日本軍による真珠湾攻撃は「宣戦布告なしの卑怯な攻撃」として語られ、中立指向だった米国の世論を戦争支持に向かわせた。しかし戦後しばしば語られたのは、ルーズベルト大統領は事前に真珠湾攻撃を知っており、世論操作のためにわざと攻撃を許したのではないかという陰謀論だ。

 この陰謀論を唱える人は日本と米国の双方にいる。特に米国では、もしそのような事実があればルーズベルト大統領は自国民を犠牲にするという重大な裏切り行為を働いたことになるため、政治的な対立にも利用されてきた。日本側からすれば軍事機密が漏れていたことになるので恥ずべきことだが、なぜかそれによって日本は卑怯ではなかったと主張しているようだ。

 本書において著者は代表的な説を検証した上で、どの説にも裏付けはなく、陰謀論は成り立たないという結論を導いている。ルーズベルト大統領を含む当時の米国政府や米軍関係者は、日本が奇襲攻撃をかけてくることは予想して対策を立てていたが、その場所が真珠湾というのはまったく想定外であり、日本はまんまと米国の裏をかいて奇襲を成功させた、というのが著者の判断だ。

 少なくとも現存が確認されている史料からは、そのような結論が妥当だろう。陰謀論は歴史上数多くの事件について語られているが、フィクションのネタとしてはともかく、まともな史実として検討の余地があるものはほとんどないのだと思われる。

 本書が執筆された2004年からさらに十数年経っているが、新たな史料が見つかったという話は聞かないし、当時を知る証人も年々減っていくので、おそらくこれまでの定説を覆すような史料が今後出てくることはないだろう。まっとうな論説ゆえに派手さはないが、陰謀論のおかしな部分を丁寧に指摘して潰していく書き方はとても説得力があり、良書と感じられた。

2018年10月15日

読書状況 読み終わった [2018年10月14日]

 「レナードの朝」や「妻を帽子と間違えた男」などで有名な脳神経学者でエッセイストのオリバー・サックスが、ミクロネシアのある興味深い島々を訪れ、島の人々と深く交流しながらその独特な風土病について調査した見聞録。

 本書はふたつのテーマから成る。前半は先天的な全色盲の人が多数生まれるピンゲラップ島。後半はパーキンソン病および筋萎縮性側索硬化症とよく似た症状を示す患者が多数発生するグアム島とロタ島。前者については遺伝的な原因がわかっているが、後者は解明できないまま病気が発生しなくなりつつあるという。

 タイトルにある「色のない島」はピンゲラップ島のこと。過去に台風被害で人口が激減してから再び人が増える際、外から来る人が少ないため近親婚が多くなり、劣性遺伝の病気である全色盲が他の地域に比べ非常に多発するようになったとのこと。

 また、グアム島と言えばリゾート地のイメージだが、現地人ばかりがかかる原因不明の重病が多発しているという。ソテツを食べることなどが原因と推測されてはいるがそれだけでは説明できずにいる。そして解明できないうちに段々新規患者が発生しなくなり、病気自体が消えそうになっている。

 いずれの島々でも、病気を受け入れる人々や自然に対する著者の思いや興味があふれるばかりの筆致で描かれている。ただ興味の対象が多いためテーマがばらついていることと、注釈がやたら多くて長いため読みにくいなど、本としての面白さは「妻を帽子と間違えた男」ほどではなかった。

2018年10月4日

読書状況 読み終わった [2018年9月30日]

 1908年(明治41年)に発表された夏目漱石の小説。「それから」「門」と合わせて三部作と呼ばれる代表作のひとつ。熊本から上京して東京大学に通う三四郎とその周囲の人々の交流が淡々と描かれる。日常系とでも言うか、特に大きな事件が起こるわけではない。

 今から110年前、20世紀が始まったばかりの頃であり、新しい時代に向けて意気盛んな若者がいたり、なんとなく流されていたりするが、男女の微妙な気持ちに対する感覚などはまったく変わっていないようだ。

 余談だが読みながら森見登美彦の「四畳半神話大系」と同じような雰囲気を感じた。学生が主人公であることとや、友人の与次郎が小津を彷彿とさせること、文章のリズムやテンポが若干似ていることなどが理由だと思う。新しそうに見えても、もう文豪がやってるということか。

