクターを不適切な方法でコントロールしたり、ポジティブな結果は論文発表するがそうでない場合は隠してしまう出版バイアス、些細な結果を誇大に見せかける表現方法などが挙げられている。

 そして、研究者がそういう行為に走る背景として、現代の研究者は就職先と研究資金を獲得するために自分の業績を大きく見せる必要に迫られ続けていることが指摘される。科学研究が貴族の趣味だった時代と異なり、今の研究者は詐欺師になる動機があるのだ。それは研究者個人だけでなく大学や研究機関も同様であり、組織の自浄作用も期待できない。

 このような状況は明らかに科学の危機である。また、現代の研究の大半は多かれ少なかれ税金を投入されていることからも、不正の横行は許されない。それを改善するためには研究者にモラル向上を呼びかけるだけでは不十分であり、制度の改善が必要だ。著者は研究の事前登録制やチーム制やオープン化といった改善提案を示し、分野によってある程度は実施されつつあるという。

 最後に、現代科学のひどい実態を世間に知らしめることは陰謀論や懐疑論に利用されるリスクがあるため、このような本を出版することには反対する人もいたらしい。しかし著者が言うように、それでも隠さないことが科学の科学たる所以であり、科学にこそ自浄作用があることを示すべきだろう。新しい時代の研究のあり方が早急に確立されることを期待したい。

2025年1月4日

読書状況 読み終わった [2025年1月4日]

 タイトルから「資本主義が他の経済システムに勝利した経緯の解説」を想像したが、そうではなかった。むしろ現存する資本主義がひとつではないことや、それらが抱える欠点を指摘するものであり、資本主義が安泰ではないことを指摘する内容だ。

 現存する資本主義のひとつは著者が「リベラル能力資本主義」と呼ぶもので、アメリカを中心とする西側先進国に見られるものだ。これは経済を発展させる仕組みとしてはとりあえず大きな問題なく機能しているが、金持ちの子はより金持ちになり貧乏人の子は上昇できない仕組みが格差を増大させている。

 もうひとつの代表的な資本主義は中国などの権威主義で見られる「政治的資本主義」だ。これは私が中国にいた時に感じていた漠然とした疑問に明確な答を示してくれたと思う。中国は公式には社会主義国を標榜しているが実態は完全に資本主義だ。しかし彼の国の資本主義は日本やアメリカとは明らかに異なり、為政者が恣意的にコントロールできることを重視するため、法律や制度は名目に過ぎず、実際は役人や政治家が判断する人治主義なのだ。

 後半ではグローバル化の功罪について考察している。ひとつの国の中だけで完結している場合と異なり、途上国から先進国へカネもモノもヒトも容易に移動できる現代になり、その影響がシステムに影響している。そこで現れるのが、先進国に産まれた人々と途上国に産まれた人々の間の不公平だ。移民問題だけでなく、海外への資本流出といった面でも歪をもたらしている。

 本書は総じて資本主義の現状をよく説明していると思うが、日本語訳があまりこなれていないと感じられた。いわゆる英文和訳的な言い回しが多く、何度か読み直さないと頭に入ってこない場合があった。その点を我慢すれば良書であると思う。

2024年12月7日

読書状況 読み終わった [2024年12月7日]

 パリオリンピックで女子ボクシングに出場した選手の性別が疑問視されて話題になった頃にちょうど見つけて読んでみた本だが、イメージとはだいぶ違う内容だった。LGBTとも違う話で、そもそも私たちの性別は思っているほど単純ではないということが解説されている。

 従来、動物の性別はオスかメスのどちらかで、それ以外の状態はあくまでもイレギュラーなものだと思われてきた。しかし本書によれば性別は二極で語れるものではなく、オス100%からメス100%までの間にグラデーションがあり、しかも固定されたものではなく変化するという。このような性別のあり方を性スペクトラムと呼ぶ。

