どん底 部落差別自作自演事件

著者 :
  • 小学館 (2012年4月2日発売)
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感想 : 18

月刊『部落解放』で高山文彦が連載していた「新破戒」が終わったのはいつやったかなとバックナンバーの目次を調べたら、連載終了は昨春で、そろそろ本になってないかと図書館の蔵書検索をしてみたら、「新破戒」はなかったけど、この本を見つけて借りてきた。

サブタイトルにある「部落差別自作自演事件」は、福岡の被差別部落で実際にあった事件。2003年から2009年にかけて、山岡一郎(仮名)のもとへ、あるいは勤務先や上司へと差別ハガキが送られてきた。巻末には、その全44通の内容が掲載されている。「部落の人を辞めさせてください」とか「部落にクソあれ、あんたに不幸あれ」など、書かれた内容はひどい。

何より驚くのは、この差別ハガキを書いて送り続けたのは、当の山岡(仮名)本人だったということ。「すなわち彼が差別した部落民とは自分自身なのであり、読むに堪えないおぞましい言葉の数々を自分自身に向かって吐きつづけたのだ」(p.6)という事件だった。

著者は「事件の一部始終を可能な限り詳細に描き出し、後世への記録としたい」(p.11)という。差別事件の「被害者」がみずから加害をおこなっていた、という事件をどう考えたらいいのか。読んだ後味はわるい。この山岡(仮名)という人が、何を思い、何を考えてこんなことをしたのか、私には分からない。

自身が部落の出であることを知らず、部落に対して差別的な言動をおこなう例はあるという。しかし、山岡(仮名)は自分が部落出身だと認識し、そして地元の部落解放同盟の役員でもあり、それでいて、ひどい差別ハガキを書いている。いうならば確信犯としての差別者なのだ。

事件の犯人として逮捕されるまで、山岡(仮名)は「被害者」として、時には妻を伴い、集会や講演の場で涙ながらに差別への怒りや苦しみを訴えていた。地元の部落解放同盟は犯人をあげて糾弾するべくキャンペーンを張り、町はハガキが来るたびに対策会議や啓発活動に追われた。ついには県議会でもとりあげられ、県知事や県警本部長が徹底究明を約束する答弁をおこない、県警本部が派遣した特捜班によって山岡(仮名)が逮捕されたのである。

「第二の狭山にしたらいかんけん、われわれも慎重に操作をしてきたとですよ。ばってん、どこをたどっても、最後は山岡に行き着いてしまうとです」(p.273)と捜査員は語ったという。

糾弾について、この本では、福岡連隊爆破陰謀事件をでっちあげられて投獄生活を送った松本治一郎を、その陰謀をはかった特高刑事が許しを請いたいと訪ねてきたときのエピソードが出てくる。松本はかつての特高刑事に対し、「君もずいぶん苦しんできただろう。言っておくが、われわれが闘ってきたのは、君個人ではない。君の背後にあるものと闘ってきたのだ」(p.130)と語りかけた。

この治一郎の話をひきあいに出して、組坂繁之(部落解放同盟の執行委員長)は、縁戚の組坂幸喜に対して「糾弾とはな、個人攻撃をすることではない。個人を差別に走らせるものがなんなのか、つねに視野にとらえておかんといかんのさ」(p.131)と説いている。

では、自作自演の差別事件を起こした山岡(仮名)は、なにゆえに差別に走ったのか。

山岡(仮名)は役場の嘱託職員で、契約は1年ごとの更新だった。来年度はクビになるのではと不安に襲われていたといい、差別ハガキを出せば「行政は同和問題に取り組んでおり、被害者となれば解雇をしにくくなり、継続してもらえると思いました」(p.300)と裁判で述べている。

裁判ののち、山岡(仮名)本人に対する糾弾学習会がひらかれた模様を終章は伝える。喪服姿であらわれた山岡(仮名)は詫びを言って土下座をしたというが、結局のところ、事件の「原因」や「背景」、「今後の行動」については何も具体的な話をしなかった。

"裸になって"自身の真相を語ることもない山岡(仮名)に対し、ムラの人たちの代表的な考えは、「あげなハガキをいっぱい出しとって、ムラを出ていこうともせん。…(略)… ムラのみんなを裏切ってきたくせに、解放運動で勝ちとった住宅にずっとおろうとする根性が、私には理解できんとです」(p.358)というものだった。

糾弾会にも出席した著者は、こう書いている。
▼山岡一郎は結局、一度も自分のなかに存在する部落差別の意識を認めることはなかった。差別ハガキのターゲットとした佐藤春之にたいしてさえ、「差別意識をもってしたのではない」と言い張った。思考力や想像力を深化させていけない幼児性や自己愛のつよさがここには感じられるけれど、それにしても彼は、部落民が部落民を差別する、それも支部長にまでなろうとした男が差別ハガキを44通も書きつづける、という離れ技をまるで楽しむように軽々とやってのけた点で、きわめて冷静な犯罪者であった。そして最後の最後まで「差別意識はない」と言い張る点で─彼はほんとうにそのように思っているようだった─、非情で冷酷な差別者だった。(p.395)

この事件を追ってきた著者は、山岡(仮名)を指導し支えてきた部落解放同盟の指導者層は「なんらかのかたちで山岡一郎の犯罪の温床となってしまった自分たちの取り組みについて弁明をすべきであったろう」(p.395)と指摘する。

とはいえ、著者は、安易に同盟批判をするわけではない。山岡(仮名)に向けられるべき感情の矛先が、被差別部落や解放運動に向けられることをおそれるとはっきり書いている。

とりわけ著者は、「騙されていることに気づかぬまま彼のことを何年も熱心にささえ、部落差別の根絶のために駆けずりまわった組坂幸喜をはじめとする人びとがいたことを、私は深く心に記憶したい」(p.396)と書き、むしろこの人たちを書きとどめておきたいと思ったから、この事件に取り組んだのかもしれないと記している。

▼彼らは他者の痛みを自分の痛みとして、山岡の家族の問題をもふくめて心配し、できるかぎりの手を打った。同胞の苦しみや悲惨に手をさしのべ、身の危険を思ったら即座にもちまわりでパトロールにあたった遠方をふくむムラの人たちのあたたかい心は、この憂鬱な事件の渦中にあって、たったひとつの光であった。…(略)…
 ただごとではない情熱と犠牲とをはらいながら今年創立90周年を迎えるこの運動は、近年、山岡事件をふくむさまざまな不祥事を起こしてはきたが、それのみをもって指弾されるべきちゃちな歴史ではない。人間の尊厳と可能性と限界を濃密に物語る、じつに人間くさい大衆団体の推移は、日本近代の歴史の波をまともにかぶりつづけ、慟哭、熱狂してきた大切な日本人の記録なのである。(pp.396-397)

読後感はけっしてよくない本だけれど、それでも読んでよかったと思う。高山が解放運動の詳しい歴史を書いたという『水平記』という分厚い本を、この本を読んだあとに図書館で借りてきた。

『どん底』のカバー装画は、ヒエロニムス・ボスの「乾草車」のうち"地獄"が使われている(同じヒエロニムス・ボスの「快楽の園」のうちの"地獄"が『巣窟の祭典』のカバー装画に使われている)。

(12/10了)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館で借りた
感想投稿日 : 2015年1月5日
読了日 : 2014年12月10日
本棚登録日 : 2014年12月10日

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