ピタゴラスの定理の説明からワイルズによるフェルマーの最終定理の証明まで、数学の歴史をカバーしながら語っている。
前半と後半に分けるとするなら谷山・志村予想が境界線かな?
前半はnが特定の数のときの証明への挑戦の歴史で、数学者の人生と数学をとりまく時代背景についての解説が豊富。
数学的トリビア満載の前半と趣は変わって後半はかなり複雑だが、著者はわたしたち素人の読者にうわべだけでも理解できるようにわかりやすく解説している。流れはこんな感じ。

●すべての楕円方程式はモジュラー形式に関連すると谷山・志村が予想し、予想が仮定するとして数論が発展。
●フライが最終定理の式を楕円方程式に変換するものの、その式はおそらくモジュラー形式でない、つまり谷山・志村予想が証明されると最終定理はおそらく正しいということを主張。
●リベットがフライの式がモジュラー形式でないことを証明。
●ワイルズがガロアを参考にして、すべての楕円方程式のE系列の1番目の要素が、すべてのモジュラー形式の1番目の要素に一致することを証明。
●ワイルズが楕円方程式のいち分析法、コリヴァギン=フラッハ法を用いて特定の楕円方程式の全要素について帰納的に証明。
●すべての楕円方程式をいくつかの群に分類、一つ一つの群についてモジュラー形式であることを証明。
●証明を発表し賞賛されるものの、一部コリヴァギン=フラッハ法の運用に若干の不備が発覚。
●一度は挫折したやり方である岩澤理論と補いあうようにして論理の穴を埋める。完全に証明!

一つの数式が多くの人生を巻き込んだというドラマチックな側面だけでなく、数学そのものの不思議な世界の魅力の虜になった。

2012年1月15日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2012年1月15日]
カテゴリ 自然科学

「悪徳の限りを尽くす」という表現がある。
しかし、悪徳が尽きてしまった後のこころには何が残るのか。

過去に人生の負の側面といえるものを謳歌した「ぼく」は、記憶を失った未紀の存在に吸い寄せられていく。「ぼく」は、過去に「ぼく」と同じ蜜を味わった未紀の残したノートの真相に近づこうとするが……というのがあらすじ。

この小説では美しい比喩を用いて、美学を持って悪事をする人間が丁寧に描かれている。
今でいうところの「厨二病」タイプの人物が数多く登場するが、簡単に型に入れることができるようなものでもなく、「昭和の厨二病すげぇな」と思ってしまった。
とりわけ未紀が魅力的で、彼女の言動の裏を読みながら小説を読み進めるとより楽しめるだろう。

2012年1月1日

読書状況 読み終わった [2012年1月1日]
カテゴリ 日本の小説

この小説の肝はある人物の成長過程を描いた10章と11章。
単なる過去編にとどまらず、小説全体の中核にもなっている。
そこには隙間なく暴力という暴力が詰め込まれている。
被虐と加虐を行ったり来たりのこの暴力の連鎖終わらせてくれよと主人公に同調したくなるが尚も続く。
わずか60頁ほどに暴力が支配する10年間がとんでもない圧力で描かれていて、物語の世界に強く惹きつけられた。

2011年12月30日

読書状況 読み終わった [2011年12月30日]
カテゴリ 日本の小説

感性の豊かなころでしか気付けないことはたくさんある。
今をつまらないと思っている人は、先を急いでどんどん進んで行ってしまうだろう。
でも、視野を広げて今を見据えることも選択肢の一つとして考えてみてもいいんじゃないだろうか、ということを示唆してくれた一冊。

2011年12月27日

読書状況 読み終わった [2011年12月27日]
カテゴリ 日本の小説

主人公は西へ東へと駆け回って失踪者の手がかりを掴んでいくのだが、一度にあまり多くの情報が得られることが無く、もどかしい。
また、主人公は失踪者のとった行動をよく考察するのだが、妄想の域を出ない無駄なものもある。そこは読者の想像力を信頼して、思い切って省いた方が物語の世界に深みが出るだろう。
失踪者の人格は、物語のなかでの多くの証言から、うまく浮かび上がらせることに成功している。失踪者あるいは彼女に近い境遇にある人を見つめる私の視点も多角的なものになった。

2011年12月1日

読書状況 読み終わった [2011年12月1日]
カテゴリ 日本の小説
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