 個体の性別は基本的に遺伝子によって決まるが、魚類や昆虫では環境によって性が変わる場合がある。また人間でも赤ん坊の時は外性器以外あまり変わらず、更年期以降もまた差が少なくなっていく。性別は生殖に繋がる要素である以上、効率のいい生殖に向けて柔軟に形作られるのは理に適っているだろう。

 とは言え人類の場合、社会生活やスポーツにおける区別など生殖と直接関係しない場面でも男女の識別が必要になることも多く、そういう時に性スペクトラムの概念を当てはめるのは難しい。逆に言えば、私達の社会における性別の認識は生物学的な意味での性別とは乖離した形で定着してしまっているのかもしれない。

 であるなら、オリンピックでの騒動のような場面で「科学的に正しい解決法」は存在しないということになる。だからといって男女別をやめるということにもならないだろうから、当分は騒動が続くのだろう。

2024年9月10日

読書状況 読み終わった [2024年9月10日]

 2020年に米国で出版された本書は、2016年の米国大統領選でトランプが当選した背景や、近年顕在化している著しい所得格差の道義的評価を中心に、能力主義(meritocracy、功績主義とも)の弊害を考察している。

 出自に関わらず能力によって評価される能力主義の社会は、貴族制や人種差別のある社会に比べて公平で公正で「良い」と考えられがちである。しかしそれによって人々が幸福になるとは限らない。なぜなら、そのような社会で低収入の仕事に就く人々は不運ではなく無能で努力不足の烙印を押されることになり、単に金銭的に貧しいだけでなく尊厳を傷つけられることになるからだ。トランプ当選は能力主義を称揚するエリートへの反発や不信感が原因だと考えるのは恐らく妥当だ。

 そもそ能力(あるいは功績)には努力だけでなく生まれつきの才能が大きく影響しており、それは本人の功績でも責任でもない。それは果たして称賛の対象になるのか。また、高学歴であることが成功の条件となっている実情と、学歴が(本人の努力の結果であると信じられていながら)実際は親の財力と学歴の影響が大きいことなどが指摘されている。その結果「アメリカンドリーム」はいまや失われ、生まれた家庭の階層から抜けられる若者はヨーロッパや日本より少ないという。

 著者は、あるべき社会に必要な共同体意識を取り戻すためには現在の能力主義の弊害を取り除く必要があると主張している。しかし現実的な代替案があるわけでもない。確かにそうだろう。現在の制度を作った人たちとて、社会を悪くしようとしたわけではない。

 基本的に米国の話であるが、同じことは日本でも起きている。日本では「自己責任」という言い方が広まっている。低収入な職業の人々を「底辺」などと呼んで蔑視し、高収入であることと立派な人間であることを同一視する風潮だ。その結果日本でも共同体意識は失われていると感じられるが、やはり米国と同様、保守政党だけでなく左派政党も能力主義に意義を唱えてはいない。

 社会が方向転換することは当分期待できないが、少なくとも自分は本書で指摘されている視点を失わないようにしたい。

2024年8月3日

読書状況 読み終わった [2024年8月3日]

 チームで何かをする上でのメンバーの選び方やコミュニケーションの取り方がどれだけ重要かを説いており、全体としては組織論に関するビジネス書のようだ。ただ個別に紹介された事例やエピソードは物語としても面白かった。

 各メンバーが非常に優秀だったにも関わらず、白人プロテスタント男性ばかりで構成されていたCIAがオサマ・ビンラディンの影響力を見抜けたかったとか、リーダーに意見することができない登山チームが悲劇的な遭難に至った話などは、組織論的に納得しやすい。これとは少し違う視点として、「個人差」を多様性の一種として捉え、全員の平均値だけ見て標準化することの危険性を説く話は、目から鱗でもあった。

 後半では人類が現在のような繁栄に至った理由、他の類人猿と比較して何が優れていたかについても言及されており、いくつかの新しい知見も得られた。結論としては、それは他者からアイデアや知識を学ぶ力であり、個体だけでは達成できないことを集団が教えあい、世代を超えて発展させられたことだ。