2018年10月3日

読書状況 読み終わった [2018年9月29日]

 数学的な意味での統計論の本かと思ったが、主に経済分野における統計の作られ方と各種バイアスの話がメイン。著者はエコノミストであって数学者ではない。

 イベントの経済効果などどうやって算出しているのか不思議だったが、本書によるとやはり定量的な裏付けが薄弱で、強引な仮定で意図的に増やしたりする余地の多いもののようだ。実際にシンクタンクで経済指標の算出を行っていた経験のある人が「鵜呑みにしてはいけない」というくらいだから、基本的に無視してもいいものだと思う。

 政府や日銀が公表する数字は意図的に調整されるわけではないようだが、それでも算出方法によって大小どちらかに偏りやすい傾向があるというのは勉強になった。

2018年9月29日

読書状況 読み終わった [2018年9月28日]

 戦場で過酷な経験をした兵士が帰還後に精神的に不安定になり、家族に暴力を振るったり自殺を図ったりする。PTSDとかトラウマと呼ばれる症状だが、米国ではそれによる自殺者が年間何百人という数に昇るという。本書は数人の元兵士を中心に、入念な取材に基づくノンフィクションである。

 戦闘で負傷し手足をなくしたような兵士と違い、心を病むのは精神力が足りない恥ずかしいことと本人たちは考える。特に軍隊という、強さを信奉する世界においてはその傾向が強い。本書に登場する兵士たちは、仲間を助けられなかったり、誤って民間人や子供を殺してしまったりして、それが何度も夢に登場し、後悔や屈辱で心がボロボロになっていく。

 米軍ではこの問題を重視し、PTSDとなった兵士の回復を助ける専門施設やカウンセラーの充実が図られている。本書でいくつかの活動事例も紹介されているが、体の治療ほど単純ではない。人間の脳みそを取り出して記憶を書き換えたり、家族との信頼関係を他人が物理的に修理することはできない。薬による緩和もあるが、本人の意志、家族や周囲の協力といったものを介して平穏を取り戻していくしかない。取り組みは無駄ではないが、劇的な成果を上げているとも言い難い。

 訳者あとがきで触れられているように、同様な問題は自衛隊でも起きている。今後は日本でもきちんと取り組んでいく必要があるだろう。

 ところで、本書に登場する兵士たちが戦った戦場がイラクだという点には少々引っかかるものがある。そこはアメリカではない。彼らは自国に攻めてきた敵を撃退したのではなく、外国に攻め込んでいったのだ。彼らが殺した相手こそが祖国を守っていたのだ。もし純粋に防衛戦だったらPTSDはそんなに増えなかったのではないだろうか。この点については本書に言及がない。気になるところだ。

2018年9月24日

読書状況 読み終わった [2018年9月23日]

 表題の「身体の零度」とは耳慣れない言葉だが、この場合の零度とは原点とか基礎とか、自然あるがままの身体といった意味で用いられている。

 自然に帰れというルソーの思想は有名だが、その「自然」とは何か。自然な身体とはどんなものか。言われてみれば、身長や体重は食事によって左右され、筋肉の付き方は職業によって異なり、立ち居振る舞いは階級によって変わる。それらの後天的影響を受けない基本形としての「身体の零度」なるものは存在するだろうか。

 入れ墨や纏足といった身体改造は現代でこそ野蛮な風習のように見られがちだが、古代においては身体改造してこそ文明人で、何も手を入れていない身体こそ野蛮、動物と同じという発想だったという。著者はそこから説き起こして近代に至るまで、身体がどのように考えられ、扱われてきたかを俯瞰する。

 軍隊や工場で働ける身体は訓練なしには生まれなかったことや、体育、スポーツ、舞踊といった概念がどのように生まれて広まったかなどについて、滔々と論じられる。だが本書はあくまでも研究の途中だという。最終的にまとまったものが出版されている様子はないので、まだ研究を続けているのかもしれない。

 それにしても、古今東西の様々な分野から多数の引用で論を展開していく様子には著者の博識ぶりに圧倒される。どうやったらこんなに読めるんだろうか。

2018年9月23日

読書状況 読み終わった [2018年9月22日]

