道元の言葉からの引用を多く含みながらも、平明な言葉で綴られている入門書。ただし、道元禅の「そこからそこへ」と言われるような急所を直指するかのような印象的な言葉が散りばめられており、おもしろく読める。
著者は、「本証妙修」を道元禅の基本思想と規定した上で、それに対する榑林皓堂の解釈を批判している。榑林は、道元が宋朝禅の「見性」の考えを批判して「本証妙修」を説いたことについて、次のように解釈する。修行の有無にかかわらず人は本来仏であるのに、宋朝禅では、人は修行して初めて仏になると考える。そこで、あるときある人に初めて起こる「見性」が重視されることになる。しかしこうした考え方では、「衆生本来仏なり」と言ってもその信は徹底していないといわなければならない。「生仏一如」は釈尊の正覚によって、あるいは諸経典によって証明されているのであり、それを信じればよい。こうして榑林は、道元は「信」を学道の大本と考えたと主張する。
だが著者は、こうした榑林の「信」の立場は、他力的な「凡夫」の立場にとどまっていると批判する。著者は『正法眼蔵』の「諸法実相」巻の一節と、それについての唐木順三の解釈を引用し、ホトトギスの一声に「実相悟入」を体験するような「機」の立場こそが、道元禅の根本にあると主張している。道元にとって「凡夫の立場」は存在しない。彼は徹底して「仏の立場」に立ち、「そこからそこへ」と自在に動いてゆく。「本証」の自発自展こそが、道元禅の中根本思想である。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
新書版
- 感想投稿日 : 2013年12月30日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2013年12月29日
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