 ただ、中には本当に定説となっているか疑わしい記述もあり、あまり鵜呑みにしない方がよいとも感じられた。ひとつの説として頭に入れておくくらいが良さそうだ。

2024年7月3日

読書状況 読み終わった [2024年7月3日]

 「喧嘩両成敗」とは、喧嘩が起きたらどちらの言い分が正しいとかどちらが先に手を出したかなどと関係なく両方を処罰するというルールだ。一般的に日本の伝統的な価値観に基づくと考えられているが、本来の意味で「成敗」は死刑という意味なので、現代から考えるとかなり厳しい。しかも、どちらが正しいか問わないのも考えてみたらずいぶん理不尽だ。

 本書はこの思想がいつどのように生まれたかを論じるのだが、紙面の多くはそれ以前の日本人がどのように喧嘩や争いを解決していたかの紹介に費やされている。なぜならそれこそが、喧嘩両成敗が社会に受け入れられた背景であり、ルールの目的だからだ。

 室町時代の人々の感覚は「やられたらやり返せ」「やられっぱなしはメンツが潰れる」というもので、おそらく法治国家以前としては普通だっただろう。しかし当時は現在と比べ物にならないほど人の命が軽く、ひとたび喧嘩が起こればすぐ人が死に、報復は殺人だ。実に些細な原因で多数の死傷者が出た事例がたくさん紹介されている。しかも武士だけでなく公家も僧侶も農民も同じだったというのだから、恐ろしい時代だ。

 その中で喧嘩両成敗が生まれたのは、実は成敗(処刑)することが目的だったわけでない、というのが本書の要旨になる。大名や幕府が本当に目指したのは喧嘩両成敗のあとに続く但し書きの方だ。そこには必ず「ただし攻撃されても反撃せず我慢した場合は成敗されない」という意味の言葉があったと言う。やられたらやり返すという自力救済から、法の裁きを受けるように改めさせることが狙いだったのだ。

 昔の人は想像よりずっとよく考えて社会を作ろうとしていたと感じさせられた。戦国武士たちは単なる乱暴者も多数いただろうが、大名や幕府はそれをどうにかコントロールして平和な世の中を作ろうとしていた。喧嘩両成敗の背景には、そういった苦労が隠されていたのかと感じた。

2024年6月13日

読書状況 読み終わった [2024年6月13日]

 社会保障つまり保険と年金の制度に長年取り組んできた厚労省出身の著者が、その歴史と意義、将来についてわかりやすく解説している。色々批判も多い制度だが、目的や経緯を丁寧に説明されるととても納得が行く。また、後半では今度に向けた改革について著者の提言がかなり多く語られているが、その熱量は本当に一生懸命考えてきたんだと思える。

 世界的にもよくできていると自負する日本の保険と年金だが、少子高齢化が進む中で財政難が大きな課題になっている。若者が高齢者を支えるという資金の流れになっている以上は当然のことだ。だがカネがないからといって社会保障を薄くして「自助・自己責任」をメインにするとどうなるか。人は自分がいつ死ぬかはわからないので、念の為にと多くの預金を温存しようとする。その結果、過剰貯蓄が発生して経済が停滞してしまい、ますますカネがなくなってしまう。

 本書で述べられた「社会に占める働く人の割合は、人生に占める働いている期間の割合に等しくなる」という指摘は目からウロコだった。つまり高齢化で労働人口が少なくなるということは、人生の中でより少ない期間で全体の生活費を稼がなくてはならないことを意味する。しかし多くの人にとってそれは難しいことなので、結局長生きの分だけ長く働く必要が出てくる。

 それ以外の方法としてはこれまで専業主婦になることが多かった女性にもっと働いてもらうことも挙げられるが、そのためには出産や育児に対するサポートをもっと充実させる必要があるのは間違いないので、そういった社会改革も同時に進める必要がある。

