中国、中国人という意識が形成されたのは清末の10年間、というのが本書のテーマ。米国移民の差別への反発から国民の、瓜分の危機感から国土の、王朝史ではない中国史の意識から歴史的な、それぞれの一体性が意識されるようになる。また限定的ではあるが、同時期の日本の国家形成も中国の愛国主義にいくばくかの影響を与えたようだ。
後書きで著者は、清とオスマン帝国を比較し、現代の中国の領域はかなり清朝の版図に重なっているがトルコはそうではないと指摘する。その理由として、オスマン帝国の方が宗教と言語の多様性が上とか列強の干渉などと並び、清末の段階で中国は不可分の一体であるとの発想が形成されていたと述べる。
なお、清末の剪辮(弁髪を切る)論議は、必ずしも反清の意味が込められていなかった、というのが意外だった。確かに著者が指摘するとおり、反清なので明代の髪型にしようとの主張は当時なかっただろう。改革の気風、「尚武」の理念、外国人から侮蔑を受けないようにする、との意味付けに合わせ、清の滅亡という情勢の中で反清の意味も出てきた、とのこと。
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カテゴリ:
中国
- 感想投稿日 : 2021年3月14日
- 読了日 : 2021年3月14日
- 本棚登録日 : 2021年3月14日
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