2000年刊。著者は一橋大学名誉教授。
ロシア人による他地域の植民行動を推奨・遂行し、民族と言語とを混沌の中に陥れたスターリン。ところが、1950年に発表した言語学関連の「スターリン論文」は、先の政治的行動とは真逆の、民族内の言語自決権を強く擁護するものだった。当該論文の意味を記述やスの言動から解読することを企図するのが本書である。
が、正直、政策抜きでスの発想を須らく解読する方法は誤りだと思う。つまり政治的行動と該論文を照合して矛盾や合致を分析する必要があり、それがないとスの政策論を検討したとは言えないだろう。
そういう意味で、スターリンがかような論文を書いた政治的意図は何かという点に踏み込まないと、余り面白くはない。
また、言語の意義・役割、そしてその変遷要因につき単純な関係性を措定しているようで、この点も?だ。
そもそも言語は交流のある集団間で作用する以上、仮に該集団が階級差等で交流途絶しているならば、言語に違いが生まれ、通有性が減弱するだろう。
あるいは、新制度ができればそれに即した語彙・単語が生み出され、逆に制度廃止によって、これまでは通用していた言語は消滅する。
つまり著者の言う「土台」からも、言語は影響があるのだ。
あるいは交通機関の発達・高速化、通信の質的・量的範囲の拡大が集団間の交流拡大を生み、それは通用言語の統一性を要請する。かようなことでも言語は変わり、また、情報交換・伝達・交流の手段(テレビ・ラジオ・ネット)の変化によっても変わるだろう。
さらにいえば、国語教育や出版物での言語の使い方の変化でも変わるはず。
等々、そもそも一元的要因を措定するのが不自然なのだ。つまり多様な要因で言語は変わり、その要因の特定は容易でない、としか言えないのではなかろうか。
これに非整合的なの著者の叙述がどうも腑に落ちぬ。そんな読後感である。
- 感想投稿日 : 2016年12月26日
- 読了日 : 2016年12月26日
- 本棚登録日 : 2016年12月26日
みんなの感想をみる