なぜ原爆が悪ではないのか アメリカの核意識

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  • 岩波書店 (2020年7月30日発売)
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5

善と悪とが明確な姿かたちを表してさえいれば、倫理学とはすべての事象を善と悪とに仕分けるだけの平易な学問になっていたかもしれない。そううまくいかないのはつまり、ある人にとっては悪であっても、別の人にとっては善だからだ。人類はゾロアスター教の発生時点からその矛盾に気づいていた。善がすべてアフラ・マズダの姿で見えていれば、迷うことがないのに、と。
だが著者の宮本さんは、アメリカでの核に関する考え方について、アーリマンが平気な顔でアフラ・マズダの姿で出現していることにショックを受ける。

なぜそのような矛盾が、科学大国のアメリカで大手を振ってまかり通っているのかを、少しずつ紐解くように説明しているのが本書。
難解さを避けるように丁寧でやさしい語り口が一貫されていて、かつ、220ページ程度と比較的薄い本なので、高校生でも読み通せると思う。そして、核認識論と並行して、著者がもう一つ極めようとしていると思われる「ジェンダー論」にも多くの記述が割かれているので、原爆や核の問題を過去の遠い問題とせず、ぐっと現代に引き寄せているように感じられる。

著者の主張の要点を私なりに要約すれば、「核に関しては、意外と知らないところで放射性物質に晒されているなど誰もが核被害者になりうる。したがって、被害の本質を正確に理解することで、人類が核を扱うことの課題や危険性が見えてくる」ということ。
そしてなおかつ、「核に関する善と悪の区別が正確に認識されない最大の要因は、課題が可視化できず、課題の本質が別の課題(政治的・社会的な)によって覆われてしまっている」こと。そのため、その被膜を剥がし、核被害の本質を誰もが理解(納得)できる言葉で語れるようにすることが課題解決への道筋だという。

だとすれば、課題の本質の抽出を徹底的に究めればよいのでは?ということになるのだが、私はそう簡単ではないと考えている。
例えば、本書P67にも見える、ウルトラセブン第12話のエピソード。スペル星人は放映後に出た学習雑誌の付録で「ひばく星人」と書かれ、星人の体表はよく見るとケロイドらしき模様のデザイン。だが、果たして被ばく者を侮辱するものとして放映禁止にすべきなのか?作家の林京子さんも同様にスペル星人騒動を原爆被ばくが風化したゆえに起こった問題と書いていたが、本当にそうなのか?正直疑問に感じている。

だって、スペル星人は架空だし、自星での核実験に失敗して星人全体で体の異常が生じ、地球人の血液から白血球を奪おうとするストーリーも、よく考えれば、地球での実際の原爆や核実験とは直接リンクしないフィクションだ。
だが核被害者からそのストーリーが認容できないと言われれば、誰もが共通認識として「スペル星人の回=悪」として否定や排除をしなければならないのだろうか?スペル星人を批判する人は実は“本当の敵”を見ずに(見えずに)蜃気楼を相手に戦おうとしているだけでは?
宮本さんのこの本の主題からは大きく離れるが、認識の違いを善悪に振り分けることの難しさを示したかったので、あえて挙げてみた。

例示のとおり、スペル星人の回の放映可否ですら意見は二分するのだ。いわんや核認識では文化や政治的背景が異なるなかで何十年もかけて醸成されてきており、人々の認識は簡単に変わらないぞ、という思いが改めて強くなった、というのが読後の正直な感想だ。

ただし、宮本さんが「今の状態は善意の第三者に被害のしわ寄せがいくように仕組まれている」という趣旨の記述を繰り返していることによって、自分自身をその一人として想像してみれば(この「想像」という作業がとても大切)、人類はどちらに向かうほうが“賢明”なのかという方向性は認識できた。

その方向性を誤らないためにも、様々なテキストを読み込み、声の大きさや周りの流れに紛らわされず(SNSの多くのゴミクズみたいな意見に一々右往左往せず)、自ら明瞭な言語で語り、他人や後世へ語り継ぐ責任を明確にするという、至極当たり前な(だけどなかなかできない)ことを改めて自分に課してみたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年7月25日
読了日 : 2021年7月25日
本棚登録日 : 2020年10月10日

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