遺伝子から分かるいくつかのトピックスについての本。
もちろん、この手の本では定番になっているネアンデルタール人やデニソワ人との交配についても書かれている。
王族の遺伝子の話など、話題がヨーロッパに偏っているところは背景の理解が薄い日本人が読むにはつらいところだ。ただ、ヨーロッパには家系図の記録が豊富だという意味でアドバンテージがある。ハプスブルク家などで幼くして死んでしまう子供が多かったという事実は、ハプスブルク家がどれくらい重要な家系であったかよく理解していないながらも、遺伝的な問題がヨーロッパの歴史に影響を与えたということを教えてくれる。
また同じくヨーロッパの歴史的な部分での知識を欠くところでもあるが、最初の植民よりほぼ外部との交流がない四十万人程度の少数の国民という特殊な環境におけるアイスランド人の遺伝的特性の説明は歴史的背景が分からなくても面白い。
こういった遺伝の話をするときに、離れがたく課題になる人種や優生学の問題について、著者は人種というものはないという立場を取る。その意味では、一部で悪名が高いニコラス・ウェイドの『人類のやっかいな遺産』についても明確に反論をしているが、科学的な装いを取ることができるために同時にやっかいな問題である。これに対して、ルウォンティンの人種間の差異は人種内の差異よりも小さいという説を引いているが、これは『交雑する人類』でデイビッド・ライクが、個人のDNAを検査すれば明らかにどの人種のカテゴリーに入るのかをほぼ確実に当てることができることから、逆に科学的事実の解釈を我田引水する例として批判する。これらは微妙な話であるが、著者の姿勢もまた人種の話から逃げているように思われる。
遺伝子の話としてヒトの遺伝子数がまだわからなかったころに科学者の中で行われた数当ての賭けの話が紹介されている。結果、解読された遺伝子の数が想定していたよりもずいぶんと少なく(二万超)、これはカイチュウやバナナ、ミジンコよりも少ないことが大きな驚きをもって迎えられた。また、ゲノムのほとんどが遺伝子ではなく、「ジャンクDNA」だったことも同じく驚きであった。このジャンクDNAの領域がどのような影響を与えるのかについても新しい課題である。
最後に犯罪と遺伝子の関係が語られる。こちらも氏か育ちかや優生学の議論につながり、ナイーブな議論である。第二次世界大戦のオランダの飢餓状態のときに生まれた子供に関するエピジェネティックスの話も定番になりつつある。
広く遺伝子に関わる話が語られたが、『人類全史』と名付けるには少し包括さが不足している。ちなみに原題は”A Brief History of Everyone Who Ever Lived: The Stories in Our Gene”である。
- 感想投稿日 : 2019年1月2日
- 読了日 : 2018年1月2日
- 本棚登録日 : 2018年1月2日
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