戦後史の解放II 自主独立とは何か 後編: 冷戦開始から講和条約まで (新潮選書)

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piccolo33さん  未設定  読み終わった 

太平洋戦争の敗戦直後の歴史については、中高の学校の授業では時間切れで教えて貰うこともなく、また大学以降今日に至るまで、個人的にも知りたくないという感情もあり、これまでこの時代の本を手にすることは少なかった。
その心境に最近変化が現れ、たまたま本書を手にした。
結果として、読んで良かったと思っています。

本シリーズは3部作であるが、その最後となる本書に興味が魅かれたので、この本から読み始めた。
サブタイトルの通り、日本の憲法制定後以降から講和条約までの戦後史であるが、当時の日本の動きというより、世界の動き、つまり第2次世界大戦を勝利に導いた連合国間の協調、特に戦後初期の米ソ協調を基調とした時代から、米ソ対立を基調とする冷戦の時代へと、音を立てて回転し始めていたという時代が、日本にどのような影響を与えたかというアプローチを取っている。

本書では上記の時代における下記の疑問に答えてくれる最良の道しるべとなると思う。
・第2次大戦の連合国間の亀裂の原因
・ソ連の膨張主義の背景
・アメリカが孤立主義(モンロー主義)を捨てソ連と対峙するに至った経緯
・戦後すぐになぜ社会党内閣ができたのか。
・日本の「進歩的知識人」の発想と歴史の試練に耐えられなかった現実。
・「戦争放棄」「戦力不保持」を謳った日本国憲法を作らせたアメリカが、何故日本に再軍備を求めたのか。
という疑問に答えてくれる。

以下、長くなってしまったが、内容を纏めてみた。
(纏めが長くなってしまったのと、ネタバレなので、それほど興味がない方は以下をカットして下さい)
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戦勝国であるアメリカ、ソ連、中国においても戦争を通じて経験した恐怖が、指導者たちの心理に大きな影響を及ぼしていた。
ソ連においてはヒトラーにより、ある日突然に自国が侵略されるという体験はその後スターリンの心理に恐怖を植え付け、原爆の被害の大きさを知ったときに、歴史が新しい局面に入ったことを実感した。もはやソ連は安全ではない。
アメリカもまた、真珠湾攻撃という心理的衝撃を経験したことで、自国の安全保障についての深刻な不安を抱えることになる。それまでの自国の孤立を墨守すれば安全が保障されるという「モンロー主義」に基づいた発想は、この戦争を契機に崩れていった。

そうした中で、ソ連はより広範な自国の勢力圏を確保しようとし、それは西側諸国からみれば、膨張主義であり、また中国で共産党政権が発足したことにより世界は大きく変わっていく。(それはその後の東南アジアでの新しい戦争に繋がっていく)
イギリスのチャーチルは「鉄のカーテン」を指摘し、アメリカにおいてもジョージ・ケナンは、それらに対して適切に対処する必要があると訴え、アメリカ政府のこれまでのソ連に譲歩を続けていた方針に大きな変化が起こり、米ソ協調から米ソ対立の論理へと、アメリカの対ソ政策が転じていく。

その時、国内においては、戦争末期の米軍による激しい空爆や原爆により、戦争に対する漠然とした恐怖心と、そのような恐怖心から解放されるような平和を渇望する心情は、実感としても理念としても、日本国民の間で深く根付いていった。
そして当初、日本を占領した連合軍は日本が二度と他国を攻撃することがないようにすることが重要だと考え、憲法に「戦争放棄」や「戦力不保持」を盛り込んだ。
さらにマッカーサーやGHQ民生局は理想主義に燃え、文明論的な使命感から日本における精神革命を断行することになみなみならぬ意欲を燃やしていた。
そのような発想からGHQ民生局は、保守思想の第一次吉田内閣を蛇蝎のごとく嫌い、中道左派政権を望み、公職追放を強力な武器として活用し、社会党などを中心に片山・芦田内閣が成立する方向へ導いた。

