バーデンハイム1939

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本棚登録 : 29
レビュー : 6
ぱとりさん  未設定  未設定

歴史的な意味を示す明らかな刻印はどこにも押されていない。土地の名前が示されるだけ。オーストリアの地方都市。それが何時のことかすら表題の数字がなければ明示されることはない。それとても原題には無かったことを知る。静かな怒り、そう言ってしまうのは余りに陳腐。だが、史実を積み重ねることを敢えて避ける意図を、そのように受け止める以外のやり方で理解する方法がわからない。

東欧ユダヤ人、という言葉を聞いてその意味するところを即座に理解できるほど歴史に精通している訳ではない。その意味で「ユダヤ人」と一括にした第二次大戦下のドイツ政府と何も違わない。自分たちは既にオーストリア人であると認識する人々と、イディッシュ語を解しポーランドへの移送を楽観的に捉える人々の対立の差は、物語の終わりヘ向けて強制的に小さくなり、より大きな流れに絡め取られていく。もちろんそれは本当の終わりではない。本当の終わりなどある筈がない。アハロン・アッペルフェルドの静かな主張は深々と沁み入る。

「不死身のバートフス」にも共通する非当事者感のようなもの。それが物語全体を通底する。不合理さをどのように受け止めるのか、そもそも受け止めるべきなのか。そんな逡巡、怒りの矛先の不透明感。自らの出自の否定の否定。錯綜し、落ち着くことのない感情。それらがこの物語では、何人もの登場人物の視点を通して表現され、実態の見えない恐怖を植え付ける。バートフスのように一人の内に巣食うその複雑な葛藤として描かれればもっと直截に響いてくるものが、分散され淡々と語られることによってより深い意味を掬い取って染み透る。それが真綿で首を絞められるかのような息苦しさに通ずる。

ところどころに翻訳者の拘りが強い訳語があり、躓きそうにもなるが、原文の持つ複雑さ、社会的構成、狭い意味での民族性、母語の違いなどが表現されているであろう元の文章のことを想像すれば、それも小さなこと。多くの人に読まれるべき本だと思う。

レビュー投稿日
2019年9月26日
本棚登録日
2019年9月26日
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