日本のさまざまな文化を「切れ」という観点から解釈するとともに、現代への指針を探る試み。
著者は「切れ」という概念を、西谷啓治の論文「生花について」から継承している。生は「時」とともに衰えゆくという本質を持ちながら、「時」に抵抗し、みずからを維持していこうとする傾向を持つ。生け花は、こうした意欲がもっとも強い生の盛りにある花を断ち切ることで、花を「時」の運命へ還すものだと西谷は考える。それは、自然な生を「切る」ことによって、かえってこれを生かすものだということができる。さらに西谷は、芭蕉の句における「切れ字」の使い方にも、「時」を断ち切ることによってかえって「時」が呼応し溶け合っていることを見て取っている。
著者は、こうした「切れ-つづき」の構造が、禅、能、俳諧、茶などの日本文化を特徴づけているという。さらに竜安寺の石庭、尾形光琳の「紅白梅図屏風」などにその具体相を読み取ろうとしている。
多様な日本文化を「切れ」という一つの概念でまとめてしまうのは、一種の本質主義だと言わざるをえない。さらに、著者がこうした本質主義的な日本文化論から、いまや行き詰まった「近代」を超克するための指針を取り出そうとしているに至っては、厳しい批判が寄せられることが予想される。また個人的には、葛飾北斎による『椿説弓張月』の読本挿絵の解釈は、牽強付会のような気がしないでもない。
とはいえ、西谷啓治の難解な思想を自家薬籠中のものにした上で、さまざまな文化的事象の中からそれに通じるようなモティーフをつかみ出してきており、非常に興味深く読むことができた。
- 感想投稿日 : 2012年5月17日
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- 本棚登録日 : 2012年5月17日
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