 著者は福井県の水月湖の湖底に沈殿した年縞堆積物の調査などから、過去の地球の気候変動について精密に時期を特定できるようにする研究をしている。本書はその成果とそこから得られた知見を一般向けに解説しているのだが、なかなかショッキングな話だ。

 気候変動は普通、何万年とか何十万年といった非常に長い年月を経て徐々に起こるものと考えられている。今話題になっている地球温暖化にしても、来年どうなるという話ではない。しかし本書で著者は、そうでもないと言っている。ある年を境に突然、スイッチを切り替えたように気候が大きく変わってしまうことが、過去に起きているというのだ。しかも、それがいつ、なぜ起きるのか予測ができない。安定期と激動期の切り替わりは、ちょうど二重振り子のカオスのように計算不能だという。

 また本書で何度も取り上げられているミランコビッチ理論は、地球の自転軸の傾きが約2万3千年サイクルで首振り運動するのと、地球の公転軌道の離心率が約10万年サイクルで上下することで、地表への太陽光の当たり方が変わり、それに伴って気候が変動するというもの。最近の調査でこの理論が実証されつつあるそうだが、同時に最近8000年程度は説明が難しい変動が起きているという。これが人類の活動の影響かどうかはまだ断定できないだろうが、そうであるなら根が深い。

 いずれにせよ、私達が個人的に何かできる話ではない。温暖化対策として二酸化炭素削減に向けた取り組みに協力するといったことは今後も続けるが、そうしていれば破局は必ず避けられるとも限らない。諸行無常を受け入れるしかないのだろう。

2018年9月23日

読書状況 読み終わった [2018年9月21日]

 明治39年に発表された島崎藤村の長編小説。舞台は長野県の古い町。被差別部落出身である主人公の瀬川丑松は、その出自を決して人に明かしてはならないという父の戒めを守りながら教師として暮らしていた。父の死、同僚や生徒との交流、そして「我は穢多なり」と公言する作家との出会いなどを通じて心は揺れ動く。最終的に彼は自分の秘密を打ち明けて町を去ることになるが、そこに到るまでの長く激しい苦しみと葛藤が描かれる。

 現代においても部落差別が無くなったとは言えないが、公の場であからさまに罵声を浴びせるような人はめったにいないだろう。部落出身であることがわかっただけで職場や住居を追われることもないと思う。少なくとも私は差別が悪であるという教育を受けて育ったので、この小説に登場する人々の差別感情や態度はなかなか実感が沸かない。

 しかし自分が明治時代の旧態依然とした田舎町で育っていたら、どうだったろうか。銀之助やお志保のように、丑松の出自を知っても揺るがない友情や愛情を保つことができただろうか。やはりその時代の一般的な人と同じようにしたのではないだろうか。

 信州の美しくも過酷な自然の描写は、丑松の苦しみと対比するように鮮やかだ。いつかハイキングにでも行ってみたいと思う。丑松を思いながら。

2018年9月12日

読書状況 読み終わった [2018年9月10日]

 普通の病院や医学部で扱う医療は「通常医療」とか「標準医療」と呼ばれ、現在は「科学的根拠に基く医療」が主流となっているが、これとは別に代替医療と呼ばれる治療法のグループがある。西洋医学とは異なるルーツを持つ治療法の中には長い伝統を持つものもあるが、いんちき療法と呼ぶべきものも少なくない。本書は代表的な代替医療について、「科学的根拠に基く医療」の観点から検証を行った結果を解説している。

 「科学的根拠(エビデンス)」というと誤解する人もいるだろうが、治療のメカニズムが明確になっているという意味ではない。例えば鍼治療の説明に使われる「気の流れ」とか「経絡」と言った概念は生物学的な観察に裏付けられていないが、だから誤りだと断定するわけではない。メカニズムが何であれ、治療において重要なのは「効くか効かないか」であり、それ科学的に厳密な方法で測定したものを「科学的根拠」と呼んでいる。

