広津和郎「徳田秋声論」より。
お島という女性の生涯を描いている。生涯といっても、生まれてからかなりまだ若い時(30代くらい?)までであるが。お島さんはおそらく明治期の、東京近郊に生まれている。
最初から最後まで、お島さんの人生は暗いトーンに満ちていて、理不尽にすら感じるほどだった。生家では実の母親に疎まれ、養子に出されるが、そもそもなぜ母親がそうまでお島を嫌うのかが特段理由らしいものもなかった。姉は別かもしれないが、彼の兄も半ばやくざ者のようにして暮らしているわけで、お島の親族の中でとりわけて彼女が嫌われ、不遇をかこつのが、単純に可哀想であった。
養父母のところでも、彼女は望んでもいない、生理的に嫌悪する相手との縁談を強いられ、ついに家を飛び出す。お島は養父母に媚を売る生き方が身についてしまっているが、しかし一方でなかなかに意志が強い。嫌なものは嫌、と飛び出していってしまう。
その後もお島自身は、他人の中で生きてきたため、うまく周囲に取り入るのには長けているように思うが、うまくいきかけても、結局は男性との関係性において破綻が生じてしまうことを繰り返している。お島はおそらくそれなりに美しい女性として描かれている。金持ちの男性から言い寄られるとか、お島の方で慕っていても妻帯者であったりなどし、結局なんども一文無しの宿無しになりかけながら生きている。
個人的には割と壮絶な人生だなと思ったけれど、徳田秋声はあくまで淡々と記載していく。苦しい人生は人生として、著者がそれを可哀想だなとか、反対にそれでも生を讃えるべきとしているのかはわからない。
解説では、夏目漱石の本作への有名な評「フィロソフィーがない」を紹介していたが、確かに、作者も、そしてお島も、全く分析的でなく、過去を批評したりそこから学び何かを生み出すとか、そうした態度とは無縁である。
しかし、誰も指摘していないけれど、周囲に、もしくは過去の財産等に執着せず、それらに隷属するくらいなら捨て鉢の自由を選ぶお島の姿勢は、当時としては新しかったのではないのか。特に後半部分では、自ら営業職のようなことをやり、自ら商売をすることにかなり意欲的である。現代にこういう女性がいたらむしろ立身出世していそうだが。
当時の時代背景などはわからないが、こうまで不倫、不義不貞がまかり通っているのだろうか。浅い感想になってしまったが、この小説はむしろお島が女性であるがゆえに強いられる困難が多かった。
- 感想投稿日 : 2020年5月11日
- 読了日 : 2020年5月10日
- 本棚登録日 : 2020年5月11日
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