一大奇書という触れ込み、そしてこの表紙からしてなんとなく敬遠していたものの読む事にした。
意外にも奇書という感じはしなかった。確かに夥しい病名、キチ○イ、狂う等々の言葉が列挙されるので一般的な読み物では無いかもしれない。しかし構想に10年かけたとあって構成がしっかりしていて、文体も明確。序盤の記憶の無い「私」が感じる意識されるものの奇異な印象から、中盤以降の、「私」と読者が同じように書物を読み進めるという形式にいたるまで明澄に思える。「キチガ○地獄外道祭文」も七五調ならぬ七八調、その後も「ファウスト」や「フォーストロール博士」を連想させる部分もあり、どこか伝統的ですらあるように感じた。作中に「ドグラ・マグラ」が出てくることもあり、メタ的要素が今後どの様に花開くのか、博士二人と「私」と読者の平行関係、気の触れる要素として挙げられる夢や細胞の無限の反復がこの後いかに関係性を結ぶかを下巻で楽しみたいと思う。
すこし気になったのは、脳髄の比喩としての電話交換局の部分。この説明に忌避されるはずの唯物論を感じてしまったのだが、読み方が悪かったのかな。文中にも結局考えないほうへ向かうと考えることになると書いてあったし、タイトルの由来宜しく、めぐり巡るということなのだろうか。
それにしてもこれが1935年の作品とは恐れ入る。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2016年6月28日
- 読了日 : 2016年6月28日
- 本棚登録日 : 2016年6月28日
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