 効くか効かないかを検証する際には「ランダム化比較試験」「二重盲検法」といった条件を整えなくてはならない。治療法の種類によっては難しいが、様々な手法で条件を満たした研究が行われている。また、ただの水でも薬と信じればある程度効いてしまう「プラセボ効果」の存在も話をややこしくする。しかしプラセボ効果を除外する方法もちゃんとある。

 本書は、各種の代替医療の効果についてランダム化比較試験を行った論文を集めたメタ・アナリシスを用いて検討を行っている。本文で取り上げられた代替医療は、鍼・ホメオパシー・カイロプラクティック・ハーブの4つ。おおまかな結論として、ハーブは一部通常医療に組み込まれる程度に効果がある場合もあるが、それ以外はほとんど効果がなく、場合によっては有害となる。鍼とカイロプラクティックは一部の症状に対しては多少の効果が認められるが、通常医療を越えるようなものではない。ホメオパシーについてはまったく効果がない。その他にも数多くの代替医療が簡単に結果だけ述べられているが、いずれも似たような結論だ。

 著者らは最終的に代替医療の大半をいんちきと言い、こんなものを世に広めた責任は誰にあるか糾弾している。代替医療の伝道者が読めば激しく反論したくなるだろう。だが、あやしげな理論をいくらこねまわしても、いくつかの治癒例(エピソード)を挙げてみせても、十分なエビデンスの説得力には適わない。

 残念なことに、今も多くの人が一縷の望みを抱いて代替医療の戸を叩く。彼らをただ無知蒙昧な人々と冷笑して終わらせるのではなく、なぜ通常医療が代替医療より低く見られるようなことが起こるのか、医療関係者たちもきちんと考えるべきだろう。

2018年9月11日

読書状況 読み終わった [2018年9月9日]

 精神病を患っている者の犯罪は処罰されないことはよく知られているが、そのような法律はどういう経緯でできたのか、また現実の司法の場ではどのように運用され、どんな課題が残っているのか。本書は精神科医の立場からこのテーマを解説している。

 六章あるうち四章までは過去の歴史的経緯の解説で、五章と六章で現状を紹介している。精神病に対しては偏見や誤解も多いし、他の病気や怪我とは医療のあり方も異なるため、専門家が丁寧に説明することは重要だ。

 世間の耳目を集めるセンセーショナルな事件が起こるたびに法律が整備されてきた。人権への配慮や治療の充実などが図られてきたが、医療機関と司法の連携などはまだ問題が多いという。本書は裁判員制度が始まる直前に出版されたので、裁判員がどう判断するかに対しても懸念が述べられている。

 ニュースなどを見ていると、大きな事件ではしばしば精神鑑定が行われている印象だが、実際は明らかに異常であっても刑務所に入れられている受刑者がかなり多いそうだ。精神鑑定には多大な時間と労力がかかるため、検察も弁護士もよほどの理由がなければやりたくないからだそうだが、こういう点はもっとシステム化しなくてはならないと思う。

2018年9月9日

読書状況 読み終わった [2018年9月8日]

 資本主義が物の飽和によって行き詰まり、経済システムそのものが変化しつつあるという話。前半はこれまでの経済の仕組みに関する説明。後半はこれから訪れるであろう新しい経済の予想と希望。価値概念の変化や仮想通貨などの金融テクノロジーの発達を前提として「価値」の概念が再考され、何かに利用できる価値だけでなく、個人の内面的満足や社会貢献といったものの価値が資産として扱えるようになることを唱えている。

 アイデアとしては面白いが、考察の裏付けは乏しく、あくまでも一人の実業家の個人的経験にもとづく想像に過ぎない。著者はビジネスでそれなりに成功しているようなので完全に的外れということはないだろうが、参考文献リストが付いていないことからも分かるように、研究者による学術書ではない。

 もちろん、現在の仕組みができたのはたかだか百年かそこらに過ぎないので、新しい仕組みに変わることは十分あるだろう。金本位制時代の経済人は、国家の信用しか裏付けのない不換紙幣でちゃんと経済が成り立つとは思っていなかっただろうし、だとすれば未来においては現在の経済人が理解できない形の新しい経済が成立する可能性があるという視点は間違っていないと思われる。

