映画篇 (新潮文庫 か 49-2)

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  • 新潮社 (2014年7月28日発売)
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感想 : 29

・僕がこれまでどれだけ龍一に救われてきたかを話し、感謝の言葉を口にすべきだった。いや、たった一言、ありがとう、と言えばよかった。でも、何よりも大切なことを話そうとすると、いつだって言葉は僕の口をすり抜け、音にならないままどこかに消えてしまう。僕はいつでも拙い話し方のせいで大切な言葉がうまく伝わらずに、にせものの響きが宿ってしまうのを恐れた。そんな臆病な僕が、一度だって龍一を救えたはずはなかった。誰よりも身近で、誰よりも最初に救わなくてはいけない存在だったはずなのに。

・《約束の日からもう二週間が過ぎています。梅雨も明けたことですし、今日中に電話線を繋いでください。》

・わたしは一人の長い夜を存分に使って記憶の中に入っていき、連れ合いと一緒に過ごした時間を最初から反芻していった。その流れのどこかに、わたしが気づかずにいた連れ合いの死の理由や兆候を見つけ出そうと思ったのだ。でも、とうとう見つけることはできなかった。そもそも記憶はところどころに穴が開き、色褪せ、それに驚くほど単調で、自分がいまどのあたりをさまよっているのかも見失ってしまうほどに目立った特徴がなかった。わたしは何度もどこでもない地点で立ち止まり、無表情にわたしを見つめている連れ合いを見つめ返しながら、こう自問した。
ーわたしはこの人を愛していたのだろうか?

・目を開けた。
目の前にあるのは、弱い光に照らされて木目がほんのりと浮かび上がっている、ただのクローゼットのドアだった。それ以外には何も存在しない。わたしはしばらくのあいだ、身じろぎもせずにクローゼットのドアと対峙したあと、力尽きて床の上にべったりと座り込み、泣いた。大声を上げて、わんわん泣いた。時々、ベッドのシーツの端で涙を拭き、鼻をかんだ。

・戦う準備はできた。

・「あんたとまともに喋ってからまだ三日ぐらいしか経ってないのよ。それなのに、こんなやばいことに手を貸すのってどう考えたっておかしいもん」
「時間の長さなんて関係ねぇよ。俺はしたいことをしてるだけだよ」

・「子供は余計な心配なんてしなくていいんだよ。子供はね、好きな食べものと、大人になったらなりたいものと、好きな女の子のことだけ考えてればいいんだよ。わかった?」

・「君が人を好きになった時に取るべき最善の方法は、その人のことをきちんと知ろうと目を凝らし、耳をすますことだ。そうすると、君はその人が自分の思っていたよりも単純ではないことに気づく。極端なことを言えば、君はその人のことを実は何も知っていなかったのを思い知る。そこに至って、普段は軽く受け流していた言動でも、きちんと意味を考えざるを得なくなる。この人の本当に言いたいことはなんだろう?この人はなんでこんな考え方をするんだろう?ってね。難しくても決して投げ出さずにそれらの答えを出し続ける限り、君は次々に新しい問いを発するその人から目が離せなくなっていって、前よりもどんどん好きになっていく。と同時に、君は多くのものを与えられている。たとえ、必死で出したすべての答えが間違っていたとしてもね」

・お漬物は冷蔵庫の中。
お味噌汁は鍋の中。
お母さんは夢の中。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2017年7月1日
読了日 : 2017年6月30日
本棚登録日 : 2017年6月30日

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