無名戦没者たちの声―千鳥ヶ淵と昭和 (岩波ブックレット)

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  • 岩波書店 (1989年7月20日発売)
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こないだ読んだ『子どもの涙』で、巻末の解説を書いていたのが石川逸子だった。思春期の徐京植さんが憧れたという詩人。

その人の『無名戦没者たちの声 千鳥ヶ淵と昭和』と、詩集『千鳥ケ淵へ行きましたか』を借りてきた。

「二つの地図」の話に、胸がつまる。

その一つは、特攻で命を散らした渡辺静さんがノートに描きのこした生まれ故郷の地図。二度と帰ることのかなわないふるさとを、ていねいにていねいに描いたもの。渡辺さんは、同じノートに、家族全員の名を二度にわたって書き綴っていたという。

もう一つは、中国系マレーシア人の女性・簫嬌さんが描いた、今はなきふるさと、イロンイロン村の地図。シンガポールをめざして南下を続けていた日本軍は、軍に協力しない住民に対して「断固其ノ生存ヲ認メサルモノトス」との強硬策で、住民殺害をおこない、村を消し去った。イロンイロン村も一夜にして廃墟となり、住民のほとんどは命を落とした。簫嬌さんは、たまたま村の入り口で日本軍を見つけ、姉とともに逃げ出して、辛くも生きのびた。翌朝戻った村は死の海で、簫嬌さんは無惨に殺された母と弟の亡骸を見つける。父と兄弟はついに見つからなかったという。

千鳥ヶ淵は、武道館や靖国神社、東京の近美などからそう遠くないところ。私も近くを通ったことはあるが、墓苑には行ったことがない。この墓苑は、"先の大戦で海外における戦没軍人及び一般邦人のご遺骨を納めた「無名戦没者の墓」"として1959年につくられたものだという。

冒頭で、ある遺族・石崎さんのお話が引かれている。
▼遺族運動の原点は、遺族の相互扶助と戦争の防止、世界の恒久平和の確立であったのです。当時の遺族通信にもね、「戦争は人為的に不幸な人を数限りなくつくり出すのであって、正義の戦いとか、国家のためとかいうが、そうしたことを超越して戦争は人類にとって全く大きな罪悪である」と書かれてありますようにね、それが遺族共通の願いなんです。それが英霊顕彰運動へとねじ曲げられていってしまったのです。私の夫は英霊とたたえられることを希んではおりません(pp.3-4)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館で借りた
感想投稿日 : 2010年10月6日
読了日 : 2010年9月30日
本棚登録日 : 2010年9月30日

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