 しかし、具体的にどのような形の新しい経済が生まれるか、それを予想するのは簡単ではない。本書に書かれていることはひとつの想像とか可能性を示したものであって、実際にそうなるという説得力ある根拠は示されていない。当たるかもしれないが、当たったとしても偶然に過ぎないだろう。

2018年9月1日

読書状況 読み終わった [2018年8月26日]

 一流家電メーカーでノートパソコンの顧客対応を行っていた著者が「特殊対応」について語る。単なるクレームなどではなく、会社と特別な関係にある顧客の無理難題に応えたり、犯罪絡みだったり、オカルトじみていたり、特殊の内容は様々だ。他人事だと思って読む分には面白いが、自分で担当するのはごめんこうむりたい。

 私自身もクレーム対応をすることがあるが、一般消費者向けの製品ではないので面白いエピソードはあまりない。大阪の町工場の荒っぽい職人さんに恫喝されたとか、そんな程度だ。しかしそういう仕事に向かない人ならあっという間に心を病んでもおかしくないと思う。

 著者が経験してきた事例の中には、表に出ればコンプライアンス問題になるようなことも多々あったという。しかしそれを告発するために本を書いたのではなく、そういう仕事をしている人に自分のやるべきことをよく考えて欲しいということだそうだ。

 それなら私も対象に入るだろうが、著者の訴えたいことはわかるようなわからないような。くぐった修羅場のレベルが違うのかもしれない。やっぱり、そこまでは体験したくない。

2018年8月24日

読書状況 読み終わった [2018年8月23日]

 ヒトとチンパンジーが共通祖先から分かれたのが約700万年前。その後の進化の中で20種類ほどの人類が分岐したが、現在はホモ・サピエンスだけを残して他は絶滅してしまった。本書のテーマは他の人類が絶滅した原因を考察するものだが、大半は進化の歴史の解説だ。

 直立二足歩行をするのは人類だけだ。それが生存競争に有利なら、なぜ人類以外にそれをする動物が現れないのか。有利でないなら、なぜ人類はそうなったのか。言われてみれば不思議だ。仮説は多数あるが、証明されたものはないようだ。

 ヒト(ホモ・サピエンス)以外の人類が絶滅した理由は結局わからない。ヒトによって滅ぼされたり、ヒトとの競争に敗れた場合もあるだろうが、それとは関係ない環境変化などが原因だったかもしれない。最後のネアンデルタール人はどんな気持ちで死んでいったのだろうか(そんな自覚はなかったかもしれないが)。

 意外だったのは、ネアンデルタール人の脳はヒトより大きかったという話だ。しかもヒトの脳も何万年か前に比べて小さくなっているという。子供の頃よく雑誌に載っていた未来人の想像図はだいたい頭が大きかったが、コンピュータに頼るようになった人類の脳は逆に小さくなっていくのかもしれない。未来は過去以上に知りようがないのだけれど。

2018年8月24日

読書状況 読み終わった [2018年8月23日]

 「一揆」と言われて思い浮かべる光景は大勢の農民が農具や竹槍を持って打ち壊しをする、いわば暴動のようなものだったが、そのイメージはかなり間違っていたようだ。本書によれば実際の一揆で武器を使うことはあまりなく、基本的には「交渉」だったという。一揆とは今でいうところの組合とか同盟のような組織だったようだ。

 自然発生的な暴動などではなく決まった作法に従って進められる行動だったという点や、農民による一揆でも文書を用いて契約を結ぶ手続きがあったことなど、かなり意外なエピソードが多かった。中世から近世の農民はほとんど文盲だったと思っていたがそうでもなく、武士に対してただ搾取されるだけの弱者でもなかったようだ。

 本書の特長は、一揆を何百年も前に起きていた歴史上の出来事として解説するだけでなく、現代における人々の活動とも結び付けて考察している点だ。中東のジャスミン革命はフェイスブックやツイッターによって人々が繋がって起きたが、中世の一揆も書状や落書で形成された人の繋がりによる活動だった。時代と場所が変われば道具や規模は変わるけれど、「同じ思いを持つ人々が団結して何かを要求し、勝ち取る」という構図は共通だ。

