ネタバレは、人によって気にしない人もいれば、すごく気にする人もいる。
ネタバレを気にしないから、そのことをずっと疑問に思っていたけれど、この本を読んで、ちょっとスッキリ。

『ストーリー、つまり行き着く先は同じでも、どんな台詞を言わせるか、…作者によって違うはずだ。というか、それをちがわせるのが、…作家としての才能なんだと思う。』

本を読んでいて、特に小説は、まっすぐに進むストーリーはほとんどない。
迂回したり、戻されたり、まるで感情のジェットコースターのように進んでいくのが小説で、その瞬間を楽しみ続けるのがおもしろさだと思う。

確かに、ネタバレを通して、ハイライトと終わりを知ってしまうと、あっけなく感じる。
その通りなんだけど、2回目のジェットコースターがつまらないかというと、必ずしもそうではない。

前とは違った景色を見たり、思わぬところで怖さを感じたり。1度目とは違う味わい方がある。

名作であればあるほど、味が終わることのないガムのように、読み続けることができる。

ただ、それができるようになるには、ちょっとしたコツがあった方がいい。

自分の本の読み方を大切にしつつも、じゃあ文学を研究する人ってどうやって読んでいるのだろう?となんとなく思ったときに、構えることなく、サラサラと読むことができる1冊。

2021年1月23日

読書状況 いま読んでる

地下世界やアンダーグラウンド、その言葉に魅了される人がいるのはなぜでしょうかー。

ニューヨークの地下鉄から始まる冒険は、世界をまたぎ、宗教や哲学にまで広がっていきます。

街の景観や、光のコントラストの美しさを味わうのもいいですが、不安になるような真っ暗闇の洞窟のリアリティを、この本で擬似体験してみるのも、たまにはよいのかもしれません。

やっぱりノンフィクションっておもしろいですね。

2021年1月18日

読書状況 読み終わった [2021年1月18日]

(ちょうどクリスマスに読み始めたら、物語の季節もぴったりあっていてビックリした。
こんな偶然も本にはある。だから面白い。)

感情的になるたびに、こんな気持ちなくなってしまえばいいのに。

どんなときでも冷静でいられることは、その時の自分にとっては憧れだった。

でも、ユンジェは、そんな喜怒哀楽を、扁桃体(アーモンド)が小さいがために、感じることができない。


クリスマスイブの夜の、衝撃的な事件から、物語は唐突に始まり、ユンジェを取り巻く環境は大きく変わった。ただ、彼は感情がないために、泣くこともなく、悲しむといっても、表面的なものでしかなかった。

降ったあとにすぐ溶けてしまう雪のように、静かに、淡々と進んでいく物語。まるで感情のないユンジェから見た世界のような文章は、なぜかものすごく惹きつけられる。

最初から感情がない、というのはどんな気持ちなのだろう。そんな息子をもった母は、不安が募るばかり。

だから、ユンジェの母も色々試行錯誤しながら、相手の気持ちが理解できるようにしてこうとするのだけれど、やはりうまくいかない。

でも、少しずつ、ユンジェは変わっていく。
どう変わっていくかは、ネタバレになってしまうので控えるけれども、読み終えて、久しぶりに涙が溢れた。

本屋大賞にも選ばれているので、もしかしたら、映画化とかするのかもしれない。

でも、主人公の顔だとか、気持ちとかの行間を、豊かな想像力で補うことができるのが、文章の面白さだから、できることなら小説で、と思える一冊。

2021年1月2日

読書状況 読み終わった [2020年12月28日]
カテゴリ 2021年1月の本棚
読書状況 読み終わった [2020年12月28日]
カテゴリ 2021年1月の本棚

この本のタイトルを見たときに、そもそもヘレンケラーについて自分が知っていることは何か。

そして、優しいタッチで描かれたイラストなのにも関わらず、なぜ「怒りと愛を込めた手紙」というタイトルなのだろうという疑問が浮かんだ。

幼少期からほとんど目が見えない障害を抱えた著者は、「どうしてヘレンケラーのようになれないの」という言葉に悩まされ続けた。

まるで神話のように語り継がれる、ヘレンケラーのエピソードを、多くの文献と想像力で、生き生きとした、1人の人間としてのヘレンケラーへと変えようとする試みは、こうしたことがきっかけに生まれたそう。

全ての物語がそうである、とは言いきれないが、物語としての重要な要素である、「わかりやすさ」が、かえって人間性を失わせることにつながっているのかもしれない。

そうした意味では、文献を参考にし、ときには想像力で補い、エピソードを広げようとする著者の試みは、物語にする流れの真逆を行くもののように思えた(現に、性に関することにもあえて触れていた)。

生き生きとした文章で、まるで自分がその場にいるような気にさせられた。

食べ物の匂いや、肌の質感、喧騒まで、本の中にでてくる多彩な表現を前にして、五感を研ぎ澄ませながら、読むことをお勧めします。

2021年1月18日

読書状況 読み終わった [2021年1月16日]
カテゴリ 2021年1月の本棚

「黒い」と言われて想像するものは人によって異なる。

身の回りの黒いものを探すと、様々なものが挙げられるが、濃淡や光沢感の違いから、同じ色でも、全く違う印象を与える色であるように思える。同じ「黒」でも、好きな「黒」と嫌いな「黒」があるのは、なんとも不思議。

そんな黒の中でも、服飾にまつわる黒色の歴史について、この本には書かれている。

話は、街の景観のカラーコントロールから始まる。そして服の色へ。
喪服としての黒、流行としての黒…。
長い間、今でも愛され続ける黒は、時代とともにどう変化していったのか。

