マックス・ウェーバーと近代 (岩波現代文庫 学術 96)

著者 :
  • 岩波書店 (2003年1月16日発売)
3.24
  • (1)
  • (3)
  • (17)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 100
感想 : 6
3

第1・2章では、ウェーバーの脱呪術化・合理化の概略が論じられる。また、文庫化に当たって増補された第4章では、ウェーバーの議論に基づいて、現代のアメリカニズムが批判的に検討される。

ただし本書の中心になるのは、『職業としての学問』を中心に、価値自由をめぐるウェーバーと同時代の思想家たちの関係を論じた第3章だろう。ウェーバーの立場は、新カント派を継承するものとみなされ、「生」(Leben)の立場を取る若い世代のカーラーらによって批判されることになった。しかしウェーバーは、カーラーの説く「真の生への道」としての学問は、幻想にすぎないと断定する。もはや学問は、「私たちは何をするべきか」「私たちはいかに生きるべきか」といった問題に答えることはできない。

ところで、ウェーバーのこうした学問観と、「厳密な学」の復権を図るフッサールの立場とは、錯綜した関係に立つと著者は述べている。フッサールは、心理主義や歴史主義などの性格を持つ経験的諸科学に対して鋭い批判を展開した。こうしたフッサールの立場は、ウェーバーの没価値的な学問に対する批判としての意味を持っているはずである。

フッサールは『厳密な学としての哲学』において、明証性の源泉としての純粋意識に立ち返り、本質観取によって彼の学問論を基礎づけようと試みた。さらに、晩年の『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』では、自然主義的な理念の衣に隠された「生活世界」にまで立ち返って、そこに沈殿している歴史性をたどることで、いっさいの学的認識を基礎づけようとした。

しかし、こうしたフッサールの立場は、なおヨーロッパ的人間性だけが普遍的学問理性を担うという発想を脱していないと著者は述べる。「厳密な学」の理念は、伝統的なロゴスの範型に「汚染」されているのである。これに対して、科学と価値が孕んでいる問題性を追求したウェーバーは、学問を支える「外部」に対して自覚的であった。その上でなお、脱魔術化・合理化の運命を見据えつつ「学問」の立場に身を置いて、価値評価を自覚的に禁欲することを選んだ。こうしたウェーバーの態度には、近代西欧の中心的価値を相対化し、諸文化圏を同位に位置づけようとする発想を見て取ることができると著者は主張している。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文庫版
感想投稿日 : 2014年2月2日
読了日 : -
本棚登録日 : 2014年2月2日

みんなの感想をみる

ツイートする