失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

  • 岩波書店 (1981年1月16日発売)
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感想 : 79

Paradise Lost。
ジョン・ミルトンによる一大叙事詩である(1667年)。ルネサンス期の叙事詩として、ダンテの『神曲』やアリオストの『狂えるオルランド』と並ぶ作品とされる。
「失楽園」というのは少し不思議なタイトルで、素直に訳せば「楽園喪失」とか「失われた楽園」になりそうなところである。英文学者、繁野天来(1874年~1933年)が訳したのが邦訳としては最初であるようだが、そうするとこの訳語を当てたのは繁野であったと考えるのが妥当か。いずれにしても、今日、これ以外のタイトルは合わないような気さえしてしまうのだから、名訳だったといってもよいように思う。

では、『失楽園』とはどういう話か。
誰しも、アダムとイヴ(本書ではイーヴ)が禁断の実を口にし、エデンの園を追われる物語、と答えるだろう。狡猾な蛇に唆され、まずイヴがその実を食べる。その実を食べれば死ぬと神には言われていたが、蛇が言うには、食べれば賢くなる実だという。実際、イヴが口にしても死ぬことはなく、イヴはそれをアダムにも勧める。実を食べた2人は、それまで気にもしなかったのに、自身が裸であったことを恥ずかしく思い、腰を覆って、神から身を隠す。神は禁断の実を人が食べたことを知り、2人を楽園から追放する。
そう、それは創世記の中の物語だ。人がなぜ死ぬか、生きるためになぜ働かなければならないか、人がなぜ罪深き身であるのかを語る、「原罪」の物語だ。
だが、実は、『失楽園』で描かれるのは、その物語の前日譚だ。
イヴを唆した「蛇」とはそもそも何者だったのか。
「蛇」はなぜ人間が神に叛くように仕向けたのか。
それこそがこの壮大な叙事詩の主軸である。

創世記は神による天地創造から始まる。
だが、それ以前からもちろん神は存在している。
そうして天使や悪魔もいる。
この「悪魔」=サタンとは何者か。それはかつて神への反旗を翻した大天使ルシファーだった。神がその御子を自らの後継者として定めたことに怒ったルシファーは他の天使たちを煽動して、反乱を起こす。激しい戦いの末、雷霆に撃たれた彼は、堕天使として地獄に落とされる。
だが、そこでは終わらない。
一敗地に塗れたからといって、それがどうだというのだ?
すべてが失われたわけではない (第一巻105-106)

ダーク・ヒーローと言ってもよいような不遜さで、彼は立ち上がり、彼が敗れた後に作られた楽園を目指すのだ。神が創造した人間を貶め、神への復讐を果たすために。

上巻で語られるのは、サタンが神に叛き地獄に堕とされた顛末、そして楽園で憂いなく暮らす人間の元にサタンの魔の手が伸びていく様である。
ときにサタンの目線で、ときにアダムに天使が語る体裁で、ときに第三者的視点から、ミルトンは立体的に物語を紡いでいく。

驚くことに、ミルトンはこの物語を創作している時点で失明している。『失楽園』は口述筆記で著されているのだ。
壮大な物語詩は、ときにギリシャ・ローマ神話の香りも孕み、ロマンに満ちている。スケールの大きな宇宙観は、失明以前に会ったというガリレオから得た知識も反映しているものか。

さて、サタンの目論見は果たされるのか。
古典という言葉からは想像しにくいほどの高揚感とともに、下巻に進む。


*この前段階で、超訳版『ドレの失楽園』を読み、ほぇぇ、何だかぶっ飛びすぎじゃないか・・・?と思ったのですが、よく考えると(固有名詞を除けば)結構原作の骨格には沿っている、ような気もしてきました。ふぅむ・・・。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年7月14日
読了日 : 2017年7月14日
本棚登録日 : 2017年7月14日

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