アウトサイダー 下 (中公文庫)

  • 中央公論新社 (2012年12月20日発売)
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「誰彼の区別はない、その人の住んでいる世界に向かって眼をひらかせれば、その人はたちまち「アウトサイダー」となる。そして「アウトサイダー」は、まず、自分は「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間だと考えることから出発して、最後には、あまりに深く、あまりに多くを見とおすことなど不可能だと悟るにいたる。」(下巻、151)

「「アウトサイダー」はこのような肯定の眼を心に築きあげ、それを永久に自分のものにすることができると信じている。だが、それにはどうしたらよいのか?さらに深くおのれを知ること。自分の弱さと分裂した心を克服する規律を設けること。調和のとれた、分裂のない人間めざして努力すること。」(下巻、209)

この本で、「アウトサイダー」とは、単に社会規範から外れた人というのではなく、自分自身の存在自体にも疑いを向け、安定した自分から外れてしまった人のことを指している。

それじゃあ、そんな「アウトサイダー」はどうしたらいいのさ、という問いへの答えが本の後半には書かれている。

その答えは、一言でいうと、ずばり「宗教」である!ラーマクリシュナ、グルジェフといった、錚々たるメンバーである。

ちょっと、拍子抜けするが、一般的な宗教とは違うようだ。

「これまでわれわれが頼ってきた規範は、どんな宗教的真理も主観的に決定されねばならぬということだった。....たとえ犬が青いということが客観的に事実であろうと、それは客観的真理以外の何ものでもなく、宗教的真理とはなりえない。....宗教的真理は、頭脳の緊張、真理を会得しようとする各個人の努力なくしては存在できぬのである。」(下巻、256-7)

「至上のヴィジョン」を得るためには、「アウトサイダー」ひとりひとりの、主観的な宗教を見つけろ!ここは、1950年代当時に哲学界を席巻した、実存主義の影響を感じさせる部分である。

長くてくどいけど、結びを引用。

「自己保全の本能が内面拡大の苦しみに反抗し、精神的な怠惰へ趨りがちな衝動が、ことあるごとに波のような眠りに高まってくるのをものともせずに、自分の眼で見、自分の手で触れる体験の量を限定しまいと意識的に努め、存在の敏感な部分を、それに傷を与えるかもしれない対象にさらけだし、あくまでも全体としてものを見るべく苦闘すること、それが個人に課せられた問題である。個人は、この永い努力を「アウトサイダー」として、始める。そして、聖者としてなしおえるかもしれない。」(下巻、277)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2013年5月26日
読了日 : 2013年5月6日
本棚登録日 : 2013年4月14日

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