著者が京都の北白川教会で6回にわたっておこなった講話をまとめた本。著者は、アウグスティヌスやトマス・アクィナスについての浩瀚な研究書を執筆しているが、本書は一般の信徒に向けて平易な言葉で語られている。
第1話「アウグスティヌスと女性」では、アウグスティヌスの母モニカと、彼が16年にわたって連れ添った女性との関係についての考察を通じて、アウグスティヌスの人物像に迫っている。
また、キリスト教と仏教との対話についても、独自の観点が示されている。第3話「ペルソナとペルソナ性」の冒頭では、西谷啓治の議論に対する疑問が提出されている。西谷は、キリスト教の神の「ペルソナ性」を表象的な神として解釈し、その突破を図ったエックハルトを高く評価するとともに、大乗仏教の「空」の立場をよりいっそう優れたものとする解釈を示した。しかし著者は、こうした解釈は、キリスト教の「ペルソナ」に対する誤解に基づいているのではないかと述べる。著者は、アウグスティヌスの三位一体論などを参照しながら、父・子・聖霊の三者が「ウーシアにおいては一であるが、ヒュポスタシスにおいては三である」という解釈が定式化されたことが説明される。そして、父とともに子から聖霊が発出される働きが、「愛」として捉えられたと述べられ、ここには神が理解するものであると同時に愛するものであるという考えが見られることを指摘する。著者は、このような三位一体の理解に基づいて、人格としての神は表象の立場にとどまるという理解への反論をおこなっている。
その一方で著者は、アウグスティヌスの悪についての考察が、道元のそれと似ているという指摘をおこなっている。すなわち、神を愛して、自己に対する愛を殺すに至るような愛が神の国を作るという考えの中に、「山川草木悉皆成仏」についての道元の立場に通じるものを見ようとしている。
- 感想投稿日 : 2014年6月12日
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- 本棚登録日 : 2014年6月12日
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