夢の中では自分の精神だけが自分だ。
だから感情は大きくなったら遠慮なく器からあふれ出してしまう。あふれて、いろいろな気持ちが100倍くらいに増幅されている。そして遠い旅をしてきたように、ただただ心が痛くなってくる。人々のストレスを感じ取らなくてはならない位置にあるのも大変だ。ストレスのある人間が発しているのは本当に毒なんだな、と思った。目に見えないからと言ってあなどってはいけないのだ。そして人はみんな、自分がストレスを抱えて歩いているだけで回りの人を害しているという事実を神経質にでなくって、素直に感じられた方がいい。
人は人に慰められ、力を得ることができる。人間同士だから、誰だって痛いのはつらいから。
大きな本当の目で見れば自分のしたことは絶対に消せないし、今までしてきた仕事や生活の型は必ず体のまわりに残ってしまうのだから、やり直すということは厳密にとっても難しい。だからできれば何事も慎重にやるべきなのだ。
人は永遠に生きるけれど、何も感じない。感じないまま、なんとなくさみしい漢字がして、なんとなくものたりなくて退屈で、そして死んだらそのことはなかったことにしてまた術の中に戻っていって永遠に目はさめない、そう思えた。
人は大変なものや来栖うものや輝いていないもの、うらぶれているもの、生々しいものを見るのを好まないのだ。本当は見たいのだが、みるといろいろと考えてしまうからできれば避けていたいのだ。
人間がどれほど弱いものかは、私も身にしみて知っているし、誰でも一度くらいはおかしなタイミングのせいで何かそういうふうに楽しみます。
この光こそが人間なんだ。人間の本当の姿なんだ。どうしてそんなふうに角新できたのかよくわからなかった。きっと心の目で見れば人間の世界はいつだってこんな風だった。真っ暗な宇宙空間にものすごい数の人間の光がただよい、つながりあい、光っている。ここは生死の区別もなく、大地も空もない。時間というものも存在しない。でも光はある。そのくらいに人間の光は強いものなのだ。
- 感想投稿日 : 2010年8月22日
- 読了日 : 2010年8月22日
- 本棚登録日 : 2010年8月22日
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