 提言のひとつに資産課税が挙げられていた。実際、高齢者の経済格差は若者以上に大きく、無収入だけど資産をしこたま溜め込んでいるような老人には相応の負担をしてもらう必要があるだろう。抵抗も当然大きくなる政策だが、日本がより暮らしやすい国になるよう、政治家と官僚には一層がんばってもらいたい。

2024年5月25日

読書状況 読み終わった [2024年5月25日]

 自宅の家電製品の大半をパナソニックで揃えている私だが、この会社の歴代社長で名前を知っているのは創業者の松下幸之助だけだった。2024年現在は幸之助から数えて9代目の楠見雄規氏が社長を務めているが、本書は先代の津賀一宏氏が就任したばかりの2013年に発行されており、そこまでの社長人事の内幕が語られている。

 端的に言えば、幸之助の娘婿で2代目社長の正治氏、5代目森下氏、6代目中村氏、7代目大坪氏についてはボロクソな評価で、こんな人物を社長にしたから松下の経営が傾いたと言わんばかりだ。調べたら大坪氏以外は鬼籍に入っているが、少しは弁明の機会を与えてあげないと可愛そうになる。最大の問題は情実人事で、自分の言いなりになる部下を出世させ逆らう部下は飛ばす強権政治が横行し、上司に気に入られるため徹底的に媚びたり不適切な指示に一切異議を唱えないタイプの人間が幹部になっていくという姿だ。

 家族経営の中小企業ならともかく、グループ全体で何十万人という従業員から成る松下電器ほどの大企業ですらそんな人事が何代も続いていたというのは驚きだ。ただ、ライバルの多い巨大組織だからこそ、昇進することに全力を投じる人でなければ昇進できないということかもしれない。そして一般的に社長は前任者の指名で決まるものなので、ひとたびそういう路線が定着するとなかなか変化させるのは難しいのだろう。

 自分にはほぼ無縁な世界の話ではあるが、サラリーマンとしてはなんとも嫌な気持ちになる。それはそれとして、パナソニックが良い製品を生む企業であり続けてほしい。

2024年5月6日

読書状況 読み終わった [2024年5月6日]

(上下巻併せた感想)
 一般的に、SFの黄金期と言えばアシモフ・クラーク・ハインラインなどの巨匠が活躍した1950年代が挙げられる。彼らの作品は今でも魅力を失わないが、70年以上の年月を経て、前提となる科学技術の知見が大きく先へ進んでしまった。当時は最先端だった理論も今では文字通り「古典的」になってしまった。

 本作はアシモフたちが全く知らなかったような、しかし我々にとって馴染み深い理論や現象がとても効果的に取り入れられている。理系の大学を出てある程度最新の科学に興味を持っている人であれば、おお、あれか!と気づく最新の科学ワードが次々に出てきて楽しめる。まさに21世紀のSF作品だと言えるだろう。

 読んでいる最中から、本作は映画化されるだろうと確信した。今調べてみたら再来年公開予定ですでに決まったそうだ。おそらく小説のすべてを2時間程度の映画に収めることはできないだろうが、あの宇宙人はどんな姿で映像化されるのか、今から楽しみだ。

2024年3月20日

読書状況 読み終わった [2024年3月20日]

 一般の警察が法律に違反した者を取り締まるのに対し、公安警察は国家に反対する人々を取り締まる、戦前の特高警察をルーツに持つ組織だ。本書ではその成り立ちから現在の組織構成と規模、主な活動内容などを解説している。

 特高はGHQによって解体されたが、ほとんど間を置かずに公安と名を変えて復活した。法律を守ることより国家を守ることを優先し、そのためには多少の非合法活動も辞さない彼らは、旧共産圏の秘密警察に近い。日本の公安警察も活動内容は大半が秘密にされている。

 彼らが純粋に国家の安寧を願うのであれば良いだろう。だが現実はそう甘くない。秘密に守られた組織は確実に腐敗するし、平和によって存在意義が揺らげば組織防衛のために敵を作り出そうとする。古典的には共産党を危険団体と言い張ることによって予算を獲得しているし、市民団体や左派ジャーナリストも標的にされている。