そうしたGHQ民生局の動きと言論界の活況と結びついて、戦争を放棄し戦力不保持をすれば、平和で安全な世界がこれから恒久的に続くものと楽観視するような日本独自の平和主義の思想が醸成されていった。
具体的には、吉野源三郎が創刊した雑誌「世界」を中心に、清水幾太郎・久野収・丸山眞男らが活動を活発化させてゆき、世論に対して大きな影響力を与え、こののち学界では「非武装中立論」や後の「反戦運動」「日米同盟批判」を唱えるのが、「進歩的知識人」であると称された。

マッカーサーのGHQが、戦争放棄や非武装の夢を語り、理想を育んでいる間にも、世界では冷戦の進行と、軍事的衝突の勃発の危険が広がりつつあった。
インド独立後にインド・パキスタン戦争が勃発し、英領マラヤ(マレーシア)では共産主義者の暴動が起き、さらに中東戦争も勃発した。さらに2年後には朝鮮戦争が始まった。
特にソ連の膨張主義と中国の共産化は、アメリカの対日政策に大きな変化をもたらし、日本での主導権がマッカーサーからアメリカ本国の国務省のケナンやマーシャル国務長官にシフトするという大きな変化が生まれる。

国内においては、芦田内閣が汚職事件、社会党の左右対立、アメリカ政府の政策転換に翻弄されて、7ケ月の短命で終わり、第2次吉田内閣が発足する。

そうした世界情勢の中で、サンフランシスコ平和条約へと進んでゆく。
事前のダレスとの交渉で、特に問題となったのは、アメリカ側の意見として、アメリカに従属した日本ではなく、自立して、自らの防衛力で自国民を守り、この地域で責任ある役割を担えるような国家となることであった。これに対して吉田首相は執拗なまでに抵抗した。後に「吉田ドクトリン」と呼ばれることになる、経済成長と日米同盟重視の外交路線である。
そして「サンフランシスコ平和条約」締結後に、吉田首相が強調したのは、その「平和条約」の和解と信頼の精神であった。
これらは何よりも、冷戦という環境下においてアメリカ政府が、勢力均衡の観点からも日本が大国としての国力を回復することを期待して、友好国としての同盟関係の形成と維持を求めたからである。
過酷な国際政治の歴史を知る吉田から見れば、この対日平和条約は、「過去の平和条約に比べて比類なく公正で、寛大」であったのだ。第1次世界大戦後の「パリ講和会議」や「ヴェルサイユ条約」と比較して初めてその深い意味が理解できるはずであると言う。

1964年に、このような吉田の外交哲学を高く評価して、さらに学問的な検討を行ったのが、京都大学の高坂正堯であった。
共産主義思想が学問世界を席巻し、進歩派の思想こそが知識人である証左であるとみなされていた1960年代にきわめて稀な主張であり、激しい反発を喚起することが必至の勇気ある言論であった。

その後、国際政治の厳しい現実を直視しない戦後の日本人に苛立ち、厳しく批判したのが、政治学者の永井陽之助であった。
「日本は敗戦後、選択によってではなく、運命によって、米ソ対立の二極構造のなかに、編み込まれたのである。これは米国も同様である。米国は、かつて国際秩序が英仏の手に掌握されている限り、孤立主義を選択しえたが、第2次大戦後、ソ連という強大な新しいパワーに対抗しうる唯一の強国が米国以外になくなったという歴史的運命によって、冷戦にコミットせざるをえなかったのである。これはノーチョイスであった」

それは憲法制定や、講和条約締結、そして安保条約署名の際の日本の決断の瞬間においても、同様であった。そのような歴史をよく知る吉田茂が宰相だったからこそ、日本は非現実な夢想に酔うことなく、厳しい現実を直視して、その中で困難な交渉に臨み平和(サンフランシスコ講和条約)と安全(日米安保条約)を手にいれたのだ。

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以上内容の纏めが長くなりすぎたが、この時期の歴史は学校の授業でも、時間切れでカットされ、今日でも学界・マスコミによって批判が多く、中々分かりにくい時代であると思うが、この本を読んで、一気に目の前が晴れた感じがした。

著者のいう「政治とは、真っ白なキャンバスの上で、自由に絵の具の色彩を並べる作業とは異なる。国内政治においても国際政治においても多様な制約があって、限られた選択肢の中から最良のものを選ぶことが政治の本質である」という言葉の重みをひしひしと感じる。

レビュー投稿日
2018年10月31日
読了日
2018年10月31日
本棚登録日
2018年10月31日
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