不死身のバートフス (lettres)

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ぱとりさん  未設定  未設定

『だからふたりのあいだには、暗黙の競争がある。どちらがよけいに無視するかという』

日本人の思う沈黙がどこまで行っても仏教的な行為に収束し、瞑想が無という状態を理想とするのとは決定的に異なり、アハロン・アッペルフェルドの文章に存在する沈黙は饒舌である。これに近いのは遠藤周作の「沈黙」における語りだと思うがそれは最早西洋的な世界観を描写するもの。根本的なところで一神教の世界観に踏み込まなくてはアッペルフェルドの作品は理解し得ぬものであるのかも知れない。

饒舌と書いては見たけれど、この作家の文体は過剰さからは程遠いもの。物語の背景はもちろんのこと、登場人物の性格や心情についての第三者的視点からの描写もほぼ皆無。時折語られる主人公バートフスの言葉にしても、彼自身がその意味を掴みかねている様が深々と伝播する。自らの感情の揺らめきに驚き、フラッシュバックする記憶のように襲いかかる欲望と恐怖と凶暴を「芽のうちに摘み取る」ようにして生きつつ、誰とも秘密を共有しないように努めながら、今だに何が起きたのかを理解し得ないホロコーストの時代の思い出に知らず知らずのうちにしがみつく。当然、ホロコーストそのものの記憶には触れないまま。全てが定まった一日を、毎日同じように繰り返すことにより、何かをすり潰して塵芥に帰そうとする主人公の執念のような沈黙があるだけ。しかし、沈黙の裏側にある思いがけない感情の起伏が、読むものの感情を喚起する。こんな感情を呼び起こす文章を他では読んだことが無い。

物語はちっとも進まぬようでいて、細々とした変化の中に主人公たるバートフスの根源的な変化がある。それを変化と呼ぶべきか、挫折と呼ぶべきか、はたまた妥協と呼ぶべきか、諦観と呼ぶべきか、それとも未来志向と呼ぶべきか、答えはもちろんない。逆説的だけれど、その答えのなさがホンモノであることを証明する。たとえその証明が現実世界の中で何の意味を持たなくても、歴史的文脈を失ってしまっていたとしても、問いは与えられた枠組みの中に常にあり、枠組みの範囲を定める杭は、その先へと続く平面が地続きであることの標識。定まった枠組みの中から一歩たりとも踏み出さず、他人が少しでも建設的であろうとすることを偽善的であると主張する狭量は、過去を清算しない為の強張り。そのことが幾分変わった感慨を生むことに繋がる。

型に嵌まることを忌避しながら、問い掛ける根源的な問いには型に嵌まった響きがする。そうであったとしてもやはり問わずにはいられない、問そのものが持つ意味を問わずにはいられない人間性。それが善であるか悪であるか。そのことを読むものにも厳しく問い掛ける。

ありそうで無かった物語。

レビュー投稿日
2019年5月16日
本棚登録日
2019年5月16日
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