黄泉の犬 (文春文庫 ふ 10-5)

著者 :
  • 文藝春秋 (2009年12月4日発売)
3.98
  • (19)
  • (13)
  • (7)
  • (5)
  • (1)
本棚登録 : 154
感想 : 23
4

オウム裁判を追った森達也の『A3』の中で、麻原彰晃の視覚障害は生まれ故郷の熊本県八代市で摂取した有機水銀による水俣病の症状ではなかったのかと言及されている。森達也自身も八代市に足を運んでもいるのだが、そのことを森達也に気づかせた本として藤原新也の『黄泉の犬』が紹介されている。そのとき比較的すぐに『黄泉の犬』を手に入れたのだが、なぜか少し目を通しただけで、そのまま読まずに放置していた。

ところが最近、「NHK 100分de名著」シリーズの石牟礼道子の回をまとめた本を読み、その中で石牟礼さんの四十年来の親友である染織家で人間国宝の志村ふくみさんの言葉として次のような一節が紹介されているのを見て慄然とした。それは、石牟礼さんが「水俣を体験することによって、私達が知っていた宗教はすべて滅びたという感じを受けました」とインタビューで語ったことを受けて書かれた言葉である。

「すべての宗教が滅び、水俣のような受難とひき替えに新しい宗教が興るか、もし二十一世紀以後生きのびることができれば次の世紀へのメッセージとして宗教的な縦糸が果たしてのこせるのか、またそれを読み解くことができるか、これらの予言が常に私の内部で因陀羅網の網の目のようにゆらぎふるえつつ何かを期待していたのだろうか」

既存の宗教も、どんな宗教家も、水俣の惨状と水俣病患者に対して何の救いの言葉もかけることができなかったのである。そのことは麻原彰晃その人にどのような思いを抱かせたのだろうか。

本書の著者藤原新也は、オウム真理教事件が起きた後、麻原彰晃の兄に会おうとして八代市を訪ねたときに、住民の言葉からそこが水俣市とほど近いことに気が付く。何より鍼灸師として地元で生計を立てていた麻原の兄もまた、より深い視覚障害を負っていたのだ。

麻原の兄はマスコミを避けて身を隠して生活をしていたため、著者は八代市では会えなかったが、その後何とか知り合いの紹介によって顔を合わせることができた。そこで、麻原は手のしびれを訴え、水俣病の申請をして国からその申請を却下されていたという話を聞かされる。麻原は誰よりも八代海で取れた魚やシャコを好んで食べていたのだという。

オウム真理教が新聞紙上を賑わせていた同じ時期、水俣病に関する政府最終整理案が審議されているという記事が同じ紙面に載ったという。そのときに著者は、「オウム報道の記事の横に並ぶ水俣病の記事との行間に時代を超え、ハーモナイズする和音のようなものをなぜか感じた」という。そして、「水俣病の患者とサリンの被害者が重なって見えた」という。そうしたとき、先の志村ふくみの言葉がその文章の当初の意図を外れて不吉な符合として立ち現れてくるのを見るのである。そして、石牟礼の言う、水俣以降全ての宗教は滅びた、という言葉がますますの重みを持ってくるように思えてくる。

著者は、当時より前に麻原について水俣病との関係に言及したものは皆無だったという。麻原の出身地、視覚障害、それらから水俣病の関連を報道機関が想像しなかったとは思えないにも関わらず。それは「マスコミの保身」であり、そのせいでことの本質が見逃されてたのではないかと著者は言う。水俣病は、麻原を断罪しようとする国やマスコミにとっては、余計なものであったというのだ。皇太子妃になったばかりの皇后雅子の祖父がチッソ社長であったということも影響がなかったとは言えない。そして一方、被差別の意識からか麻原としてもそれを持ち出すことはなかったものと想像される。

なお、プレイボーイ誌に連載された当時、著者による麻原と水俣病との関係への追究はまったく中途半端に終わっている。なぜなら、ニュースソースである麻原の兄から、身を隠して生きなくてはならないという切迫した思いから、以降の掲載について強い拒絶を受けたからである。そのため、本書も最初に水俣のエピソードを置いた後、過去インドを旅し当地の宗教にも造詣が深い著者がオウム真理教の周りをまわるだけに留まり、その核心には触れられずに終わっている。それはあまりにも残念だし、麻原と水俣病の関係への論考を期待してこの本を手に取ったものからすると期待をすかされた形に終わることとなった。

もちろん、水俣病とオウムサリン事件を無理につなげようとする必要はないのかもしれない。しかしながら、そこには深いところで通底する因果を見るべきなのではと感じる。そして、いずれもすぎゆく時がわれわれの後方に押し流していってしまっただけで、根元では解決することなくそこに押しとどめてしまったのではないか。また、何か因果を感じるような社会的な悲劇がこの先に待ち受けているのではないか。そんな思いをはせることとなった。
ー 新型コロナのせいなのかもしれない。


----
『A3』(森達也)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087450155

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション
感想投稿日 : 2020年4月13日
読了日 : 2020年4月11日
本棚登録日 : 2020年4月12日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする