レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941‐44

  • 白水社 (2013年2月16日発売)
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1941年、レニングラードはドイツ軍によって封鎖される。比較的少ない兵力をもって都市への供給路を断ち、大都市を封じ込める。すなわち攻撃側の損害を最低限にしつつ、都市の首をじわじわと絞め、住民を餓死させた後に占領しようという、極めて邪悪な発想に基づく作戦だった。封鎖状態は実に872日に及んだ。

極限状態でレニングラードの人々が目にしたものは何か。
本作では、レニングラード市民やドイツ兵など、さまざまな人々が残した記録を元に、封鎖下のレニングラードを描き出していく。多数の視点からの描写は、地獄と化してゆく都市を立体的に再構築する。語り手は数多いが、巻末の人名索引がよき手引きとなる。丁寧に読んでいけば個々人の息遣いまで感じられるような、多層的なノンフィクションである。

絶望的な状況の中で、浮き彫りにされていく人の弱さ・強さ・醜さ・崇高さ。
パンは配給切符がなければ手に入らず、それとてごくわずかである。市民はベルトの革や壁紙の糊までも煮出して飢えを凌ぐ。さらにそれでは足らず、人肉食も頻発する。ついに、配給がまったく途絶えたのは厳しい冬の真っ只中、死者数は1日2万にも上ったと言われる。
「飢餓」の中でむき出しになる人間の姿は衝撃的である。
その一方で、人々を精神的に支えたのは、日常的な規則正しい活動であり、公共に対する奉仕であり、他者に対する思いやりであり、また芸術であった。日に何度も気を失うほどでありながら自発的に清掃に取り組む人々や、力を振り絞って楽器を演奏する演奏者の姿が胸を打つ。

ドイツ軍による作戦の非情さは言うまでもないが、赤軍側もまったく落ち度がなかったとは言い難い。少なくとも上層部の無能さが被害に拍車を掛けたのは間違いないだろう。また、一般市民の餓死が続出している一方で、職権で得た食べ物を飽きるほど食べ、あるいは高額で売り飛ばし、文字通り私服を肥やす者も現れていた。

長きにわたる封鎖に耐えたレニングラードの勝利は英雄的なものとして賞賛されたが、ソヴィエトの公式記録の中では、「飢餓」の部分は削られている。人に知られぬまま闇に葬り去られた悲劇がいかに多かったか、想像も付かない。
犠牲となったレニングラード市民は当局発表によれば63万人だが、実際のところはその倍かそれ以上という説もある。飢餓に加え、初期の児童疎開の失敗、氷結した湖上を逃走中に氷の裂け目に沈んだ人々など、記録に残っていない犠牲者も多い。

重い内容であるので、読むにはいささかの覚悟があった方がよいかもしれない。
個人的には「これほどのことがあったのか」「これほどのことを自分は知らなかったのか」の2点に衝撃を受ける本だった。
封鎖下で数多くのスケッチを描いたエレーナ・マルチラが後に語った言葉が印象深い。
「戦争は怖ろしいです。でも私が闘っていたのは、ファシズムに対してであって、ドイツ国民ではありません。そしてファシズムは私たち全員の中に存在するのです」

この主題では『攻防900日』(ハリソン・ソールズベリー(原著出版は1969年))が古典的名著と言われる。その後、多くの新資料も得られてきているようである。
著者は軍事史研究が専門であるが、本書では市民の苦難や活力に重点を置いている。丁寧な取材による労作である。
訳者の注やあとがきも綿密で、非常に参考になった。



*『卵をめぐる祖父の戦争』は、このときのレニングラードを舞台としている。本書を読んだ上で読み返すとまた印象が変わりそうである。

*ビリー・ジョエルの「レニングラード」(Storm Front(1989))に出てくるヴィクターはこの包囲戦の孤児である。

*このテーマに関して、日本で出版されている本のほとんどは翻訳書であり、さほど多くはないようだ。訳者あとがきに、前出の『攻防900日』に加え、『封鎖下のレニングラード』(ドミトリー・パブロフ・大陸書房・1971年)、『ドキュメント:封鎖・飢餓・人間』(ダニール・グラーニン・新時代社・1986年)が挙げられている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 戦争
感想投稿日 : 2013年4月2日
読了日 : 2013年4月2日
本棚登録日 : 2013年3月6日

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