動物農場 (角川文庫クラシックス オ 1-1)

  • KADOKAWA (1972年8月21日発売)
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 とある荘園農場で起きた動物達の革命とその顛末を通じ、スターリニズムや全体主義体制に蔓延する欺瞞と恐怖を描き出したジョージ・オーウェルの傑作。擬人化された動物の類型は寓話的でありながら、当時のソビエト連邦における権力者達(レーニン、スターリン、トロツキー)や秘密警察による支配構造をモチーフとしている。作中で語られる出来事の多くは二月革命からテヘラン会議までのソ連、さらにスペイン市民戦争における著者自身の体験に着想を得ているが、出版から半世紀以上経った現在でも『動物農場』の恐ろしさは色褪せることがない。本作は『一九八四年』のように管理統制社会の構造批判を物語展開の主軸に置くのではなく、むしろ管理統制社会が形成される過程を革命前夜から段階的に描き出すことで、ソ連共産党の実態を知らずWWIIの同盟国と認識していた当時の大衆に「全体主義は他人事ではない!」と警鐘を鳴らそうとしているように見える。その背景には、民主社会主義者だったオーウェルがカタロニア地方で体験したPOUMに対する共産党の激しい弾圧行為やデマゴーグがあり、産業革命以降の英国帝国主義・国家社会主義を掲げたナチスのファシズム・そして二月革命以降の共産主義などに対する深い失望があった。左右問わず権力を握った者は「社会的平等の追求」という理念を腐敗させ、情報統制や政敵排除や民衆奴隷化によって全体主義的傾向を帯び始める。『動物農場』では当時のソ連を個別具体的事例としてモデルにしながら、オーウェルの危惧する支配-被支配構造が浮き彫りにされる。社会に対する民衆の不満を回避すべく存在しないスノーボールが「見えざる敵」として槍玉に挙げられる様は『一九八四年』のゴールドスタインにも当てはまるし、被支配階級の動物達(民衆)は七戒を書き換えられたことに気付かず明らかに道理が合わない虚偽さえ「ナポレオンは常に正しい」と歪曲して思考停止に陥っていく。利権を貪る豚達は革命によって自らが排除した人間と同化するように二本脚で歩き始め、やがて確定的かつ客観的事実を「事実である」と公言することさえ不可能になる……こうした悲劇はこの世に権力が存在する限りーー人間が滅びない限り何度でも繰り返されることになる。オーウェルは作中でたびたび「いつの日にか権力主義的独裁体制はプロレタリアートによって打破されるだろう」といった趣旨のことを述べているが、口調は読者を鼓舞するものでなく、むしろ消極的な希望的観測のようだ。例え民衆が権力者を打ち倒したところで、民衆の中から再び第二第三の「ナポレオン」が現れないとも限らない。いつの世も動物達は権力を欲する豚に扇動され、愚かな革命に身を投じることになる。そして再び『一九八四年』が始まるのだ。
 同時収録されている短編ルポルタージュ『象を射つ』『絞首刑』では警察官だった著者がビルマで経験した英国帝国主義への失望と困惑が語られる。また『貧しいものの最期』では浮浪者に身をやつしてパリを放浪していた頃の経験から当時の医療に対する不信感が顕わにされる。いずれも「人間を人間と見なさない支配者」への非難であり、後に『動物農場』『一九八四年』の源流となる。訳者によるオーウェルの伝記的解説も興味深く、作品の寓意を紐解く鍵として大いに役立ってくれた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学(海外)
感想投稿日 : 2015年12月18日
読了日 : 2015年12月18日
本棚登録日 : 2015年12月8日

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