 彼らのような存在が全く無意味だとは言わないが、必要以上に権力を持たせることは危険でもある。彼らが国民を監視するのと同程度には、彼ら自身が監視されるべきだろう。

2023年1月24日

読書状況 読み終わった [2023年1月24日]

 現代の国際物流はコンテナが支えていると言っても過言ではない。多種多様な貨物がどれも同じ寸法形状の直方体の鉄箱に収められて効率的に運ばれる。だがコンテナが登場する以前の港では、様々な荷物を主に人力で船に積み込んだり船から降ろしたりしていた。そのため、貨物輸送の時間と費用の大半が港での作業にかかっていたという。

 本書はそういう昔ながらの輸送方法からどうやってコンテナ輸送が主流になったのか、数多くの課題を誰がどうやってクリアして今の形になったのか、その歴史を語っている。

 規格の揃ったコンテナを使えば効率よく運べるというアイデアはかなり古くからあったようだが、人力作業からコンテナへの移行はそう簡単ではなかった。なぜなら、コンテナの利便性を活かすためには、船の形状や港の設備はもちろん、陸上を運ぶトラックや鉄道に至るまで、輸送の最初から最後までがコンテナ用に最適化されている必要があるからだ。人力作業を前提に作られた市場にいきなりコンテナを持ち込んでも役に立たない。

 アイデアを実現しようとした人々は、コンテナの登場によって職を奪われる港湾労働者の反対や妨害を受けたり、コンテナ用に船や港を改修するための多額の投資が回収できるかという問題に悩まされたり、各国の古い法律や政策を変えるべく難しい交渉を乗り越えたりしてきた。もちろん一人ではなく、多くの実業家や企業や自治体がそこに加わった。

 イノベーションというのは、それが完成した後で見ると当たり前の存在になっているものだ。しかし本書のドラマを読むと、「それが無かった時代」から「それがある時代」への移行は一筋縄では行かないということがよく分かる。コンテナの普及には約半世紀の時間がかかった。次は何がどれだけかかって変わるだろうか。

2022年11月26日

読書状況 読み終わった [2022年11月26日]

 戦争中の国家は国際社会に対して自国の正義を主張し、マスコミは国民の戦意を高揚させるように宣伝する。これらはいずれもプロパガンダと呼ばれるが、著者はこれを10種類に分類している。法則というより、この程度の数にパターン化されているという意味だろう。

 どのようなパターンかは各章のタイトルで示されている。それぞれ具体的な事例が紹介されているが、古くは第一次世界大戦の頃から本書が書かれた2001年の直前にあった湾岸戦争まで、対象となる戦争は幅広い。

第1章「われわれは戦争をしたくはない」
第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
第4章「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
第5章「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
第6章「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
第7章「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
第8章「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
第9章「われわれの大義は神聖なものである」
第10章「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 今まさに起きているロシアとウクライナの戦争においても、両国が積極的に発信している情報はこれらに当てはまるものがほとんどだ。同時にこれらを網羅しているようにも感じる。20年前に書かれた本書の指摘が今もまったく色褪せていないことがわかる。

 侵攻したロシア側の主張は自分勝手なプロパガンダとして国際社会から白眼視されているが、ウクライナ側の主張にもプロパガンダ的な要素が多いことは忘れるべきではないだろう。当事者の言葉は真摯に聞きながらも鵜呑みにはせず、戦争が終わってからきちんと検証されることが望ましい。

2022年10月10日

読書状況 読み終わった [2022年10月10日]

 孤独死に伴う特殊清掃や遺品整理の話はすでに何冊か読んだが、本書でも過酷で胸の痛い事例が紹介されている。明日は我が身というか、どんな準備と対策をとっておくべきか考えながら読んだ。後半ではいくつかの業者や自治体が取り組んでいるサービスが紹介されているので参考にしたい。

