混浴と日本史

  • 筑摩書房 (2013年7月1日発売)
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本書は非常に良い着目点をもっており、日本人にとって馴染みのある温泉を通して、日本人の性、裸体観を読み解いた書籍である。

過去の日本ではおそらく裸に対してそこまで抵抗感がなかったのだろう。明治政府は外人に迎合するため、混浴、裸を恥とする文化を輸入した。混浴に対する国家の烙印と庶民の反発には埋めがたい溝があるのだ。
こう始まる本書は非常に興味深い内容を多分に含んでおり、現代の性、裸体観念の歴史の浅さに驚く。

ある地方では祭の際にドブ川の泥をさらって体になすりつけると言う風習がある。これにより健康にめぐまれるという祭りらしいが、本来はこの地方では温泉が湧き出ており温泉につかることで健康になると言う概念のみが残って、温泉が枯れてしまったという小話も面白かった。

1970年頃の日本では男湯の方に入っていく女性が非常に多かったという描写がある。その中では作家の津島佑子が寄せたエッセイで以下の記載がある。「考えてみれば私に限らず誰でも今の時代ではなかなか他人の特に異性の裸体を公然と見る機会などない。1年に1回ぐらいはこうして服を脱いだ男たちを見ておくのも人間というものを考え直す意味で良いものだなと思わずにいられなかった。」
ヒトというモノは服や装飾により、着飾る事でヒトたらしめている部分がある。それを取り払った時に本当のただの庶民に戻れるのだ、それが混浴なのかもしれない。

最後に筆者はこう締めている。「少なくともこの国の混浴と言う習慣は性に関する極めてユニークな、そして精神性の高い文化を作り上げてきた事は確かである。」

と、ここまで絶賛したが、筆者の力量が及ばず、正直読むのが苦痛な部分が大半であった。極上のステーキ肉を電子レンジで加熱してケチャップを撒き散らすような酷い調理の仕方であった。

特に酷いのが論が四方八方に飛んでしまう点である。編集者は上ってきた原稿に頭を抱えたのか、それともこれで良いと思ったのだろうか。
湯の語源について諸説ある、と前置きして複数の学者の見解を披歴するのにはまいった。湯の語源は語られるものの、そこから本論に戻れず尻窄み。本書は初学者に向けて書かれてるのではなく、論文の延長線上にあるのかもしれない。

筆力のある作家に新書にて再編して頂きたい内容であった。

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感想投稿日 : 2019年6月2日
本棚登録日 : 2019年3月23日

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