読書状況 いま読んでる
読書状況 読み終わった [2018年4月26日]

以前からその活動と思想に気になるものを感じていた本田哲郎司祭と、「他力」などの仏教系著作も多い五木寛之氏の対談ということで、個人的に期待して読んだ。
字も大きく読みやすい。キリスト教と浄土真宗、それぞれの立場から繰り広げられる対話には、面白いほど共通点がピックアップされ、もう浄土真宗はキリスト教にあげてしまえ、と思うほどである。
一つ物足りないのは、五木氏の発言が相対的に多いように思われること。もう少し本田氏の発言もお聞きしたかった。

親鸞信奉者として有名な五木氏であるが、意外と宮沢賢治や日蓮に対しても正当に評価しているような記述もあった。的外れな賢治解釈や、日蓮を過小評価する傾向のある宗教学者たちは見習ってほしい。

2017年5月30日

読書状況 読み終わった [2017年5月30日]

悪の中にも善があり、善の中にも悪がある、悪(罪)をそのまま善と転じてくれる。大津の出会った神はそういう神だった。だが当然ながら、正統カトリックではそのような神像は異端とされてしまう。大津の神は、ヨーロッパにおける善悪を厳しく峻別する理性的な神ではなく、生も死も、善も悪もすべてをそのまま包み込む、太母のような神である。日本人としてはなじみ深い、阿弥陀如来の姿に通じると思う。木口がインドで友のために唱える経が「阿弥陀経」であることも、それを表しているか。
その神の姿は、悠久のインドを流れるガンジス川となって顕れる。

キリスト教とは縁遠い日本、そしてインド。それらの地にも、いたるところにキリストの姿は見られる。異教の女神像にも、九官鳥の中にも、神羅万象の中にさえも。例えば人々の苦しみを背負いながらなお乳(=命)を与えんとする女神・死に瀕したものの身代わりとなって死ぬ九官鳥・三角形を形作って飛び去る鳥・等々…これらはキリストを意味しているのである。しかしこの感覚こそが、カトリックが異端として退ける汎神論なのだ。
遠藤はあえて(キリスト教から見た)異教の地日本とインドを舞台に選び、そこに息づく汎神論的キリストの姿を提示して見せる。

沼田が密林の中で九官鳥を放す場面は、一つの命を自然界(神)へと返す行為という意味でカトリックのミサに通じ、一つの命がそのまま自然界(宇宙)そのものの命であるとの暗示において普遍的な意味を獲得する。

磯辺が亡き妻の言葉に突き動かされて、思いもしなかったインドへの旅に駆り立てられたことは、すでに世を去って久しいキリストの言葉に生かされ、また従おうとする大津の行動に通じる。転生(復活)とは、そういうことだ、キリストはあまねく誰の心にも、転生しうる…

個人的には美津子にだけは感情移入ができなかった。だが、大津を失った後、美津子の中にキリストが転生する時が来るのだろう。生涯を最後までキリストに倣うことに努めた大津の意味を、美津子が悟る時。いや、多分もうすでに、美津子の中にもキリストは転生しているのだ。…

2017年4月9日

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読書状況 読み終わった [2017年4月9日]

読書状況 読み終わった [2017年10月1日]

そぎ落とされた文体。一つ一つのセンテンスをじっくり咀嚼しながら読んだ。
夫人の秘めたる想いの昇華のありさまは悲しくも美しい。このような形でしか完成されえない愛というものもあるのである。

だが、私としては、手術台の上の妻を「愁然」とした面持ちで見つめる伯爵と、母から離されて「ようようお泣きやみ」あそばした、まだ幼いと思しき姫さまがあまりにお気の毒。夫人は言葉に表すのを拒否する代わりに、態度でもって事の真相をすっかり白状してしまったわけだ。関係者全員の目の前で繰り広げられる二人の耽美な愛の告白劇に、夫としての面目を根こそぎ破壊させられるくらいなら、うわごとで聞かされたほうが、伯爵にはまだましだったのじゃないかな。と、こんな感想しかないから私は非モテ女子なんでしょうね。

2016年8月31日

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読書状況 読み終わった [2016年8月31日]
読書状況 読み終わった [2015年12月8日]

購入後4度目の再読である。
内容の難しさはキリスト教に対する無理解に負うところが大きいようだ。キリスト教の知識をすこし仕入れてから読むと、かなりわかりやすくなった。
また、癖のある訳文のために読みにくいと感じる箇所も多い。が、同書の他の翻訳版に比べれば、はるかに文章の意味を把握しやすいと思う。