個性を隠す色から、主張する色への、劇的な変化を目の当たりにすると、ものすごく深みを感じました。

新しい発想は、常に自由の中で生まれるのではなく、制限の中にも浮かび上がるものなのです。

白黒を「単色で地味」と捉えるのでなく、色の制限という発想を捨てて、数ある中から黒を選び取る…。

黒に限らず、他の色に対しても言及されていますが、きっと、本を読み終わる頃には、服を選ぶ際には、「無難な黒」という考えは、変わることでしょう。(2020.12.10)

2020年12月10日

読書状況 読み終わった [2020年12月28日]
読書状況 読み終わった [2020年12月28日]

じんわりと、心温まる。5つの短編集。


コロナ禍になってから、あまり行くことのなくなってしまった、図書館。

この本では、コミュニティセンターにある小さな図書館と、その中にあるレファレンスルームが登場します。

さまざまな想いを抱いた各話の主人公たちは、レファレンスルームにいる小町さんの元へ足を運びます。
彼らは、欲しいジャンルの本を伝えると、おすすめの本数冊と、何故か一冊だけ全くジャンルの違う本、「付録」と称した、羊毛フェルトでできたマスコットが渡されます。

「なぜこの本が?」と、主人公と一緒に考えてしまいます。でも、きっと意味があるんだ。となんとかして考えようと読み進め、最後にはそういうことだったのか、と納得。

各話での、主人公の感じたことは、自分のことのように強く強く突き刺さってきます。


ー『どんな本もそうだけど、書物そのものに力があるというよりは、あなたがそういう読み方をしたっていう、そこに価値があるんだよ』

この言葉。すごくいいな、と思いました。

本の読み方だとか、要点のまとめ方とか、重要な部分はどことか。
みんながマーカーで線を引くような場所じゃないから「違う」のではなくて、そこに「自分らしさ」が宿ってるんですよね。


例え1行でも。
自分が感じたことを下手くそでも文章にして綴ることを、これからも続けようかと思います。

2020年12月1日

読書状況 読み終わった [2020年12月1日]
読書状況 読み終わった [2020年11月19日]

私たちはカメラで、目で見たままの景色を写すことができるのに、未だに絵を見る理由はなんだろうか。

序盤に書かれているこの言葉に、少しハッとしました。

ロンドンナショナルギャラリー展を前にして、忘れかけていた絵との向き合い方。
以前読んだ本にも目を通しながら、この本も別の角度から切り込んでいて面白いと感じて、購入しました。

景色を絵に描こうとした時に、その人の解釈が絵に宿ると思います。

ルネサンス期に登場した、遠近法を使うことで、額縁を窓のように見立てたり、カラヴァッジョをはじめとする、明暗を分けて、主題を強調したり。
そして、印象派のように、光を絵の中に取り入れるための技法。
現代に近づけば、さらに技術は複雑化し、そもそも絵とは何か?アートとはなんだろう?とアートの限界に挑む、マルセル・デュシャン。
最近では、ステンシルアートとして有名なバンクシーなど、もはや、逆にカメラで作品を撮影するようにまでなりました。

どちらかと言えば、絵に関する見方よりも知識が欲しいと考えている方に、こちらの本をお勧めします。

本編もさることながら、後編のギャラリートークは、絵に関わる、「外」の世界のことについて書かれており、こちらも魅力的でした。

特に印象深かったのは、最後の方に書かれていた言葉でした。

『私たちは絵を見るとき、それが昔の西洋の絵だとわかっていても、私たち自身の、つまり現代の日本の生活に涵養されたまなざしを向けてしまう。それは仕方のないことだし、それでも鑑賞に堪えるのだが、絵が描かれた時代の人々はまったく別の象徴体系に根ざした感性によってものを見ていたということは、頭のどこかに置いておいたほうがいい。』

これは、本においても、同じことがいえるような気がします。

2020年11月19日

読書状況 読み終わった [2020年11月15日]
読書状況 読み終わった [2020年11月15日]

ふと思い立ち、2年ぶりに再読しました。

現代の私たちは、あまりにも視覚に頼りすぎているー。
視覚以外の世界もあっていいはずですが、それらを見逃してはいないでしょうか?

そもそも、「見えないこと」とは、視覚以外の感覚を使って、どう全体のバランスをとるかのことであり、感覚の欠如ではないのです。

私たちは、(著者によると)あらゆる「情報」から「主観的な意味」を読み取る「環世界」に生きていると述べられています。

「情報」と「意味」ー。
そこから派生する空間、感覚、運動、言葉、そしてユーモアの捉え方は、実は私たち健常者の方が「見えていない」ことを思い知らされました。

なかでも、視覚障害者とともに鑑賞する、美術展の「ソーシャルビュー」は、初めて読んだときに、それがあることに驚かされました。
今回は、絵を見ている最中に、言葉にすることで改めて解釈が変わることもあるという点について驚かされました。
私は、絵の横にある解説ばかりに目がいき、その情報をもとに絵を見ることが多くありましたが、それは美術鑑賞とはいえないのです。

鑑賞とは『自分から表現し、作品を作り直すこと』なのだと、この本から改めて思い知らされました。

視覚「情報」にばかり頼りすぎる私たちは、いつもオーバーフロー気味な気がします。
ときには情報を遮断して、意味合いについてじっくり考えてみるのも、よいかもしれません。

2020年11月2日

読書状況 読み終わった [2020年10月31日]
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