 紹介された事例はいずれもゴミ屋敷化していたものだが、きちんと整理整頓されて早期に発見されれば専門業者が呼ばれる必要もないので、そういう事例がどのくらいあるのか気になった。できればそうなりたい。

 本書では、亡くなった方だけでなく特殊清掃や遺品整理を仕事に選んだ人達も詳しく紹介されている。あまり積極的に選ぶ人はいなさそうな仕事なので、そこに至った彼らの人生もまた興味深い。これから需要は増える一方だと思うが、本書で紹介されたような良心的な業者が多くなってほしい。

2022年9月17日

読書状況 読み終わった [2022年9月17日]

 『真説 日本左翼史』の続編。前作では共産党と社会党を中心に政治家の関係や活動の流れを紹介していたが、本作では新左翼や学生運動を中心にいわゆる過激派の歴史を扱っている。

 共産党が武装闘争から距離を置いたことに不満を持った若者が新左翼と呼ばれる様々な団体を作ったものの、しょせんは「子供の政治」であり自衛隊どころか警察にも歯が立たない。行動が行き詰まるなかで思想や主張だけがどんどん過激になっていく。次第に攻撃の矛先は他のセクトへ向かって内ゲバとなり、さらには仲間内にも向かって山岳ベースでの殺人とあさま山荘事件を引き起こす。

 同じ年にはテルアビブで空港乱射事件もあり、この頃から世間の支持は完全に失われてしまう。これらの凄惨な事件の数々は、多くの日本人に政治活動への忌避感を強く植え付けた。それによって最も恩恵を受けたのは自民党を始めとする既存の権力者だろう。公安は単に彼らを逮捕するのではなく、あえて事件を起こさせて世間から浮かせたという話も出てくる。文字通り権力は一枚上手だったのだ。

 社会主義国がことごとく独裁国家になってしまったように、学生運動もことごとく過激化していった。その思想自体に独裁や過激化を推奨する要素はないように見えるのに、これだけ同じパターンが繰り返されるのはやはり何らかの因果関係があるのだろう。

 本書の終盤で指摘されているように、同じような主張を持つ人々の集まりではより極端な説を唱える者が偉いとみなされ、過激になる傾向がある。今風に言えばエコーチャンバーだろうか。左翼に限らず「同志」の集まりは常にその危険を持っており、自分たちがそうなっていないか常に自問する必要があると感じた

2022年9月17日

読書状況 読み終わった [2022年9月17日]

 半導体を制するものが今後の世界を制する。最先端チップを作ることができる企業は限られており、サプライチェーンの各所に独占や寡占が存在する。その中にあって、各国はどのような動きを示しているか。米国、台湾、中国、欧州、そして日本の現状と今後の戦略について紹介している。2030年を近い将来として扱っている上、時事的な話題が多いので数年後には陳腐化してしまうだろうが、これまでの歴史と現状をおおまかに把握することができた。

 別の本で軽く読んだことがあるが、5ナノや3ナノといった最先端の半導体チップを作る技術は一般人の想像を絶するもので、機密が多い以上に難解すぎて、我々が詳細を理解するのは困難だ。しかし技術を持つ企業の深謀遠慮や地政学的リスクを制御しようとする政府の思惑が絡み合うドラマとして興味深かった。面白いと言っている場合ではないかもしれないが。

 日本については残念な面が多い。かつてはこの分野でトップの座を奪い合ったこともあるのに、いまやかなり存在感が薄くなっている。本書後半ではそれでも日本の技術が強い部分が残っていることを示しているものの、それを国家戦略として生かすような動きがどれだけあるか疑問だ。ただ、この分野の勢力分布はめまぐるしく変化するので、2030年にどうなっているかは本当に予想できない。期待と不安が入り交じる読後感だった。

2022年8月16日

読書状況 読み終わった [2022年8月16日]

 日本抗加齢医学会の理事を務め、長年老人医療に携わってきた白澤医師による老人論。90歳以上になってなお元気だった長寿者の実例を紹介しつつ、健康で長生きするにはどうすべきかを説明している。ただ、中にはそれほどしっかりしたエビデンスに基づいているわけでもない著者の所感もあるので、おおまかなイメージとして捉えるべきだろう。

