脱資本主義宣言―グローバル経済が蝕む暮らし

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レビュー : 21
著者 :
乱読ぴょんさん 人に借りた   読み終わった 

パーマカルチャーがなんとかいう講座へ、リック・タナカさんの「降りていくための処方箋」などが載った『We』175号を背負っていったときに知りあったのが、長屋の傍房の管理人さんだった。なんどか傍房へあそびにいき、お茶を飲み飲み編み物をしたり。

この本は、管理人さんから借りていた。「暮らしを持ち寄る集会所」になればと傍房をひらき、"物やエネルギーの消費に頼るばかりではない暮らし"をかんがえてこられたのだろう管理人さんのことや、自分の暮らしのことをいろいろと思いながら読んだ。

たぶん、よく言われるのだろう、「おわりに」でこう書いてある。
▼「脱資本主義」などと言うと、「社会主義にするのか」「カネを使わないのか」「昔に戻るのか」などと極端な反論が飛んできそうだが、どれも違う。少なくとも自分は、とりあえず理想とする方向に向かってみて、その先のことはその都度考えればいいという立場だ。なぜなら、どういう社会にすべきかは、それぞれの場所によって違う答があるはずだから。(p.214)

著者は、"経済の仕組み"について疑問を持ち、調べ始めたころから、「極力カネに依存しない生活をしてみたことがある」(p.212)という。そうして、なるべく買わないようになり、貸し借りや物々交換をすることも多くなり、「何につけても、何を買うか考えるのではなく、どこまで自分でできるのか、すでにあるものがどう使えるのかを考えるようになった」(p.212)そうだ。

▼カネを使わないほうが楽に生きられる、とは言えない。むしろ一般的には、何でも買って済ませたほうが楽だとされている。けれどもこうしたほうが、何と言うか、生きることに興味が湧いてくる。(p.213)

「GDPは豊かさを示さない」(p.135-)、「貧困とは配分の誤り」(p.157-)のところは特に、あーそうやなーと思った。経済学では、GDPが増えること=イイこととされていて、GDPが増えることが経済成長だというのだが、それはホンマにイイことなのか?

GDPという指標は、カネを使うほど大きくなる。たとえば、
・弁当を作っていくよりも、お金を払ってランチを食べれば
・引越しの手伝いを友人に頼むよりも、業者に頼めば
・水道水を飲まずに、ボトル入りの水を買えば
・公園で遊ばずに、遊園地へ行けば
・服を繕わず、捨てて新しく買えば
・自転車をやめて、タクシーに乗れば
…GDPは増える。

▼我々がカネを使わずに、自分自身で、家庭のなかで、友人と、あるいは隣近所といった共同体でやっていたことを、カネを払って誰かにやってもらうほど、それよりもたくさんのカネを使うほどGDPは増える。DIYや自給自足や共有や相互扶助を進めることは(それどころか単なる節約までもが!)、GDPを減らし経済を縮小させるのだ。(pp.136-137)

いろんなものが商品化され、カネを介したつながりに変えられていった。そうして経済は"成長"してきた。言い方を変えれば、「カネ依存」になることが、経済成長であり、GDPを増やすことなのだ。

貧しい人にお金がゆきわたらないのは、景気が悪いからだ、経済成長が足りないからだ、パイ全体を大きくすれば、配分が増えるのだというのだが、それよりも、パイの分け方を変えればいいんでしょ?配分がそもそもおかしいでしょ?と著者は突っ込む。

▼パイ全体を大きくすれば、確かに小さな一片は、多少は大きくなる。そして大きいほうの一片は、もっと巨大になる。これが「全体を大きくする」説を唱える側の狙いなのだ。(pp.158-159)

いろいろと、いかにこの社会は「経済の奴隷」養成システムのようになってるかを書いてあって、それなりに頷けるところもあるのだが、この本に書いてなくて、私が知りたいと思ったのは「教育費のこの高さはなんだ」ということと、そこのところを配分を変えるとかなんとかするには、ということ。

住居費も高いし、暮らすことにもやたらお金がかかるけど、教育費が高すぎるのも「稼ぐ仕事をやめるわけには…」と多くの人を縛ってると思う。なんとかならんものかと、ほんまに思う。

この本は、章の合間に「反抗のしかた」というコラムをはさみ、こんなふうに物申すことができる、こんなやり方があると紹介している。そのコラムの5番目で「宮下公園ナイキ化反対運動」のことをあらためて読み、図書館や公共施設の"民営化"も同じやなあと思った。

▼宮下公園のナイキ化は、もちろん「民営化」に他ならない。確かに公園の所有権までは売られていないが、所有権を移さずに私企業が設計や資金調達、運営などを担当する民営化が、今世界では主流なのだ。民営化とは"privatization"の訳語であり、つまり元は企業による「私物化」を指す言葉だ。民営化は新自由主義の基本政策で、「北」でも「南」でも、鉄道や病院などの公共のものや、水や種子などの共有のもの(コモンズ)がどんどん企業のものになり、カネの原理に飲み込まれてしまっている。(p.166)

「民営化」することで"コスト"を削減するというのも、なんだか当然の常識のようになってきつつあるのを感じるが、たとえばこの訳語が「私物化」だったとしたら、こんなにも普及しただろうか?

『We』175号の特集は「暮らしを自分の手に取り戻す」だった。お金をささやかに稼ぎつつ、ヘトヘトになったりせずに、みんながええように暮らしていける道は?と考える。

前に読んだ、平川克美の『経済成長という病』なんかをまた読みたくなった(この本のことはいつだったかの『We』で書いた気がするが、どの号だったか思い出せず)。

(3/20了)

※参考
「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」
http://minnanokouenn.blogspot.jp/
「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」とは?
http://minnanokouenn.blogspot.jp/2008/07/blog-post_14.html

レビュー投稿日
2014年3月21日
読了日
2014年3月20日
本棚登録日
2014年3月20日
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