騒音も苦手だし、不規則で驚かさるような音、静かな場所での雑音、誰かが不満を表現するような音も嫌いだ。好きな人はいないと思う。私はそうした音に対して耳栓をして過ごすようにしている。それだけじゃなくて、内なる雑音にも時々耐えられない。自然の音は好きで、静かに浸っていたいと思うが、意に反して外からも中からも、途切れる事なくノイズに晒されて。
静寂の技法という位だから、そうしたノイズから解放される。そんな期待を込めて読む。期待が心の残響となる矛盾を抱えながら、静寂を求める。
過去についてくどくど考えたり、未来についてあれこれ心配したりするような、頭の中のネガティブな独り言。頭の中の声は、きわめて早口で、内的発話(内言)」は毎分約4000語で、外部発話(外言)の10倍の速度らしい。そんな言葉が幾らでも湧いてくる。同様に、スマホが意識をいたずらに左右し、脳内に浸透して掻き乱す。
聴覚騒音、情報騒音、内部騒音。
今、考えていた騒音の種類が、本書で言語化される。工事現場の音、スマホの誘導、心の声。偏見だが、音楽家や子供や赤ちゃん、作業に必要な騒音は別として、人生で自ら起こす騒音の総量は、知性と反比例する。煩いバイクや車が通るたびにそう思う。
さて、技法だ。詳細は省くが、幾つかの項目を挙げるなら、「読書、運動、呼吸、瞑想、自然、儀式」最近の何冊かの本から、呼吸はそうだなと思うのと、案外、簡単にいけそうなのが儀式だ。儀式と言っても、右側から靴を履くとか、自分ルールの事。身につけるものでも良い。つまりは、自己暗示。気休めにしかならない。やはり耳栓つけて本を読むのが一番だ。
- 感想投稿日 : 2025年2月23日
- 読了日 : 2025年2月23日
- 本棚登録日 : 2025年2月17日
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