ハリネズミと狐――『戦争と平和』の歴史哲学 (岩波文庫)

  • 岩波書店 (1997年4月16日発売)
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感想 : 10
5

ソ連の思想家アイザイア・バーリンによる、トルストイ論。
岩波文庫の一括重版も既に完売していて、古書を探して読んだが、このような名著の発行部数が限られるのは悔やまれる限り。

バーリンは、1974年の著書『自然科学と人文学の分裂』で、啓蒙主義のヴォルテールと人知の及ばぬものを取り上げたジャンバッティスタ・ヴィーコを対比し、ヴィーコの功績を表現して見せたが、
この『ハリネズミと狐』が1953年刊行であることに注目すると、同様の対比的思想が既にこの頃からあったのかと思わせられる。

トルストイが自然科学に依拠した啓蒙主義とは全く相容れなかった、と言うのは理解に難くない一方、ロマン主義との反目についてもたびたび触れられているのが興味深い。
啓蒙vs反啓蒙の構図であればロマン主義が反啓蒙的というのはわかりやすいが、バーリンによると、トルストイはこの構図には容易に当てはまらない。

ここで、思い返されるのはカントだ。
伝統的経験主義もそれに対する反発も受け入れなかった彼の立ち位置は、バーリンの説明するトルストイに近似する。
本著においては、「人間の意志と人間の理性に何ができて、なにができないか」という部分を初め、カントを彷彿とさせる記述も散見される。
巻末の解説によると、バーリンの在学中のオックスフォード大学は純粋哲学の研究が主流だったということなので、当然ながらその影響もあるのだろう。

また、トルストイとジョセフ・ド・メストルの対比もとても興味深い。
二人は浅はかな自然主義を軽蔑するところでは一致していた一方、メストルが階層志向による市民の盲目的服従と統制を主張したのに対し、トルストイは人民大衆の内面の深みを信じた。
メストルの言う「自己犠牲」はロシア思想の重大なテーマの一つだが、トルストイはそこに懐疑的だったのであろう。

『戦争と平和』という標題を拝借したプルードンや、スタンダールの影響も見逃せないし、作品を読んでみたいと思った。

自分の感想としては、
「戦争と平和」を読んだ際に、特にエピローグ部分で強烈に展開される決定論的歴史観について、トルストイと自分の考えがぴたりと一致することに驚嘆したが、
そのため、本著においてバーリンがトルストについて解説することは、すなわち自分の頭の中や思考の過程を解説してもらっているような気持ちがした。
そして標題となっている『ハリネズミと狐』 の矛盾、つまりハリネズミになりたかったがどうしようもなく狐である、という矛盾を、まさに自分自身にも突きつけられた。

元も子もないほど端的に言うと、人間とは現代にあってもなお素朴であるべきでありそれこそが人間たる価値であると知って称賛しながら、その実自分自身は全く素朴とはかけ離れた人間である、と言うことだ。

そして自分としては、この矛盾の出所を自身の内部に求めることは耐え難い。
そのため、トルストイのような決定論的な世界観、つまり人間とは社会や時の流れによって形作られるものであるという思想をもって、この矛盾を何とか時勢のせいにして目をつぶろうとしてきたのが、人生の中で自分のささやかな自己弁護であったと思われる。

トルストイのように、「自分は知的に誤っていないという意識と、不断に道徳的過ちを犯しているという意識におしひしがれながら、苦悶の中で死」ぬにはまだ少し早いので、今のところは、もう少し自己弁護しながら生きて行こうと思う。
そういう人は他にもいる、皆大体そうだよね、と思いながら。

解説に、バーリンが『危機の二十年』の著者E.H.カーと交流していたとあったのも、興味深い。
同じくバーリンが交流していた、アメリカの外交官ジョージ・ケナンが、ロシア旅行中に現地の文盲の女性にロシア語で読んで聞かせたのも、トルストイだった。
素晴らしい思想は繋がっている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ロシア思想
感想投稿日 : 2024年4月20日
読了日 : 2024年4月20日
本棚登録日 : 2023年7月13日

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