 ただし、従来の学者が唱えていたように一揆を階級闘争と捉える見方には否定的だ。武士などの支配階級に対して労働者である農民が団結して一揆を起こしたとは言っても、あくまでも封建制のシステムの中での「団体交渉」であり、支配そのものを否定する動きだったわけではないという。

 同じ著者が本書の翌年に出版した『応仁の乱』はこの分野の書籍として珍しくベストセラーになった。そちらは未読だが、本書の印象からして多分かなり面白そうだ。門外漢をひきつける語り口や着眼点はすばらしい。こういうのが良いアウトリーチなのだと思う。

2018年8月24日

読書状況 読み終わった [2018年8月22日]

 犯罪加害者の家族は、犯罪に加担したわけでなくても仲間と見なされ、なんらかの責任があるかのように世間やマスコミから糾弾されてしまう。しかし法律上は事件の当事者でないので情報も与えられず、弁護士からのアドバイスもあまり得られない。退職や転居を余儀なくされたり、最悪の場合は自殺に追い込まれることもあるという。

 本書の著者はそういう「加害者家族」への支援活動を行う団体の主催者である。支援活動と言っても特別なスキルや情報があるわけではなく、話を聞いてあげることしかできない場合も多いようだ。それでも価値はあるだろう。また、被害者支援と違って必ずしも万人から賛同される活動ではなく、誹謗中傷を受けることもあるという。

 外国には似たような活動を行う団体もあるが、日本では著者の団体くらいのようだ。日本は犯罪が非常に少ない分、犯罪者に対する偏見や差別が強いという話は複雑だ。犯罪が日常茶飯事になっていれば確かにそういうものは薄まるだろうが、それが良い社会とも思えない。

 本書の三割程度は著者がその活動を始めたいきさつについて語られている。色々な人との強烈な出会いがあったようだ。そうでなければこんなハードな活動はできないだろう。頭が下がる。

 自分が加害者家族になる可能性は高くないし、自分の家族をそういう立場にしてしまうことも多分ないとは思うが、だからと言って無関係とは言い切れない。知人や隣人がそうなった時に偏見を持たず、こういう団体を紹介するくらいはできるようにしておきたい。

2018年8月23日

読書状況 読み終わった [2018年8月21日]

 『諸君!』に2000年から2002年にかけて連載された記事をまとめて2003年に単行本として出版された本。1972年という年を日本のひとつの節目とみなし、その頃に何が起きていたかを当時の出版物や著者(当時14歳)の回想で振り返っている。ちなみに1972年は私が生まれた年でもあるが、さすがに0歳の頃の記憶はない。

 本書で取り上げられた出来事としては、政治的には田中角栄の日本列島改造論、沖縄返還、日中国交正常化、横井庄一氏の帰還、連合赤軍の総括死とあさま山荘事件などがあり、文化や社会ではアメリカの有名ロックバンドの来日公演と日本人ロックやフォークの流行、ポルノやストリップなどの事実上解禁、「スター誕生」と現代的アイドルのはじまり、情報誌『ぴあ』の創刊などだ。

 ある意味、現在とほぼ同じような世の中が生まれた時期だったのではないだろうか。今と大きく違うのはインターネットがまだなかったことだが、それ以外の基本的な価値観や雰囲気はこの頃から大きく変わってはいない気がする。

 テーマである1972年から約30年後に書かれた本だが、私が読んだのは2018年なのでさらに年月が経っている。いずれ同様な書物が書かれるとしたら、次は何年が節目とみなされるだろうか。似たようなタイトルの本で『1989 世界を変えた年』というのがあるが、世界的にはその辺だろう。

2018年8月19日

読書状況 読み終わった [2018年8月19日]

 自動車産業は20世紀の製造業の中心的存在だったことは間違いない。しかし21世紀になって様々な理由から、自動車メーカーを中心とする産業構造が変わろうとしている。大きなポイントは自動車がネットワークに繋がることと、動力がエンジンからモーターへ切り替わっていくことだ。それらの変化により、業界の中心的企業が既存の自動車会社ではなくなる可能性も出ている。本書はそういった状況に対し各企業がどのように生き残り戦略を立てているか紹介している。

