ミハイル・ゴルバチョフ 変わりゆく世界の中で

  • 朝日新聞出版 (2020年7月20日発売)
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ソヴィエト連邦最後の指導者ミハイル・ゴルバチョフの自伝。1931年生まれなので、もうすぐ90歳にならんとするお歳である。すでに長大な自伝『ゴルバチョフ回想録』を上梓しているにも関わらず、本書をその高齢の身で書き上げたのにはおそらく強い理由がある。副題「変わりゆく世界の中で」にも表れているように、プーチン大統領そしてトランプ大統領の出現によって自らがかつて押しすすめた核のない世界への歯車が逆に回っていることに対する強烈な危惧の表明がこの本には込められている。具体的には、自らもその実現に心血を注いだ米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約から2018年10月トランプの米国が離脱を宣言したことを挙げることができるだろう(同条約は本書の原書刊行後の2019年8月失効した)。この条約は米ソの中距離核戦力ミサイルの全廃を目指すもので、本書に書かれている1986年のレイキャビクでのサミットで原則合意し、翌1987年にゴルバチョフとレーガンの間で大きな壁を越えて調印に至った条約である。

ゴルバチョフがソ連共産党書記長になる直前の1985年、Stingがリリースした”The Dream of the Blue Turtles”に”Russians”という曲がある。その曲では次の印象的なサビが歌いあげられる。

”How can I save my little boy from Oppenheimer's deadly toy
There is no monopoly in common sense
On either side of the political fence
We share the same biology
Regardless of ideology
Believe me when I say to you
I hope the Russians love their children too”

この本の帯に「核戦争に勝者はいない」とあるが、まさに”There's no such thing as a winnable war”とも歌われる。その歌声に乗せられた訴えは、その時代には本当に切実なものに聞こえたのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=wHylQRVN2Qs

デヴィッド・ボウイが主題歌を歌ったアニメ『風が吹くとき』が公開されたのも1986年。そして、その年チェルノブイリ原発事故が起きた。冷戦はそのピークに達し、西側諸国のソ連に対する不信感は極度に高まり、核戦争は決してあり得ない話ではなく、実際に多くの人が核シェルターを購入して自宅の庭に設置をしたという。その後の急激な東西冷戦終了に向けた動きは知る由もなかった。ゴルバチョフは、望んだものとは違ったのかもしれないが、その動きに大きな影響を与えた人物であることは間違いない。

「全人類の利益と全人類の価値が存在するという思想は、多くの場合、広く根づいている考え方と相いれない」
とゴルバチョフは書く。過去の自身が属したソ連共産党や米国の動きを見て、そのように語っている。しかし、ゴルバチョフ自身はその価値を信じていた。ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統合、東欧共産圏の崩壊、1991年のクーデター、連邦解体、などではゴルバチョフの思うようにいかなかったことも多かった。しかし、多くの西側諸国の首脳とやり合い、ソ連の立場からは後退を余儀なくされながら、守るべきところを譲ることがなかったのは、「全人類共通の価値」に対する信念があったからこそだろう。


佐藤優氏があとがきを書いているが、このあとがきの有無で、この本の印象は大きく変わるだろう。佐藤優氏はほぼちょうど本書で書かれてたゴルバチョフが政治的絶頂期からその座を追われるまでの1987年8月から1995年3月の間、外交官としてモスクワに勤務している。日本人でゴルバチョフとその政権について語るにうってつけの人物の一人であることに間違いない。そこでは、ゴルバチョフが彼の足を引っ張った内部の人間の一人として名前を挙げたブルブリスとも深く付き合いがあったという。このあとがきがあるために、ゴルバチョフ以外の第三者的な目から見ると彼の改革はどのように見えていたのかが控えめながらも若干批判的な目線でもって語られる。しかしながら、最後に次のように締めるのである。

「ゴルバチョフ氏がソ連共産党に就任した1985年時点で既にソ連は崩壊していたというブルブリス氏の認識は正しいと私は考える。ソ連という共産党独裁体制は、マルクス・レーニン主義という全体主義イデオロギーによって成り立っていた。このイデオロギーは全一的体系なので、そこに言論・表現の自由、民主的選挙による議会、市場競争という異質な価値観を部分的に導入することは不可能だった。この不可能の可能性に挑み、敗北していった理想主義者がゴルバチョフ氏なのだと思う。ただし、その敗北過程で多くの善きものを同氏が残したことを過小評価してはならない」

もちろん、ゴルバチョフのイニシアティブが、ソヴィエト連邦にとっては好ましいやり方ではなかったという内からの批判や、あまりにも理想的に過ぎてナイーブであったという評価があるのは、おそらくゴルバチョフ自身も含めて多くの人にも認められているところだろう。しかし、佐藤優が書いた「その敗北過程で多くの善きものを同氏が残したことを過小評価してはならない」という言葉が彼を評価する際のすべてを表しているように思う。その「善きもの」を今こそ大事にしなくてはならないのではないだろうか。その「善きもの」について、率直に語るゴルバチョフの言葉から知ることができる本。今読むことが、彼の意に沿うことになるのではないだろうか。


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1993年の夏、大学院生だった当時、ソ連共産圏崩壊後の東欧を旅行した。そこで何が起きたのかをそのとき目にしておきたかったからだ。その後に、モスクワにもその行ったが、ロシア共和国最高会議ビルには、まだ砲弾の跡が残っていた。そのときはそういった表層的なところしか目にすることはなかったし、ゴルバチョフのペレストロイカやグラスノスチなどについてもこれっぽちの知識も持ち合わせていなかった。それでも、あのとき行っておいてよかったと思っている。そして、またいつか時間ができれば同じ町と国を訪れてみたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2020年9月22日
読了日 : 2020年9月15日
本棚登録日 : 2020年9月16日

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