和辻哲郎の主著『倫理学』への導入であるとともに、和辻倫理学の方法論的基礎づけというべき位置づけの本。本書の第2章では、「人間」が「人間」自身を論じる彼の倫理学において解釈学の方法が採られる必然性が論じられているが、個人的には第1章の議論が興味深かった。
第1章では、「倫理」や「人間」という言葉の成り立ちの検討を通して、人間存在の根本的構造が論じられている。和辻によれば、人間は根本的に共同的なあり方をしている。人間存在の根本秩序こそが、和辻倫理学の中心概念である「間柄」にほかならない。和辻は、人間存在の根本秩序である「間柄」を解明することが「倫理学」の課題だという。
続いて、アリストテレスからマルクスに至る西洋哲学の倫理思想を紹介しながら、そこに人間の共同的なあり方についての問題がひそんでいることが明らかにされる。
カントは「人」を、経験的にして同時に可想的という二重性格をもつ存在として規定した。彼の倫理学は、「人格」を単に手段としてではなく目的として扱うことを要求する。和辻は、カントのいう可想的な「人格」が普遍性を有していること、また、それと対比される「人」の経験的側面が個別性を有していると論じる。そして、経験的にして同時に可想的な二重性格を有する「人」を問題とするカントの「人間学」においては、人間存在の全体が問題とされていたのだと主張する。
その上で、人間存在の全体を射程に入れていたはずのカントの議論が、あくまで観想の立場からの考察にとどまっており、実践の立場から人間存在が論じられていないという問題を指摘するとともに、そうした欠陥を克服することをめざして、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクスの哲学が生まれてきたプロセスを概観している。
以上のような議論は、西洋の倫理思想にクリアな見通しを与えるとともに、その根底にひそむ問題を的確に指摘しており、著者の才能の非凡さをうかがうことができる。しかしながら、ヘーゲルの「絶対精神」を「空」に読み替える和辻自身の思想が、その問題をほんとうに克服することができたのかどうかという点については疑問が残る。
- 感想投稿日 : 2011年6月17日
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- 本棚登録日 : 2011年6月17日
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