どうも腑に落ちない。儒教の宗教性に光を当てた着眼は素晴らしいが、一体宗教としての儒教がどのようなものであるのかが曖昧である。原始儒教には教祖もなく、経典もなく、あるのは『祖霊祭祀』の形式と信仰だけ。著者が指摘するように、祖先崇拝も霊魂の存在も、古今東西多くの社会で信じられてきた。それらを『儒教』と称するならば、世界中儒教だらけである。何故中国の古代民間信仰を捉えて『儒教』と呼ぶのか、結局ここの説明が曖昧だから「大乗仏教も実は儒教なのだ」的な極論となり、一気に信用を失う結果となっている。確かにインドの上座部仏教が中国で大乗仏教に変質した背景に儒教の影響があっただろうが、しかしそれはあくまでも仏教である。同様に現代韓国で信仰されているキリスト教も、どんなに本質が儒教のようであってもやはりキリスト教である。さらに日本では古来の神道の影響を色濃く残していると思われ、何が何でも儒教に結びつける説明は著しく説得力を欠く。こういう調子だから学会で異端扱いされるのだろう。
日本では(中国でも?)儒教の本質は仁と理解されていて、本書で一貫して孝が第一と主張するのも、宗教としての儒教とは何であるかをもう少し丁寧に説明しないと伝わらないと思った。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
歴史宗教哲学
- 感想投稿日 : 2023年5月5日
- 読了日 : 2023年5月5日
- 本棚登録日 : 2023年4月30日
みんなの感想をみる