 完成車メーカーを凌ぐほどの力をつけつつある部品メーカー、ネットワーク技術を生かして異業種から参入を図る通信会社などもさることながら、従来の車づくりを拡充しつつ新しい手法を取り入れる自動車メーカーの努力は危機感にあふれている。

 日本はハイブリッドで先行したが世界のエコカーはEVが主流となりつつある。それは日本勢を牽制する意図があるとも噂されるが、政治とかビジネスとはそういうものだろう。家電や総合電機の分野と同じ轍を踏まないよう、世界の潮流に遅れず喰い付いていくしかない。

2018年8月18日

読書状況 読み終わった [2018年8月15日]

 本書は内田樹が「大学生が読んでおくといい本」として紹介していた数冊の中の一冊。残念ながら大学生からはほど遠い歳になってしまったが、大学生のような気持ちで読んでみようと思った。

 著者は小説家であると同時にランナーであり、何度もフルマラソンを完走し、100kmを走るウルトラマラソンやトライアスロンにも出場していると言う。1kmでも走る気にならない自分としてはまったく理解できない世界だが、ランナーズハイなどという言葉もあるので、ある程度のレベルになれば気持ちいいのだろう。

 走り始めた動機といくつかのレースにまつわるエピソード、そして走り続ける理由が淡々と語られる。実は村上春樹の小説は一冊も読んだことがないが、その特徴的な文体はよくパロディにされるので見覚えがある。スルスルと読めて、著者の気持ちに入り込めた。

 内田樹がなぜ本書を推奨したのかはよくわからなかった。

2018年8月11日

読書状況 読み終わった [2018年8月9日]

 20世紀のエネルギー供給は中東の石油が圧倒的に主役だったが、21世紀になって天然ガスやシェールオイル、再生可能エネルギーなどの台頭で調達先や流通ルートが大きく変わり、まさに大転換と言える状況が生まれている。本書はその歴史と最前線をなぞり、資源を持たない日本のエネルギー政策のあり方を検討している。

 技術的な側面と政治的な側面が交錯するエネルギーの世界がドキュメンタリー的に描かれており、読み物として興味深かった。

 書籍タイトルには「終わり」とあるが、実際は他のエネルギー源が増えても石油がすぐに使われなくなるわけではない、というのが多くの専門機関の一致した予想だという。少なくとも21世紀の中頃までは石油の需要は増加するので、どこからどのように調達するかが各国のエネルギー政策において重要事項であることは変わらない。

 21世紀の後半に主流となるエネルギーは低炭素という条件が重要になるが、日本で温暖化対策として期待されてきた原子力は、言うまでもなく2011年の福島第一原発の事故により手痛い打撃を受けた。今ある施設を再稼働させるだけならともかく、新設することはもう難しいだろう。

 その結果注目されるようになった太陽光などの再生可能エネルギーも、まだまだ主役になるには時間がかかりそうだ。すべての条件を満たすエネルギー源は存在しないので、最適なミックスの方法を見つけることが重要だと著者は結論づけている。多くのプレイヤーの思惑と利害が絡み合う世界で、日本の指導者はどのように判断を下していくだろうか。

2018年8月10日

読書状況 読み終わった [2018年8月8日]

 栄枯盛衰、華々しく繁栄した大国もいずれ衰退や滅亡に向かうことが多い。しかし衰退の原因はよく言われる外敵の侵略やライバルの台頭など外部要因ではなく、主に経済政策や制度の問題で内部から崩壊していくものである、というのが著者らの主張だ。

 例として取り上げられているのは、ローマ帝国、中国の明、スペイン帝国、日本、大英帝国、カリフォルニア。それらを踏まえて米国の状況を考察し、米国が衰退を防ぐための制度改善を提言している。最初の二つ以外は滅亡した訳ではなく、衰退したかどうかもまだ明確でなかったりするが、ピークを過ぎている点で同列に扱われている。

 本書の主題は結局、米国の経済政策と民主制のあり方に対する著者らの主張であって、過去の大国の衰退ストーリーはそれを裏付けるものとして例示されているに過ぎない。残念なことに日本も衰退した国のひとつに挙げられているが、改善提案はあくまでも米国向けのものだ。米国の歴史と現行制度に細かく立ち入りすぎており、他国の参考にはならないと思われる。

