ガリレオ裁判――400年後の真実 (岩波新書)

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  • 岩波書店 (2015年10月21日発売)
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感想 : 18

1633年のガリレオ裁判について書いている本である。特徴は、2009年に公開された『ガリレオ・ガリレイ裁判ヴァチカン資料集』増補版にしたがって、宗教裁判(異端審問、ローマでは検邪聖庁)の推移を克明にかいている点である。
 結論としては、ガリレオ裁判では、法廷外で陰謀の噂はあったが、通常の宗教裁判の論理にしたがっており、この点で冤罪とは言いがたいとしている。その罪状も1616年に枢機卿ベラルミーノからだされた勧告に違反したという点が問題になっている。ちなみに、ガリレオはこの勧告のあと、異端誓絶をしたという噂がながれたため、ベラルミーノに証明書を書いてもらい、コペルニクス説を支持してはならないと知らされただけであるという内容の証明書を書いてもらっている。
 しかし、『天文対話』(1632年、初版1000部)では、やはり、両論併記とはいえ、コペルニクス説を「抱いている」としていると考えざるをえない。教皇も枢機卿も、イエズス会にもドミニコ会にも、ガリレオに同情的な人々はいたが、30年戦争の最中でもあり、フランスにくみしていた教皇に対して、ガリレオ支持者の側近がスペインにくみしたことから、教皇に猜疑心が生じて、裁判を行うべきかという審査が行われる。
 裁判は三回にひらかれたが、異端審問は「推定有罪」であり、基本的に無罪はなく、どのように罪を告解させ、改悛させるかという点にあった。ガリレオは周りから抗弁しないように勧められていたが、質問にうまく答えることができず、結局、審問官の追究をよびこんでしまう。これがなければ軽微な不注意として処理する方法もあった。結果、投獄と禁書の判決がでて、異端誓絶をさせられる。ただし、投獄は翌日に軟禁に減刑され、最後は自宅で軟禁のまま没した。ただし、カトリック教徒として没した。ガリレオ自身も宗教と科学を対立するものとはみず、両者を保持しようとしたし、カトリック教徒として没することを望んだ。
 「それでも地球はうごく」という有名な言葉は、基本的に18世紀にできた言葉で、ガリレオ自身が言ったという史料はない。
 本書では、ナポレオンのローマ進攻にともなう教皇庁の文書接収とそれにともなう、ガリレオ関連記録の運命も書いており、本文にも多数史料の翻訳が引かれており、歴史をしるうえでたいへん貴重な本であると考えられる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 科学史
感想投稿日 : 2016年6月26日
読了日 : 2016年6月26日
本棚登録日 : 2016年6月26日

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