本書において、変容するのは神ではなく、人間の持つ神のイメージである。

神は絶対的な善であると同時に、絶対的な悪でもある。
神はヨブとの確執から、人間になることを欲し、光の息子キリストとなる。だが、受肉はそれだけでは不完全である。
ヨブが見たのは神の暗黒面だったが、その暗黒の神もまた人となろうとするからには、罪を持つ者として受肉しなければ居場所がないからであるという。
そのために罪びと、「原罪によって汚され」た者の内にこそ、神は受肉せんとするのである。
光と闇に引き裂かれた精神の中で、その光と闇をつなぎ、和解させようとする働きが結晶化し、一人の子供を産む。それが黙示録でヨハネが見た、「太陽を着た女の息子」であるという。太陽(光)と月(闇)の子供、天なる神と大地なる女の聖婚、方形の都エルサレムに住まう神、それは対立するものの結合であり、「自己」のシンボル(=神)である。

それは確かにキリスト教的でない。大乗仏教を知っている者ならば、そこに仏性論との類似を見ることもできるであろう(ユングはプルシャ-アートマン説との類似を指摘している)。それゆえに、これは非キリスト者をも含めた人類全体への、本当の新しい福音となるはずである。人は悪の神をも受け入れねばならないが、悪の憑依に無意識なまま行動すれば、黙示録の強大な破壊衝動を現実化することになる。それだけの能力を、人間は科学技術という形ですでに手に入れているのである。それゆえ今、人間がなすべきことは、自らの内にある悪を知り、それに翻弄されない事、悪に傾く意思を「愛と智慧の精神をもって制御する」こと、「自分のしていることを知る」ことであるという。それは自力で成し遂げるには難しく、確かに聖霊の働きによらねばならないだろう。
苦しみとは対立に引き裂かれることである。人は苦しまねばならない。そこに認識の光がさす。神はそういう人間をこそ受肉の場として選ぶ。神が受肉しようとするのだから、人は決して無に等しいちっぽけな存在ではありえない。

だれもが「太陽と月の息子」を生み出す可能性を持っている。神は罪に苦しむ人間の中において、より高次の人間として変容する。それこそが救いである。

2012年3月21日

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  • 再読しました。

    再読了日:2012年3月8日

  • キリスト教の基礎知識を仕入れた後の再読。キリスト教の知識があるのとないのでは、理解に大きな差が出ると感じた。

    再読了日:2012年3月25日

  • 4度目の再読。
    私がこの本に何度も挑むのは、ヨブへの救いを自分自身のものとして理解したいからである。私の中のヨブがそれを要求しているのである。私もひとりの「救いを求める罪びと」であるからである。

    再読了日:2015年9月12日

読書状況 読み終わった [2012年3月21日]

軽妙な筆致で、マニ教文献の再現過程、マーニーの生涯とその思想、マーニー後の歴史等がつづられる。特にマーニーの生涯と思想の件(くだり)は、筆者の目線によるツッコミが随所にちりばめられ、読みながらフイてしまうこともしばしば。たしかに時代も文化背景も違う現代のわれわれからは、古い宗教的要素は珍妙に見えることもあるものだが。
だが、マニ教の神話などは現代人の目から見ても興味深く、壮大なファンタジー物語のようだ。というよりたぶん、現代人の思い描くファンタジー物語にも、その根底に古い時代からの宗教的イメージと同じものが流れているのであろう。

若きマーニーの孤独と苦悩から発せられるメッセージは、世界から疎外されたように感じている現代のわれわれに差し込む、一条の光のようである。

読書状況 いま読んでる

高校の教科書に載っているくだりは、やはりこの話の肝心だと思う。

「先生」は、お嬢さんをめぐるKとの駆け引きのなかで、ひとつの思い込みから、ある行動に出る。
そしてまんまとKの裏をかき、お嬢さんを手に入れる。

Kを裏切ったことは彼の心に一縷の後ろめたさを残す。そのKは、どこまでも真摯に誠実に、失った恋のために死ぬ。死の間際、Kは「先生」を慮る。自分から望みを奪った者をうらむこともせずに。その生き様は確かに一点の曇りもなかった。
「先生」はどうだったのか。彼は後ろ暗い策略で友を出し抜き、卑怯な手段で友から奪い、友を死に追いやったのだ。
Kとは対照的なやり方で栄光を勝ち取った彼のこころは、Kの誠実さの前にもだえ苦しむ。

