わたしの赤い自転車 (柏艪舎文芸シリーズ)

  • 柏艪舎 (2004年2月29日発売)
4.00
  • (2)
  • (3)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 18
感想 : 5
5

『サンダルばきの足には逃げ場がない。砂は至る所に侵入してきて、前へ進むのもようやくの思いだ。そのかわり、砂浜を裸足で歩くのは素晴らしい』-『臨海学校で』

一人語りの言葉が、昔を思い、そしていつの間にか、今を思う。語り手の顔が、しわだらけのおばあちゃんのそれから、コンピュータ・グラフィクスで滑らかにつないだようにして、活きいきとした少女のそれに変わったかと思えば、また急に黒い厚手の服の中にちんまりと収まる老女のそれに変化する。そんな風に時間軸のあちらとこちらを行き来する思い、それが本書の魅力でなくてなんだろう。

何も特別なことが語られる訳ではない。むしろ、この本の中の言葉を昔語りと聞いてしまえば、それはややもすると冗長にすら響く。それなのに、自分は何かに惹かれている。時代? いや違う。その時代は自分の記憶の帰る場所ではないし、そもそも背景となる風景も自分の原風景という訳ではない。それにも拘わらず、何も共通するもののない中で、いや無いからこそむしろ感じる普遍的な共通項に裏打ちされる郷愁が、自分の脳の中に沸き、何かが訴えかけてくる。落ち着かないような気分になる。

本に求める面白さ、それが誰かの事実や歴史への興味ではなく、訳も分からない内に迫ってくる見知らぬ顔の中に思いがけず見出してしまう、自分の歴史であることに気づく。ああ、自分、そこにいたのか。色でもなく、匂いでもなく、湿度でも気温でもない。正体は分からないけれど、その風景に張り付いている何かが、言葉の中から忍び寄る。高揚した気分になった訳ではないのに、読み終えた後、心臓が不思議と少しドキドキとしていることを発見する、そんな本。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2010年8月5日
読了日 : -
本棚登録日 : 2010年8月5日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする