好きに読めばよい、というが真理だと思う。
読書から何かを得たいという我欲もあるものだが、それはそれで目的を持った読書でも良いし、目的を持たない読書でも良いと、いずれも肯定されるべきなのだ。なぜなら、読書とはどこまでいても個人的な所作なのだから。自分自身が納得するか否かは、自分への問いかけでしかない。ページを開けば、そこに著者の語りといつでも出会える、無視もできる、後戻りして読むこともできる、素直にも読める。曲解もできる。
この本で紹介されるようなエピソードについては、頭に入れていつでも引き出す事ができたら素敵だなと思った。身につければ、誰かにそれを贈ることができるのだから。例えば、
瀬島龍三の本の紹介。『幾山河 人間性の問題』より。
― 自身が空腹のときにパンを病気の友に分与するのは、簡単にできることではない。しかし、それを実行する人を見ると、これこそ人間にとって最も尊いことだと痛感した。「自らを犠牲にして人のため、世のために尽くすことこそ人間最高の道徳」であろう。それは階級の上下、学歴の高低に関係のない至高の現実だった。私は幼少より軍人社会に育ち、生きてきたので、軍人の階級イコール人間の価値と信じ込んできたが、こんな現実に遭遇して、目を覚まされる思いだった。軍隊での階級、企業の職階などは組織の維持運営の手段にすぎず、人間の真価とは全く別である。
― アランは、人間というのは自らの意志で幸福になろうとしないと幸福にはなれない存在であり、幸福とは意志と自己克服によるものだ、と考えたのです。そして、幸福になるには「幸福になるのだ」という強い意志をもって自分を律する必要があり、結局のところ、それは「心と体の使い方で決まる」と考えました。このような言説を読書を通じてインプットしながら、同時に頭だけでなく身体も使って体験(実践知)を積み上げていく。そして、自分が幸せになるとはどういうことなのかを、また本を手に取って考え直してみる。こうした地道な繰り返しによって、ようやく「自分が何を望んでいるのか」を、自分なりにつかめるようになるのです。
こうした言葉に出会うとき、読書をしながら息を止めている事に気付く。そうした体の変化を感じるので、メモ書きするのだ。深く、印象に残る言葉とはそういうものだという気がする。そして、メモに残すのは、どこかで使いたい、身に着けたい、誰かに贈りたい、という衝動だ。そうした〝言葉″が本書に溢れている。読書における「言葉との出会い」がちりばめられた一冊だ。
- 感想投稿日 : 2024年11月21日
- 読了日 : 2024年11月21日
- 本棚登録日 : 2024年11月17日
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