 長寿のために気をつけるべきこととして列挙されている内容は特に目新しいものではない。生活習慣病を予防するため控えめな食事と継続的な運動を心がけること。生涯打ち込める趣味や仕事を持って最後まで活動し続けること。様々な世代の人と交流し常に気持ちを若く保つことなどだ。

 私も50歳になったので病気予防については色々やりだしているが、退職後の趣味活動については今のところ心許ない。海外駐在になってから特に趣味が減ってしまったので、日本に戻ったら新しいことにチャレンジしようと思う。

2022年8月7日

読書状況 読み終わった [2022年8月7日]

 20世紀が終わる頃、冷戦が終結して専制国家は激減し、差別は悪いことだという価値観が定着し、マイノリティの権利も尊重されるようになりつつあった。それはリベラルの勝利のように見えた。しかし21世紀はテロで始まり、東西対立とは別の対立が始まった。近年ではリベラルに対する反動が強まっている。どうしてこうなったのか。世界は平和で幸福になるはずではなかったのか。

 本書はそんな疑問を解消してくれた気がする。もちろん本書に書かれていることはひとつの見方であって、他の解釈もあるだろうが、現時点では非常に説得力がある。

 個人の行動の自由を際限なく認めれば弱肉強食の世界になり、平等や公正は失われる。そのため本質的にはリベラリズムと民主主義は相性が悪いはずだったが、全体主義(ファシズムや共産主義)への対抗として両者が結びついたリベラル・デモクラシーが生まれた。この頃の国家のあり方を著者は「共同体・権力・争点」の三位一体と呼んでいる。

 しかしリベラル・デモクラシーが勝利すると、存在意義を失って三位一体は崩壊する。経済的にある程度豊かになって飢えることがなくなると、階級や組織に基づいた政治活動が個人を基礎とする運動に変わった。68年革命と呼ばれる転換が訪れ、個人の承認欲求やアイデンティティを重視した政治が求められ、自由が称揚された。

 リベラリズムは直訳すれば自由主義だ。政治的自由や経済的自由など様々な自由があり、著者は5つに分類している。しかし問題は、自由な社会は自己責任の社会でもあるという点だった。自分で選んだ結果は自分で負わなくてはならない。それは、能力や財産をたくさん持っている強者にとっては望ましい社会だが、弱者にとっては辛いのだ。それが宗教の復権や権威主義の台頭を招いたのだという。

 なるほどと思うと共に、じゃあどうしたらいいのかという諦観が湧く。おそらく当分は今のような世界が続くだろう。誰もが幸せになれる社会を作ろうとしても、そもそも幸せの条件がバラバラなのではどうしようもないだろう。納得と同時に残念さに襲われた。

2022年7月29日

読書状況 読み終わった [2022年7月29日]

 株価の大暴落や国家の財政破綻などの金融危機は過去何度も起こっている。本書は過去100年に起こった9回の危機について説明しているが、原因はそれぞれ違う。危機が起こるたびに再発を防止するためシステム自体が修正され、しばらくすると別の原因で危機が起こるという繰り返しだ。これはそのまま、金融システムが現在の形になるまでの歴史だとも言える。そして今後も危機は起こり、金融システムは修正されるだろう。

 金融システムは経済活動という人間の営みに関する仕組みとルールであるから、工学のように目的に即した最適解が求められるものではない。そこには商道徳とか倫理的な感情が入り込む。無理な政策を続けた国家を他国が救うべきなのか、金融工学で暴利を貪った銀行を破綻から救済するの税金を使うべきなのか、といった問題だ。

 当然それは人により国により答えが様々だ。しかし経済は宗教的信仰と違って全員が参加する取引の集合なのだから、「うちはうち、よそはよそ」という訳にはいかない。話し合って共同で道を見つけなくてはならない。現在はとんでもなく多くの国際組織や会議の場が設けられているが、それは今後も続くだろう。

