一つ質問させてください、12年前の2002年6月18日(火)、皆さんどこにいたか覚えておられますか?
私は富山駅にいました。前々職での金沢への仕事の帰りに、飛行機の関係で富山空港に向かう途中。そう、2002年ワールドカップ・決勝トーナメントの「日本 vs トルコ」を駅前のオーロラビジョンで観ていました。
全てを観れたわけではありませんでしたが、試合終了のその瞬間、すべての音も色彩も消えたような、そんな世界を画面越しに感じたのを今でも覚えています、、なんてことを思い出したのは、こちらを久々に読み返したから。
その2002年のワールドカップ、決勝の審判でもあったコッリーナさんの、自伝的なエッセイ。2003年の本ですから、ワールドカップ後すぐの本となっています。
今から振り返ると、なんとも懐かしい選手の名前などてんこ盛りなのですが、スルッと落ちてきたのは次のくだり。
“「準備をする」ということは(中略)偶然に任せない、という意味”
業種を問わず、仕事を進めるにあたって、共通の認識ではないでしょうか。そして準備とは身体的な意味合いのみでなく、
“(準備とは)何をしに行くかということの認識でもある”
との“心構え”も含めてのことだと話されています。
このような“想い”をベースにされているからこそ、あれだけの実績を残す事が出来たのでしょうか、そして根底にあるのは“サッカーへの愛”、審判は経済的には決して裕福とは言えません、好きでなければやっていけないとの要素も強いようです。
そんな“審判という職業”の実態についても、ご自身の経験を交えながら丁寧に描き出されています。サッカー観戦にあたって、審判の立ち位置や考え方に触れることができて面白い、そんな一冊です。
なお、2002年大会で笛をとった試合の一つ“日本 vs トルコ”戦についても言及されています。試合終了の笛を吹いたのちの“10秒間の完全な沈黙”と、それに続く嵐のような拍手。それはとにかく結果を出したというチームに感謝の気持ちの表れであろう、、そしてそれは今までの私には沸き起こったことのない、感動的な瞬間だったと。
“自分たちのしたことに誇りを持っていいと思う。悲しむんじゃない。胸を張れ”
当時のキャプテン宮本選手へのこの一言は、今でも震えます。当時富山駅前で感じた想いと、どこか共通していたからかもしれません、なんて。
さて、2014年ブラジル大会もいよいよ大詰め、残すところはあと2試合。それぞれが胸を張れるような、そんな“自分たちらしさ”を失わないサッカーを見せてくれることを、期待しています!
- 感想投稿日 : 2014年7月11日
- 読了日 : 2011年4月17日
- 本棚登録日 : 2011年4月17日
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