もらったので読んでみる。同潤会の大塚女子アパートメントハウスが取り壊しになる!というので駆けつけたときには、もう解体工事が始まっていて、その外観を写真におさめることもかなわなかった著者が、「オールドミスの館」とよばれたこともあるというこのアパートの設立経緯や、ちょっと有名なかつての住人(たとえば古川丁未子、小野アンナ、戸川昌子、駒尺喜美)を数人と、その他入居していた人の声を古い雑誌などから拾って調べて書いた本。
アパート、という語感から、私はなんとなく、そういうちょっと有名な人も含むわりと小さな規模の集合住宅(せいぜい10戸か20戸ぐらい)を勝手にイメージして読んでいたが、よくよく読むと、このアパートは独身用居室が150室ほどもあり、店舗も5軒あるという、かなり大きなものなのだった。
1930年、昭和でいえば5年に建ったこのアパートは、交通の便がよく、80人入れる食堂があり(居室には調理設備なし=食堂で食べるのが前提)、各階には水洗の共同トイレ、地下には住人用の共同浴室やシャワー室、応接室やサンルームなどもあり、家賃もかなりお高い物件で、当時の、それなりに高給のとれる職業婦人(教師、タイピスト、銀行会社員、記者・著述家など)が入ったものらしい。
入居申込みの倍率は20倍にもなったそうで(150室ほどあるアパートだから、3000人以上が申し込んだということか)、「仕事をもった女性にとって憧れの住まい」だったと著者は書いている。今やったら、どんな感じか。あそこに住むのはオシャレ、カッコいい、ってことか。
戦後はここは都営アパートとなり、「高給とりの独身職業婦人」が入る時代は終わり、「経済的に困っている人」のための公営住宅になる。駒尺喜美はその時代に、住人だった婦人民主クラブの人の部屋に居候でころがりこみ、その後、抽選であたって部屋を借りたらしい。
著者は、女性が一人で家を構えて生活する、というスタイル、それが世帯のあり方の一つとして認知されたさきがけとなったのが、この大塚女子アパート「オールドミスの館」だったのではないかという。
▼…シングルの女の生活とは、あくまでも結婚する前の一時的な生活であったり、夫に死に別れたとか離婚したなどの想定外の事態の結果ととらえられていた。
たとえ住宅を購入しようと考えても、そのための公的な融資も独身女性は受けられなかった.独身婦人連盟の働きかけにより、「40歳以上の単身者」も住宅金融公庫の融資が受けられるようになったのは、1981年度からである。
日本の社会にとっては三世代同居とか核家族などが正しい「世帯」のカテゴリーであり、男性の場合も同じだろうが、シングルの女性の世帯というものは、「その他」扱いでしかなかったのだ。(pp.187-188)
男子禁制だった「オールドミスの館」に向けられた世間の悪意について著者がコメントしているなかで、「私としては、人間も生物としての種の保存のために男と女が引き合うように遺伝子に情報が組み込まれているのだから、それを肯定的にとらえてもいいと思うのだが」(p.69)というところだけは、その著者の考えに、えー、どうなん、遺伝子ぃ?と思った。男と女が引き合う「正しい」生物と、「その他」の生物がいるんかいなー、遺伝子って言われてもなー。
- 感想投稿日 : 2010年12月28日
- 読了日 : 2010年12月24日
- 本棚登録日 : 2010年12月24日
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