日本古典と感染症 (角川ソフィア文庫)

制作 : ロバート・キャンベル 
  • KADOKAWA (2021年3月24日発売)
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感想 : 9
4

編著はロバート・キャンベル。
本書編集のきっかけは、2020年4月、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下で、国文学研究資料館の館長である編著者が配信した動画である。職員が在宅勤務となり、がらんとした書庫の中から、古和書について、また、古和書に描かれた感染症について語るもので、2022年1月現在でも視聴可能である。
この動画を見たKADOKAWA編集者の発案で、コンセプトを発展させ、各分野の研究者から書き下ろし論文を寄せてもらうこととなった。14人の研究者が、日本古典と感染症に関わるトピックスについて紹介している。
「万葉集」、「源氏物語」、「方丈記」、「徒然草」から、明治近代文学までと時代も幅広い。

感染症=疫病はもちろん、古くから存在していた。だが、何が病気を引き起こすのかはわかっていなかった。目に見えないものが害をなすとなれば、原因は祟りであったり怨念であったりする。ならば、薬だ医者だというよりも祈祷や祈りに頼ることになる。
「万葉集」を読み解くと、感染症とその背後にあった(と考えられた)ある人物の「祟り」の影が見えるという。
「今昔物語集」には流罪となった公卿が疫病神となって都に現れる(巻第27、第11)。
「源氏物語」で源氏が紫の君と出会うのは、源氏が瘧病(わらわやみ:現在のマラリア)を患い、加持祈祷をしてもらうために訪れた北山でのことだった。

時々、訳の分からない病気が流行り、人々はおまじないをしたり、神や仏に縋ったりする。
中には激しい話も。一向に流行り病を収めてくれない神像に怒り、像を川に投げ捨てたら数日のうちに疫病が止んだ、などというエピソードが伝わる(「延宝伝灯録」)。いや、それは像とは関係なく、ただ時が経って感染が収まったのだろうと思うが、病も気からというから、意外にそういう気合は大事なのかもしれない・・・?
原因がわからないものであれば、流言飛語も飛ぶ。鬼が出たという噂が出て数日後に疫病が流行れば鬼のせいだということになる(「徒然草」第50段)。けれど、それは鬼を見ようと人だかりが出来、その群衆の中に感染者がいたということではないのか・・・?

今から見ればどうなのかと思うことも多いが、一方で、現代にも通じるような話もある。
「養生訓」では、庶民でも実行しやすいように、薬を用いるのではなく、衣食住環境を整え、病気にかかりにくくする方策を解く。これに道徳も加わるのが儒学者でもあった著者・貝原益軒の特色。
疫病をもたらす鬼を伝奇小説に登場させて娯楽作品に仕上げた曲亭馬琴。それを楽しむ庶民もなかなかすごい。
現代でも演劇などの公演中止が相次いでいるが、江戸末期、コレラや麻疹が流行した時期にも芝居の中止はあったとみられる。役者見立絵は、歌舞伎役者がある芝居を演じたと想定して、名場面に当てはめて描いたものである。こうした絵の制作時期は疫病が流行った時代と一致するようだ。
疫病にやられてしょぼくれているばかりではない、庶民のしたたかさを感じさせるのが、幕末の戯れ歌。
「ないない尽し」
さてもないない是非がない 病の流行とめどがない 一時ころりで呆気がない(中略) 死んだ話は聞きたくない それでも寿命は仕方がない 医者のかけつけ間に合わない せわしいばかりで薬礼ない こんな詰まらぬことはない(後略)
と何だか不謹慎でもあるが、やけくそ混じりに笑ってしまおうという強さもにじませる。

近代の話題では、夏目漱石と腸チフスの考察、森鴎外が実は結核だったのではないかといった話が興味深い。

全般に、原文に適宜、現代語訳が添えられ、読みやすい作り。古典の奥深さを感じさせる。

現代のコロナ禍、かつてよりは感染症に関する知識も増えているとはいえ、まだまだ未知のものと闘っている側面は強い。
流言飛語に惑わされ過ぎず、時にはユーモアとゆとりも持って、落ち着いて対処していくことが大切であるのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 古典
感想投稿日 : 2022年1月27日
読了日 : 2022年1月27日
本棚登録日 : 2022年1月27日

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