TUGUMI

著者 :
  • 中央公論新社 (1989年3月1日発売)
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・「それはいやな奴というより、むしろ変な奴ね」
私は言った。
「そう、わけのわかんない奴。いつもまわりにどこかなじめないし、自分でも何だかわかんない自分をとめられず、どこへ行きつくのかもわかんない、それでもきっと正しいっていうのがいいな」
つぐみは暗い海をまっすぐ見つめてさわやかに言った。

・時々、不思議な夜がある。
少し空間がずれてしまったような、すべてのものがいっぺんに見えてしまいそうな夜だ。寝つかれずに聞き続ける柱時計のひびきと、天井に射してくる月光は、私がまだほんの小さかった頃と同じように闇を支配する。
夜は永遠だ。そして、昔はもっとはるかに夜が永かったように思う。何かの匂いがかすかにする。それは多分、あまりかすかなので甘く感じる、別れの匂いなのだろう。

・あの夜、つぐみは浜で白い石ころをひろい、それを本棚のすみっこにずっと今も置いてあるのだ。つぐみがあの夜、どういう気持ちだったのかは知らない。どんな気持ちがその石ころにこもっているのかも、わからない。
案外、いいかげんなことなのかもしれなかった。でも私は、あらゆる点で、つぐみが「生の人間であること」を忘れそうになる度にその石ころのことと、あの夜、はだしで外に出て、歩かずにはいられなかった幼いつぐみのことを思い出して、なんとなくもの哀しく、冷静になるのだった。

・「ねぇ、おまえ、恭一」とつぐみが飛び出しそうな大きい瞳を見開いて言った。「おまえにずっと会いたかったんだ。また、会えるか?」
私はぎょっとしたが、相手はもっとぎょっとしたらしく、しばらく沈黙してから、
「・・・うん。俺は夏中ここにいる。権五郎を連れていつもうろうろしているし、中浜屋ってとこに泊まってるんだ。場所、わかるか?」
「わかる」
「いつでも訪ねてきてくれ、姓は武内だからな」
「わかった」つぐみは、うなずいた。

・「どんな時でも、こんなに何もかもに対して無関心になったことなんてない。本当に何かがあたしの中から出ていってしまったようだ。今までは、死ぬことなんて何とも思っていなかった。でも、今はこわいんだ。自分を駆りたてようとしても、いら立つばかりで何も出てこない。真夜中に、そういうことを考えているんだ。このまま調子が戻らなかったら、死ぬ、そういう気がする。今、あたしの中には激情が何ひとつない、こんなことは初めてだ。何に対する憎しみもない。自分がちっぽけな病床の少女になっちまったみたいだ。一枚ずつ葉が散っていくのが本気で怖ろしかった奴の気分がわかるんだ。そして、まわりの奴らがこれから、少しずつ今までより弱っちまったあたしのことをバカにしはじめて、少しずつ影が薄くなってゆくことを思うと気が狂いそうだ」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2016年11月15日
読了日 : 2012年5月24日
本棚登録日 : 2012年5月24日

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