AMETORA(アメトラ) 日本がアメリカンスタイルを救った物語 日本人はどのようにメンズファッション文化を創造したのか?

  • DU BOOKS (2017年8月18日発売)
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《雑誌は1974年10月、『SKI LIFE:スキーについて考えなおす本』のタイトルで並んだ。日本でのスキーに関するベーシックなガイド本を依頼した読売新聞社がその代わりに受け取ったのは、スキーをやらないスタッフがつくったウィンター・ファッションの雑誌だった。しかしティーンのニーズは、疑いなくそこにあった――雑誌は記録的な短時間で売り切れたのだ。》(p.154)

《日本は不良文化全般をあらわす新たな言葉を必要としていた。そんななか広く受け入れられたのが、ティーンの不良をあらわす大阪の言葉――”イー”もアクセントをつけた”ヤンキー”だった。この言葉のルーツは明らかに、スカマンやキャロルの”ヤンキー・スタイル”にあったが、直接の起源は、リーゼントのヘアスタイルを””
”ヤンキー”と呼んでいた大阪の床屋だった。しかし1980年代の初頭ともなると、右翼的なコスチュームに身を包んだ過激な日本人のティーンがアメリカ人となんらかのつながりを持っていることなど、完全に想像の埒外にあり、多くの人々は”ヤンキー”が「やんけ」という音で文章を終える、大坂のティーンの局地的な方言に由来すると考えていた。当のヤンキーはまちがいなく、この言葉の歴史などいっさい知らなかった――彼らが模倣していたのは、うす汚れた横須賀のバーのGIではなく、自分たちの兄や、日本の高名な無法者だったのである。》(p.209)

《今の目でふり返ると、日本の不良のあいだに広まったアメリカ産ファッションは、この国の衣類と日本との関係について、重要な、だが見過ごされやすい事実を明らかにしている。ヤンキーのファッションは、日本の若者はつねに敬意を持ってアメリカのオリジナルを模倣してきたという、広く信じられている前提に異議を申し立てるものだ。(…)不良たちは完ぺきな模倣にはほとんど関心がなかった。彼らはアメリカから受けた影響――リーゼントの髪型、アロハシャツ、汚れたジーンズ――を人々を威嚇する手段として用い、しかし右翼的な服装のほうがインパクトが強いと見て取ると、なんの未練もなく捨て去った。》(p.210)

《プレッピーにはたしかに、奥深い精神的共鳴が欠けていたのかもしれない。だがそれは現在もなお、日本の文化が世界的なトレンドをリアルタイムで体感しはじめた歴史的な瞬間として、重要な意味を持つ。かつてビームスで働き、現在はユナイテッドアローズのクリエイティブディレクション担当上級顧問を務める栗野宏文はこう説明する。「(アメリカと日本の)差はなかった。そこで一気に縮まったわけ。だから僕は『ポパイ』の役目ってすごいと思うのは、”シティーボーイ”という言葉を出したのね。つまり”シティー”というコンテクストでくくればニューヨークもロンドンもミラノも東京もみんなシティーじゃない? それまでは”国” ”ネイション”という概念だった。でもシティーという概念はネイションを超えちゃうんだね。今の言葉で言えば”グローバリズム”の始まりなんだろうね。》(p.233)

《日本の親世代は、アメリカの中古衣料ブームが、バブル経済の終焉を受けた、景気後退期特有の重苦しい心情を反映しているのではないかと懸念した。しかし若者たちの心情は、180度違っていた――アメリカの古着は貧困の象徴ではなく、文化的、経済的な進歩のあらわれだったのだ。1950年代のリーバイス501XX以上にリアルで、アメリカ的な――そして高価な――ものは存在しなかった。》(p.298)

《日本のファッションは、文化行為が、世代から世代へと切れ目なく伝えられる永続的な国民性の発露ではないことを、はっきりと示している。》(p.345)

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感想投稿日 : 2022年7月6日
読了日 : 2022年7月6日
本棚登録日 : 2022年3月5日

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