哀れなるものたち (ハヤカワepi ブック・プラネット)

  • 早川書房 (2008年1月26日発売)
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感想 : 17

スコットランドの奇才、アラスター・グレイの長編。
2023年に同タイトルで映画化され、主演のエマ・ストーンはアカデミー賞主演女優賞を受賞している。
映画を見てから原作を読んだ。
映画は映画で魅力はあったのだが、改めて原作を読むと、かなりテイストが異なっていて少々驚いた。別物とまでは言わないが、受ける印象は相当違う。この凝った仕掛けの原作を「忠実に」映画化するのはなかなか困難かもしれない。

メイン・ストーリーはヴィクトリア朝が舞台。「マッド・サイエンティスト」ゴドウィン(ゴッド)・バクスターと、彼の元にいる奇妙な美女ベラ・バクスター、ゴドウィンの友人としてゴドウィンともベラとも深く関わることになるアーチーボールド・マッキャンドレス、そして放蕩者の弁護士ダンカン・ウェダバーンが主な登場人物である。
ベラが奇妙というのは、見た目は成熟した大人の女性であるのに、言動が子供じみている点である。それは実はゴドウィンが自殺した妊婦の腹から取り上げた女児の脳を母親の頭蓋に移植したから、というゴシック・ホラー調の、つまりはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を彷彿させるような物語なのだ。
ベラは無類の純真さを持って自らの人生を生きようとしているだけなのだが、男たちは皆ベラに魅かれ、彼女に振り回される。ベラの「過去」が明らかになる終盤では、さらに別の男たちも姿を現す。
物語の間には、登場人物たちのいささかグロテスクな肖像画、骨や身体各部のスケッチが挿入され、ゴシック調の雰囲気を盛り上げている。

原作は二層・三層の枠物語形式になっている。アーチーボールドが回想として書いたのが『スコットランドの一公衆衛生官 医学博士アーチボールド・マッキャンドレスの若き日を彩るいくつかの挿話』。これが枠の最も内側である。これに後年、ベラが書いたあとがきが付される。実のところこれはかなり強烈なあとがきで、アーチーボールドが書いた内容をひっくり返すインパクトがある。ベラのあとがき付きのものを著者グレイが手に入れ、序文や詳細な註をつけたのが、本書『哀れなるものたち』という体裁である。序文と註がもう一度物語をひっくり返す。
訳者あとがきにはグレイが語ったものとして「わたしは真実しか言わないし、書きもしない。嘘をつくとき以外は」という言葉が引用されているのだが、いささか人を食ったような警句めいたフレーズである。あるいはこの訳者あとがきも著者の姿勢を踏襲した一種の枠であるのかもしれない。
さて、読者としては、誰の「語り」を信じればよいのだろうか。個人的にはベラの語りを支持したいところではあるが、そうすると怪奇譚の風味は失われる。やはりこのいささか混沌としたパッケージをそのまま味わうところに妙味があるのかもしれない。

『フランケンシュタイン』を想起させるヒントは、死体の蘇りという設定だけでなく、ゴドウィン(メアリー・シェリーの実父の姓)、ヴィクトリア(『フランケンシュタイン』の怪物を産んだ科学者のファーストネーム、ヴィクターの女性名)といった名前にもあるし、枠物語という形式も、あるいは『フランケンシュタイン』に則っているのかもしれない。
但し、本作は単に『フランケンシュタイン』のパロディというだけではなく、ヴィクトリア朝という時代へのオマージュでもあるように感じる。言葉遊びも随所にちりばめられ、ベラの成長に合わせて彼女の手紙の文体も自由自在に変化し、奇才が天衣無縫に遊んでいるようにも見えてくる。何だか、著者の掌で転がされているような読み心地でもある。

映画は比較的フェミニズム的な視点が中心となっており、それはそれで2020年代「らしい」ようには思う。原作はそこだけにフォーカスしているわけではないと思うのだが、とはいえ、さまざまな解釈を許す懐の深さを持っている作品であるのかもしれない。

奇妙なお話である。
なぜ著者がこれに『哀れなるものたち』とタイトルをつけたのかはいま一つ掴み切れない。
生きとし生けるもの、すべて哀れなるものなのだ、という呵々大笑が遠くから聞こえるような気もする。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: フィクション
感想投稿日 : 2024年5月6日
読了日 : 2024年5月6日
本棚登録日 : 2024年5月6日

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