戦後の仙台の街を舞台にした、青年たちの絆の物語。
空襲により、母と妹をなくした土屋祐輔は、仙台駅北の「宮城野橋」、通称「X橋」で、特攻隊くずれの澤崎彰太と出会う。
師範学校の学生であった祐輔は堅実な生き方を望み、靴磨きで日銭を稼ぐ。一方の彰太は違法なワイン造りに、ケンカ、そして愚連隊の旗頭へと、不良街道をまっしぐら、ウラの世界で成り上がりを目指そうとする。
まるで正反対の生き方の2人の間には、それでも友情という言葉で簡単に括ることのできない、固い絆が生まれていく。
そんな2人を温かく見つめる父親のような存在が、2人を自分の店舗に居候させてやる、バー『Louisiana』の主人・徳さんだ。ときに厳しく、ときにユーモラスで、飄々然とした性格の持ち主である徳さんは、我が子のように2人の青年の面倒を見、なにかれと尽力してやる。
この徳さんと祐輔・彰太との関係もまた、強い絆で結ばれていく。
そんな徳さんの店に淑子を温かく迎え入れてやる場面(第三章中盤)は、この小説のなかでの僕のお気に入りのシーンの1つだ。簡単に紹介しよう。
武山淑子は、仙台の大空襲後、母の亡骸を探しに訪れた大願寺の火葬場で、当時、火葬場の手伝いのために住み込みをしていた祐輔と運命の出会いを果たしている(そこで、淑子が祐輔に言った、「たすける、という字が2つで“祐輔”。いいお名前ですね」という言葉も印象的だ)。
しかし、母の遺骨は見つからず、やがて淑子はやむなく米兵相手の街娼へと身を持ち崩してしまう。そして、「X橋」で祐輔と再会することとなる。
淑子は我が身を按じ、親切にしてくれる祐輔に強く反発する。凋落した己の姿を、最も見られたくない祐輔に見られてしまったことへの恥じらいを隠さんがための強がりであったのはいうまでもない。
ある米兵の“オンリー”となった淑子であったが、やがてその米兵に呆気なく捨てられてしまう。冷たい雪の降る街に放り出され、行く宛てをなくした淑子が、傷心を抱えて辿り着いた場所が、祐輔の住まうバー『Louisiana』であった。
祐輔と淑子は、火葬場で初めて会ったときから、お互いに惹かれるものを感じていたのである。祐輔は、淑子の住まいを徳さんに懇願する。はじめは渋い表情を浮かべた徳さんだったが、祐輔の熱い頼みを聞き入れ、行き場をなくした淑子を迎え入れてやる(もちろん、徳さんは祐輔が頼まずとも淑子を迎え入れていたであろうことは、小説を読めば分かる)。
そして、祐輔と淑子の2人の新しい生活が始まった。祐輔と淑子、この2人の関係もまた、単なる愛情や思慕という言葉を超越した、強い絆があるように思われる。まだ成人にも達していない幼き2人ではあるが、2人がお互いを思いやる心は果てしもなく深い。それが、とても温かい。
祐輔と彰太の絆。祐輔と淑子の絆。そんな若者たちを見つめ続ける徳さん。
終戦直後の不遇な時代にあって、それぞれが暗く重たい過去を背負いながらも生きていかんとする姿は、しかし「不幸ではない」と感じた。生きていくだけでもやっと、明日をも知れぬ生活。そんな時代である。だが、自分が独りで生きているのではない、と強く実感させてくれる仲間や恋人、大人たちがいてくれることは、なんと強く素晴らしいことであろうか。
そんな濃密な人間関係に胸熱くしていると、小説の最後に衝撃の展開が待っている。深い余韻に満たされて、最後の幾頁を何度も読み返した。
人間が生きていくうえで、何が明日へと突き動かす原動力となるのか。何が人間を支えているのか。そんなことを深く考えさせてくれる傑作である。ひとりでも多くの人に読んでもらいたい小説だ。
- 感想投稿日 : 2011年9月14日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2011年9月14日
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