それは、Kという光の前にあぶりだされた「先生」の中の暗い淵、底なしの闇、悪の蠢動。
苦しみは過去の自分の行いが自分にかけた呪いである。戦利品は確かに、自分の手の中で無邪気に笑っている。一番大事なもの、それを見るたびに、過去の自分の罪を何度でも思い出さずにはいられないという苦しみから、命ある限り逃れることはできない。

それが、Kへの裏切りの代償なのだ。

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読書状況 読み終わった

全巻読んだ。

バトルシティ編完結の18巻。自分の中の悪(闇人格)を切り離し、犯した罪を他人(遊戯)に転嫁して、自分の正義(仇討ち)のためには手段を選ばなかったマリク。戦いの中でその悪の本当の意味を知り、罪を引き受けることにより、自分自身を取り戻す。その姿は全巻を通して最も感動的なもののひとつだろう。
瀕死のリシドの前での、死を覚悟したマリクのモノローグが印象深い。

キャラクターたちがこのバトルシティで、それぞれの生き方への答えの糸口を見出していく。ひとつのクライマックス、その完結編。

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  • 再読しました。

    再読了日:2013年7月20日

読書状況 読み終わった

読書状況 読み終わった

コップの水を見つめて「チェレンコフ光を探している」という佐々井。そして静かに去っていった佐々井。
宇宙の果てから地上へ毎秒一兆ほども微粒子ニュートリノは降り注ぐ。しかしそれと反応することもなく、ただ過ぎてゆく日々を、生きるだけの「ぼく」。
そこへふと現れた彼。…それは、コップの中の「ぼく」と、天文学的な確率で奇跡的に邂逅した、一個の微粒子だったのだ。


そうして彼は消えていった。一筋の光を放って。…

読書状況 読み終わった

文体が特徴的。洗練されてはいないが意識に残る。こういう癖のある文体が大好きだ。

メタフィクション的に、いくつもの資料の形で提示される文書を読み進めていくうちに、終盤になってすべての伏線が一つになっていく。解決したかと思うと、また覆される。その急展開は、まさに脳髄を引っ掻き回される感覚を引き起こす。面白くて一気に最後まで読み進めた。

もう一度読みたいと思いつつ20年が過ぎた。読了するのにエネルギーがいる本である。

読書状況 読み終わった

ビデオを介して死が伝染するというアイデアは当時面白かった。電気的テクノロジーと死のリンクというのは、よくわからないものは恐ろしいという普遍的な人間の恐怖感覚を、現代的にアレンジしたものということができるかもしれない。

そのビデオの内容だが、映画版より原作の文章の方が、格段に怖い。言葉がそのまま自分の中で感覚化されるからだ。
ビデオの映像は自分の視覚でありながら、貞子の五感を通して感知された映像である。ビデオを見ている本人はその時、貞子の意識を共有している。貞子が自分に、憑依する。自分自身が浸食される、恐怖。
それが読み手の感覚となって再現される。文字通り伝染するのだ。

映画版はなぜこのビデオを原作に忠実に作らなかったのだろう。残念だ。

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タイトルにブッダとあるが、仏教の本だと思って読むと失望する。

河合隼雄氏と中沢新一氏という、ユング好き宗教好きの私にはある意味夢のような取合せの対談だが、内容は期待はずれだった。中沢氏はクリスチャンの家系に生まれたそうだが、自身はチベット仏教の修行・研究をされている。その結果がこの内容というのは、いささか残念だ。

宮沢賢治の世界観にしても、カムパネルラ男色家説や、賢治の根底は真宗だとか、どうも、それで本当に賢治を理解しているのか?と首をかしげたくなるような内容ばかり。

思うに氏は、強烈な父性的宗教であるキリスト教信仰の家系に生まれ、実際に父の系譜もクリスチャンであるがゆえの、「父なる」キリスト教に対する反抗心があるのではないか・エディプス・コンプレックス(と本書中にもあるが)、それはご自身ではないか、などと穿った見方を禁じえない。それほどに仏教に対する敬意を感じられなかった。

また河合氏はユング派の第一人者であったが、やはり仏教は専門外である。

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読書状況 読み終わった

身体は遺伝子の乗り物であり、遺伝子の生き残り戦略として形質を操作するという、ドーキンスの「利己的遺伝子論」から着想を得たと思われる。ミトコンドリアの遺伝子が人間を乗っ取るというアイデアはおもしろく、期待して読み始めたが、描写のチープさ、B級感がどうにも気になった。官能的な描写もあったが、想像でお書きになったか、または男性の感覚という印象。残念ながらそこで醒めてしまったことを告白する。
全体にマニア向けアニメのような印象で、映画化するなら実写ではなく、アニメで制作したほうが原作の面白味を引き出せたのでは、と思ったものだ。

