ヴェネツィアに死す (光文社古典新訳文庫 Aマ 1-1)

  • 光文社 (2007年3月1日発売)
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感想 : 49
3

トーマス・マンの代表的中編のひとつ。
ヴィスコンティの映画でも有名。映画はテレビでちらっと見たことがある。

内容は、よく知られているとおり、確固とした名声を築いた初老の小説家が、避暑地のヴェニスで美少年に魅せられるというもの。
20世紀を代表する大小説家であるトーマス・マンが、堅実で緻密な描写で、一人の芸術家の破滅を描いた作品。

おそらく傑作なのだろうが、個人的にはあまり面白くなかった。読んでも読まなくてもどうでもいいと思った本。
ドイツのくたびれたインテリおやじが恋する相手が美少年ではなくて美少女だったら、もう少し関心がわいたかもしれないが。

それに翻訳がどうも、イマイチなような気がする。

この光文社古典新訳文庫は、世界の名作といわれている作品を、新しい飜訳で紹介しようという画期的な企画で(いま、息をしている言葉で、もういちど古典を!)、ラインナップも飜訳の出来映えも素晴らしいの一言。
できればこの文庫で出る本は全部読んでみたいと思っているのだが、飜訳にはじめて不満を感じた。どこが、とははっきりいえないのだが。

そういえば、昔この作品は読んだはずなのだが、内容はすっかり忘れていた。昔もやっぱり退屈だなあと思いなが読んだんだろうか。それなら2度ムダな時間を使ったことになるなと思いながら持っている岩波文庫を見てみたら、20年以上前に一度読んでいることが判明。
しかも、アンダーラインなんか引いていて、けっこう感動した気配がある。

そうだったのか。
しかし、いったい何に感動したんだろう。
むかしは美少年方面に関心があったんだろうか。

チェックしている部分を読んでみると、どうやらその方面ではなくて、主人公のストイックな姿勢に関心を持ったようだ。その部分を読んでみると、なぜ新しい飜訳に不満を持ったのかわかった。

昔読んだ岩波文庫版。訳者は実吉捷郎。
この部分は、トーマス・マンの作品中でも有名な部分。

アッシェンバッハは一度、あまりめだたぬ個所で、現存するほとんどすべての偉大なものは、一つの「にもかかわらず」として現存し、憂患と苦悩、貧困、孤独、肉体の弱味、悪徳、情熱、そのほか無数の障害にもかかわらず成就したものだ、と端的に言明したことがある。(p18)

新しい飜訳では、

アッシェンバッハはかつておよそ目立たない箇所で、現存するほとんど全ての偉大なものは「にもかかわらず」として存在する、悩みや苦痛、貧困、孤独、病弱、悪徳、情熱、そして何千もの障害にもかかわらず成立したのだと、ダイレクトに語ったことがあった。(p21)

ほとんど同じような文章。
ただ、新訳版は、最後に「ダイレクト」なんてカタカナを使ったせいで、文章の格調が台無しになっている。まるで博多の森を「レベスタ」といってしまったときのようなガックリ感が漂う。
どうやらそういうセンスのなさと、この作品全体を流れる高い格調と美的な緊迫感があっていないようだ。

あるいは、

岩波文庫版

一体世の中に、弱さのもつ壮烈以外に、壮烈というものがあるだろうか
(p19-20)

新訳版

そもそも弱さのヒロイズムの他にどんなヒロイズムがあるのか
(p23)

「弱さのもつ壮烈」というとなんとなく伝わってくるものがあるが、「弱さのヒロイズム」となると、なんのことやらさっぱり。
違いはカタカナ使用の有無だけではないようで、たとえば、

岩波文庫版

孤独でだまりがちな者のする観察や、出会う事件は、社交的な者のそれらよりも、もうろうとしていると同時に痛切であり、かれの思想はいっそうおもくるしく、いっそう奇妙で、その上かならず一抹の哀愁を帯びているものだ
(p39)

新訳版

孤独と沈黙の人が行う観察や、その人が出会う出来事は、仲間の多い人の観察や出来事よりも曖昧であり、同日に切実でもある。そういう人の考えはより深刻で、変わっていて、どこかに悲哀の影がさしている
(p48)

前者は、おおそうなのかと思わず頷いてしまいそうな名文句、後者はたんなる叙述にすぎない。
どこでそういう違いが出てくるのか、その秘密はよくわからないが、岩波文庫版では、漢字とかなの選択に一語一語こだわっていることはうかがえる。
こう書いていて、実吉訳ならばもう一度読んでみようという気にはなってくるな。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本 :小説
感想投稿日 : 2018年9月19日
読了日 : 2018年1月29日
本棚登録日 : 2018年9月19日

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