騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

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レビュー : 509
著者 :
ぱとりさん  未設定  未設定

『青年時代の私は、フォルムの形式美やバランスみたいなものに強く惹きつけられていた。それはそれでもちろん悪くない。しかし私の場合、その先にあるべき魂の深みにまでは手が届いていなかった』―『4 遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える』

遠くからきれいなものだけを眺めていたいのなら小説など読まないほうがいいのかもしれない。近寄ってみれば大概のものは凸凹でグロテスクあったり色々なものが一緒くたになって汚らしかったり。人も仮面の下でベロを出してこちらを見ているか、顔だけはこちらに向けながら全く別のことを考えているか。小説はそういうものを全て白日の下に晒してしまう。

村上春樹に関して言えば、やたらと投げ込まれる性的な描写と、もはやお馴染みになったアンダーグラウンドのドロドロ。それをどう受け止めるかということになるのだろう。それは誰の心にもあるんだよ、という語りかけが、この随分と非現実的な例え話を通して続く。そんなものかな、とも思うし、そんなことはない、とも思う。積極的に見たくはないのに目を逸らすことも出来ない。思考停止ではなく思考過多による機能不全。思考することを可能にした脳の発達によって人間は飛躍的に進化したというけれど、その思考によって人間は不自由でもある。そんなことをぽつりぽつり考える。

「1Q84」がそうであったように、この物語も閉じているようで何も閉じていない。村上春樹の書く物語に大団円など期待している訳ではないけれど、このあちらこちらに開きっ放しになつている物語を一つ一つ閉じなければ現実の世界には戻れないよと、ミヒャエル・エンデの物語のように問われたら、村上春樹は暗いアンダーグラウンドから戻ってくることは出来ないだろう。もちろん村上春樹の主人公はいつも現実の世界に戻って来る。戻ってきた所が、元の現実の世界かどうかの保証は無いけれど。そして底無しの暗くドロドロとした穴の中に何があるのかも解ったようで判らない。ただ、いつもカエルくんのような存在がいて穴の底に落ち込んでしまわないよう助けてくれる。そんな風にまとめてしまうと村上春樹はいつも同じ話を書いているのだとも言える。

土地の名前、車の種類、ウィスキーのメーカー、そして、音楽に関わる固有名詞たち。そういうものはどれもこれも実際の名前であるのに、そこから何かが連想されて物語に影響を与える訳でもないところも村上春樹的だな思うところ。それは舞台の小道具のようにさり気なく置かれたという文脈の中に在りながら、かなりわざとらしく存在が主張される。そのイコンの意味するものは何か。これもいつものことだが、その意味を上手く掴み取ることが出来ない。それは、あたかも現実の世界を見分ける符丁であるかのように書き込まれるのだが、シンボリックなものであればある程嘘臭く実在が不確実に見える。例えばハメットの小説に登場する小道具も決まりきっているけれど、存在が否定されるかのように扱われる。そのシンボリックな意味合いは、例えば路地裏に転がるウイスキーの空瓶のように、大概の場合明らかだ。それに比べて村上春樹の小道具は存在を強烈に主張するが故に名詞に張り付いた意味が文脈から逸脱する。例えば白いスバル・フォレスターが持つ意味のように。この固有名詞の意味するものの表層的な印象とその仮面の下にある暗澹たる本質のコントラストと言うものが何よりも村上春樹的であるように思う。

それにしても、本書も「1Q84」と同じように、次の巻に続くのだろうな。何しろカオナシとペンギンのチャームの物語はまだ開始されてもいないのだから。

レビュー投稿日
2017年4月28日
本棚登録日
2017年4月28日
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