「人間の種」そのものを覆す、という当時の謳い文句にも興味をそそられたが、思ったほどの展開ではなかった。
この辺はたぶん、読み手の好みによるのかもしれないが。

ただ、この素材でここまでのエンターテイメントに仕上げた手腕に対して、評価する。

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読書状況 読み終わった

イメージがとりとめもなく流れていく。夢のように。それもそうだ。作者が見た夢をもとに描いた作品だそうだから。
脈絡があるようでそうでもなく、種々のモチーフから浮かび上がった残像を追いかけ、やっとの思いでそれを掴んだと思いきや、握った掌の中からするりとすり抜けて背中で嗤ったりする。そんな印象の作品。

死への恐怖、郷愁、母への思い、エロス、金太郎飴、メメクラゲに刺されて目医者を見つけるってお前それ「め」違いやないかい、そういえば「千と千尋」を見たときに「めめ」って書いてある看板見て「ねじ式…」と思わずつぶやいたっけなぁ、…等々、こちらの感想もとりとめなく揺蕩する。

その他、ゲンセンカン主人が印象に残っている。
暗い部屋のふすまをちょっとだけ開けて見てはいけない世界を垣間見たような、決まりの悪い読後感がクセになる。

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「黙示録」続編。

お人好しは相変わらずのカイジがチンチロ、パチンコでの博才を遺憾なく発揮する「破戒録」シリーズは、「黙示録」に比べ軽く読める。坂崎・一条等の新キャラも憎めない(一方大槻は…)。

これは、黙示録の最後で帝愛グループへ復讐を誓ったカイジの、その雪辱を果たすまでの物語である。そう見ると、破戒録の希望に満ちたエンディングが際立ってくる。社会的弱者の・バカを見るべき正直者の、勝利の祝杯である。

坂崎が沼に挑む理由の根幹に、一人娘(と妻)への愛がある。十人並み(以下)の容姿であっても父にとっては世界一の娘なのだ。娘ともう一度一緒に暮らしたい。その思いが、坂崎を危険な賭けへと駆り立てる原動力となっている。
彼女の不細工さばかりが話題に登りがちだが、だからこそ、涙を流しながら持てるすべての財産をかけて沼に挑み続ける父の姿に、親だけが持つ子への深い愛情を感じざるを得ない。

スカしたイケメンホスト風の一条が、終盤追い込まれて崩れていく様も痛快である。

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7巻~8巻の「鉄骨渡り」は、人生・社会のメタファーである。時には人を蹴落としてでも、渡り切らねば死ぬ。
負けたものは死んだように生きるしかない、かように人生とは厳しく、孤独だ。だからこそ、他人とのつながりを求め続ける。

「黙示録」が強烈なメッセージ性を持つ名作であるのは周知の通りだが、この「鉄骨渡り」エピソードがあまりに重すぎて、私にとっては2年に1回くらいしか読み返すことのできない作品でもある。
主人公カイジの、うだつの上がらないながら心優しく温かい人柄が、この作品の大きな魅力であろう。

癖のある絵柄と言われるが、むしろ表情の微妙な違いや動きに想像力を刺激されるので、私は好きだ。

読書状況 読み終わった

この作品が世に出た頃、私はまだ小学生で、漫画誌など読ませてもらえなかった。タイトルだけ知っていたもののずっと未読だった作品。

ここに描かれているのは、形ばかりのBLなどではない。
ドイツ、寄宿舎、天使のように美しい少年達、どれをとっても日本の少女たちの日常とはかけ離れた、ファンタジー的異世界において、香りのようにたちのぼり、蒸留され純化される「愛」そのもののかたちである。

読書状況 読み終わった

少女時代にこの本と出会い、ところどころに現れるカタカナ書きのフランス語の単語に、遠い異国を夢見た。詩のように幻想的な表現が印象的だった。

物語の後半、半ば引きこもり姉弟の繭のような空間が、ひとりの娘によって歪められ撹乱され、やがて破壊されていく。
姉弟の夢のように融和したフィールド。兄弟を持つものなら誰でも覚えのある、子供の頃のあの甘美な一体感を、姉は最後まで壊したくなかった。
娘は弟を繭から誘い出し、弟も娘に引き寄せられる。意思ではなく、恋の力によって。姉は奸計を巡らし全力でそれを妨害する。

少女のままにとどまろうとした姉(聖処女!)と、大人の階梯を登ろうとした弟のすれ違いが呼んだ悲劇。

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