 著者らがどの程度著名な経済学者なのか知らないが、対立する主張を唱える学者も多数取り上げられていることから、本書の主張がそのまま現在の定説というわけではなさそうだ(そもそも経済学に定説があるのかどうかも疑問だが)。こういう考え方もあるという程度に理解しておくのが妥当だろう。

2018年8月7日

読書状況 読み終わった [2018年8月6日]

 中国の小説家である魯迅が1921年から22年にかけて新聞に連載した小説。魯迅が東北大学留学中に見た映画がきっかけで構想されたという話もあることから、なんとなく縁を感じて読んでみることにした。

 中国と言っても中華民国時代の作品だが、毛沢東がしばしば引用したとも言われる。阿Qのような底辺の労働者でも革命思想を持てるということのようだが、作品で描かれる阿Qは革命の意味など何も理解していない無知蒙昧な輩でしかない。彼のようになれというより、彼のような者でも受け入れようということだろうか。

 思ったよりずっと短く、あっという間に読み終えてしまったので拍子抜けした。

2018年7月31日

読書状況 読み終わった [2018年7月29日]

 主人公の女性は何年も前に別れた男のことを忘れられないまま別の男と暮らしているが、さらに別の男と知り合って不倫関係になっていくという展開で、恋愛ミステリーというあまり読んだことのないタイプの小説で少々とまどったが、悪くはない。

 登場人物の精神がことごとく歪んでいて、物語もどんどんドロドロしてくる。実生活では関わりたくない人々だが、そういうのが好きな人には良いのだろう。主人公女性の視点で語られるのだが、この人自身がどこか心を病んでいることが少しずつ分かってくると、何が真実で何が妄想か曖昧になってくる。擬似的にメンヘラの気持ちになってみられるということか。

 どうしようもないダメ男のように描かれている人物が実は一番良い人のように途中から感じられた。自分はそこまでダメじゃないと思うが、彼のような人生も案外悪くないかもしれない。ダメ男だけど。

2018年7月25日

読書状況 読み終わった [2018年7月22日]

 他人の成功体験を真似しても成功するとは限らないが、失敗を真似すれば大体失敗するだろう。そこで最近は失敗学などという分野もできて、様々な失敗体験がまとめられている。本書は2016年に書かれた比較的新しい本だが、多分この分野の代表的な一冊になると確信するほど良い本なので、多くの人に読んでもらいたい。

 本書は「失敗する理由」よりも「失敗から学べない理由」を中心に考察している。著者によれば、失敗から学べないのは特定の個人の資質によるのではなく、ほとんどの人が普遍的に持っている傾向による。だからそれを打破するためには、そのことをきちんと自覚し、意識的に変えていく必要がある。変えるのは簡単ではないが、変えられないわけではない。

 紹介されているエピソードの中には、信じられないくらい「学ばない人」「認めようとしない人」が出てくるが、他人から見た時に自分がそうなっていないか、常に振り返る姿勢を持ちたいと思う。

2018年7月21日

読書状況 読み終わった [2018年7月13日]

 ドクター伊良部シリーズの三冊目。「オーナー」「アンポンマン」「カリスマ稼業」「町長選挙」の五作を収録。最終話の発表からすでに10年以上経っているので、これが最終巻だろう。

 最終話は珍しく伊良部とマユミが病院を出て離島で“活躍”する。最初はただの飾りに過ぎなかったお色気看護部のマユミが、どんどんキャラ立ちして重要な役割を担うようになっているのが面白い。この人を主人公にしたスピンアウト作品があっても良さそうだが、あるのだろうか。

 一冊目が各種の症例、二冊目は職業をテーマにしているようだったが、三冊目では実在の人物をモデルにした作品が続く。具体名は挙げないが、あからさまに誰をモデルにしているかわかる人物描写なので、クレームがつかなかったか心配だ。ただ実際、モデルになった人々は多かれ少なかれこういう病的な面はあるだろうと思う。あんな立場で日々暮らしていたら、正気ではいられないだろうから。

2018年7月8日

読書状況 読み終わった [2018年7月6日]
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