「ママはぼくに、ジャーニーという名前をつけた。ジャーニー(旅)だなんて、じぶんのおちつかない気持ちを、ぼくにおすつけたみたいだ。だけど、ずっとあとになって家をでていったのは、ママのほうだ。」
ジャーニーが11歳の夏、ママは家を出て行った。それからのことだ。おじいちゃんが、家族写真を撮るようになったのはーー。母を失った少年の寂しさを「おじいちゃんのカメラ」が癒していく物語。
ジャーニーとおじいちゃんが、写真を通して徐々に心を通わせていく様子に、幸せな気持ちになる。ママが出ていき大きな穴のあいた「家族」が、取り戻されていくようなかんじがする。おじいちゃんが、みんなから非難を浴びながらたびたび家族を招集し家族写真を撮るシーンは、とても微笑ましくて好きなシーン。上空を飛ぶ飛行機を見てしまいみんなが上を向いている写真や、猫のブルームに子猫が生まれた後にみんなで撮った写真について、ジャーニーとおじいちゃんが話すシーンはもっと好き。
「すばらしいといえるためには、文句のつけようなしである必要はないんだよ。写真でもそうだ。おんなじことが、人の生きかたについてもいえる。」おじいちゃんはことばをきった。「世の中には、まあまあだっていうこともあるんだ。」
「文句のつけようなしでなくていい。まあまあでいい。」というおじいちゃんの言葉は、写真について話すシーンでよく出てくるし、ジャーニーも気に入り、お母さんに電話で言ってやったんだと誇らしげにしている。この言葉は希望だ。
ジャーニーの人生は、どうしたって文句のつけようなしになんてならない。パパはずっと前に家を出て、ママだって出て行った。ジャーニーの心には、逃れようのない寂しさが棲みついている。おじいちゃんはたぶん、こんな「文句のつけようなしになんてならない」ジャーニーの人生を、ジャーニーにとっての「家族」を、なんとか「まあまあ」にしようと一生懸命なのだ。「まあまあ」になら、これからだってできるのだと信じて。
ジャーニーのお姉ちゃんのキャットは言う。「おじいちゃんは、なぜ家族の記念写真をとるんだと思う?」「おじいちゃんはね、ママがとりあげてしまったものを、おまえにかえしてあげたいと思ってる。家族をあげたいって。」
おじいちゃんは、家族の記念写真を撮る理由を自分で語らないから、その真意はわからないのだけれど、きっとキャットの推測は正しい。ジャーニーは、そんなおじいちゃんの優しさを心の深いところで感じ、おじいちゃんに心を開いていく。ジャーニーが、幼い時に膝にのせて歌を歌ってくれたのはパパではなくおじいちゃんだったと気づいたとき、ジャーニーは家族を「取り戻せた」ように思う。
そして、なんといってもこの物語の魅力は、写真であり、写真についての会話だ。
「どんなものでもカメラをとおして見ると、ちがって見えるね。」
「そういうこともある。」(中略)「だが、写真がほんとうのすがたを見せてくれることもある。」(中略)
「人間が写真をとるのは、そのためかもしれない。ほんとうのすがたを見るためかも。」
「ほんとうのすがたが、写真のうしろにかくれていることもあるんだよ。写真にうつってないでね。」
「写真はいっしゅん時をとめて、そのままとどめておいてくれる。すばらしい時にしろ、ひどいことがあった時にしろ。おまえのママは、パパが家をでていってしまったあとには、ふりかえってみたとき、すばらしかったといえるようなことが、なんにもおこらなかったと思っているんだよ。すばらしいことは、これからさきにあると思っている。おきるのをまちかまえている……ちょっとさきのかどをまがったところで、ってな。ママは写真がよくわかっていないんだ。」
「ぼくはふりかえってみるのって、大すきさ。」
「あとになってぼくが見て、なつかしいと思えるように。」
ジャーニーは、おじいちゃんにずっと愛されてきたこと、パパとママが自分をかわいがってくれてたときがあったことを、写真を通して知る。写真は人生を振り返らせてくれる。ジャーニーは、写真を見ることで、これまでの歩みの中に確かに存在した幸せを掴み直していく。
写真を通してジャーニーとおじいちゃんが心を通わせ、ジャーニーが幸せを見つめていく、素敵なお話だった。
- 感想投稿日 : 2023年9月10日
- 読了日 : 2023年9月16日
- 本棚登録日 : 2023年9月9日
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