幸田露伴 (ちくま日本文学全集)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 33
感想 : 3
4

ということで、幸田露伴。
面白くないかと思ったら、これが意外なほどオモシロカッタ。

感想その1

文章がうまいなあ。あたりまえだけど。
普段ネットを読んでいても上手な方はたくさんおられて、特に平易で清潔な文章を書かれる方々のものをステキだなあと思って読んでいます。
ただ私たちがいつも読んでいるネットとか新聞とか週刊誌の記事は総じて軽くて薄味なので、その風味にすっかり慣れたところに幸田露伴の濃厚で猛烈な文章を読むと、強い洋酒を飲まされたみたいに酔っぱらってくらくらしてしまいます。この酒がまた滋養分たっぷりの芳醇豊満な酒なわけで、そこらにある文章とはそれこそ次元を隔てた、溜息が出るくらい練達の文章です。

普通は風景描写なんか、かったるくて読み飛ばしてしまうんですが、読んでいて楽しいと思わせるのは、これは文章の力でしょう。

「天はさっきから薄暗くなっていたが、サーッというやや寒い風が下して来たかと見る間に、楢や槲の黄色な葉が空からばらついて降って来ると同時に、木の葉ばかりでは無く、ほん物の雨もはらはらと遣って来た。渓の上手の方を見あげると、薄白い雲がずんずんと押して来て、瞬く間に峰巒を蝕み、巌を蝕み、松を蝕み、たちまちもう対岸の高い巌壁をも絵心に蝕んで、好い景色を見せてくれるのは好かったが、その雲が今開いてさしかざした蝙蝠傘の上にまで蔽いかぶさったかと思うほど低く這下がって来ると、堪らない、ザアッという本降りになって、林木も声を合せて、何の事は無いこの山中に入って来た他国者をいじめでもするように襲った。晩成先生もさすがに慌て心になって少し駆け出したが、幸い取付きの農家はすぐに間近だったから、トットットッと走り着いて、農家の常の土間へ飛び込むと、傘が触って入り口の檐に竿を横たえて懸け吊してあった玉蜀黍の一把をバタリと落とした途端に、土間の隅の臼のあたりにかがんでいたらしい白い庭鳥が二三羽キャキャッと驚いた声を出して走り出した。
 何だナ、
と鈍い声がして、土間の左側の茶の間から首を出したのは、六十か七十か知れぬ白髪の油気の無い、火を付けたら心よく燃えそうに乱れ立ったモヤモヤ頭な婆さんで、皺だらけの黄色い顔の婆さんだった。キマリが悪くて、傘を搾めながらちょっと会釈して、寺の在処を尋ねた晩成先生の頭上から、じたじた水の垂れる傘のさきまでを見た婆さんは、それでもこの辺には見慣れぬ金釦の洋服に尊敬を表して……」(p106-108 「観画談」)

ところどころ分からない箇所もあるけれど、こうやって引用していても楽しい。いったいどこからこんな文章が生まれて来るんだろう。
(ちくま日本文学全集は難しい漢字にはルビがふってあってとても助かります。さすがにそこまで転記するのは面倒なので省きました。)

感想その2

幸田露伴は大人のための作家です。
高校生とか、20代で幸田露伴を読んでもたぶん楽しくなかったとおもう。芸術的でありながらエキセントリックなところがなく、われわれみたいなちょっとくたびれたオヤジあたりが読むと、萎びかかっていた心身のどこかに慈雨を受けたかのように、じんわりとホッとしてきます。
露伴の短編を騒がしい日々の合間にポツポツ読んでのびのびするなんて、趣味としてもなかなかのもので、これはいいものを見つけたなあと思います。

ここの部分なんかは、たしかにそう感じたことがあった筈だけど普段忘れている、そういう瞬間を思い出させてくれます。
こういう肯定的な状態を表現するというのはこれまであまり読んだ記憶がないので、それだけ難しいんだろうと思うんですが、それを見事に表現しています。
気に入った部分なので、もう一度だけ引用します。

「春は既に闌になった頃のある日であった。机のほとりに倦んだ身を横たえたら直に睡りそうな気持がしたので、立出でて庭へと縁から下りた。地は天運の和に乗じて、しっとりと潤いを帯びて踏み心もよく、小草の寸碧も時知り顔でかわゆらしい。夏には憎らしいものであるが、思わず莠や鷹の爪草にも目をとめて、やわらかな風の中に優しい心になって立つと、背中がほっかりと暖かいので、仰いで空を見ると、透明度の低い薄青い色の一面の中を真綿をのして吹飛ばしたような雲が動くか動かない位に動いている。庭には何の花もないが、少しばかりある常緑樹のそれぞれが、どこと無く生気を含んで、中には芽をふいているものもある。やがて和語で浅緑、漢語で嫩緑といおうよりは、俗に黄金のようなと一口にいった方がよい色の、その金のささへりを飾って旧の卯月の日の光に匂おうという支度を笑ましげにしている。梅なぞのような常緑樹の芽の早いものは、もう明るい緑をなしていて、やがての暗い涼しい蔭をつくろうとしている。狭い処を往還りして、ぶらありぶらありと歩いていると、太陽が慈悲の手さきをもって、まるで母が吾児の頭をなぶりでもするように、その何とも云われぬ懐かしい温味を、額や頬や項から伝えてくれる。春の神だの、夏の神だの、そんなものは分明に意識には上らないが、きれいな柔和なある者と、活発で気先のよいある者と、二つの立派なものが注いでくれる無私の広大な愛情がひしひしと身に逼って来るのを覚えて、不可説の悦がそれに応じ誘われて、胸の奥だか腹の底だか知らぬ吾身の中心からにじみ出し溢れ出して、そして手足の先まで行渡る気がする。何の心もなく、ひとりでにこうのああのと思う煩悩も脱け、かくあらねばならぬそう無くてはならぬという自縛も解けて、我知らず鳶飛魚躍の境界に立って、故を知らぬ微笑が催され、天地と一枚になったとも自認する訳では無いが、後から顧みればともかく何の某で候なんぞというコビリついた料簡が取り去られて、好い心地になってややしばらく逍遥徘徊していた。」(p425-427 「望樹記」)

感想その3

この本の中には随筆風なものから時代小説までさまざまなジャンルの作品が入っています。
いままで読んだ中で誰かに似てるなあと考えてたら、そうだ、坂口安吾に似てます。
坂口安吾はもっと青っぽいところがあるから、それに比べると幸田露伴はさらに濃厚でどっしりしています。ヘタなたとえだけど、酒でいえば2人ともバーボンで、坂口安吾はタ-キーの8年もの、幸田露伴は12年もの。
確かに文豪と呼ばれるにふさわしい貫禄です。

幸田露伴といえば五重塔ですが、この中には入ってません。そうだ五重塔を読んでみよう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本 :小説
感想投稿日 : 2017年10月27日
読了日 : 2004年10月1日
本棚登録日 : 2017年10月27日

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