 本書が発行されたのは2022年1月、新型コロナのパンデミックによる経済への影響がやや落ち着いてきた時点だ。コロナショックが金融システムの大幅な修正を迫るようなものかという点について著者は否定的だが、その後米国のインフレや円安がすさまじくなっているので、どうなるかはまだわからないと思う。いずれにせよ、またそのうち危機は起こるのだ。

2022年7月3日

読書状況 読み終わった [2022年7月3日]

 三つ以上の天体の軌道を数学的に記述する問である三体問題に関する解説。中国のSF小説『三体』で有名になったような記述があったが、あの小説を読むような人なら元々知ってたのではないかと思う程度には有名な問題だろう。運動方程式の意味、方程式の解とは何かといった基礎的な解説から始まって、最終的には現在進行中の宇宙望遠鏡による超精密な観測にまで及ぶ。

 本書により、自分が色々と勘違いしていたことがわかった。まず三体問題が解けないのは既存の方法に寄った場合の話であり、五次方程式のように解が存在しないことが立証されているわけではないこと。ラグランジュ点のようにいくつかの特殊解は発見されている。だから未解決問題なのだ。

 そして相対性理論の影響まで含めれば二体問題でも解けないこと。古典力学で解けた結果が実際の天体の観測結果と一致しているように見えるのは、相対論の影響が従来の観測機器では検出できないほど小さいからであり、そのズレが検出できるほど高精度な観察が行われれば相対論の検証になる。そしてそのような挑戦がいままさに進められている。

 数学的な問題かと思っていた三体問題だが、その出発点は天文学であり、あくまでも実在する天体を記述するためのものだ。理論と観測がまるで切磋琢磨するかのように発展して精度を上げていく様子はわくわくする。

2022年6月21日

読書状況 読み終わった [2022年6月21日]

 ミャンマーで2020年11月に行われた総選挙では、民主派のNLDが改選議席の8割以上を獲得した。しかし国軍はこの結果を認めず、翌年2月にクーデターを起こして政権を奪った。国民の多くがこれに反発したが武力で抑え込み、デモ隊に発砲するなどして多数の死傷者が出ている。本書は2013年からミャンマーに在住して日本人向け情報誌『MYANMAR JAPON 』を発行している著者がこれまでの経緯と状況を伝えている。なお本書の発行は2021年7月だが、それから1年近く経つ今もまだまだ現在進行系だ。

 著者の主観が混じっているかもしれないが、軍部のやり方があまりにひどくて読み進めるのが辛いほどだった。なぜ彼らが自国民にそこまで暴虐に振る舞うのか理解に苦しむが、やはり多くの利権が絡んでいるようだ。ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チー氏の政治手腕についてはロヒンギャ問題への対応などもあって評価が分かれているが、国民の支持はゆるぎない。

 日本は戦時中から歴史的にミャンマー(ビルマ)軍と繋がりがあり、本来ならもっと影響力を行使できるはずだが、今の日本政府は静観すると言って何もしていない。経済的な損得勘定だけでなくもっと人道的にやるべきことをやってもらいたい。また中国やロシアが軍政を支持している点も懸念事項だが、彼らはあくまで自国の利益だけを考えて行動しているので、寝返らせる方法はあると思う。

 ミャンマーの憲法は軍政だった2008年に改正され、政府が国軍を掌握できない上にクーデターが合法化されている。憲法改正には議会の4分の3以上の賛成が必要だが、議席の4分の1が最初から国軍に割り当てられているため、事実上国軍に都合の悪い憲法改正が不可能になっている。

 つまり、いくら選挙で民主派が勝っても国軍がいつでも“合法的に”軍政に戻せる仕組みであり、真の民主化のためには内戦が避けられないだろう。すでにその兆候が出始めている。内戦になれば難民が多数発生するが、その時に日本はどうするのか。無関心ではいられない。

2022年6月8日

読書状況 読み終わった [2022年6月8日]
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