神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

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レビュー : 43
制作 : Julian Jaynes  柴田 裕之 
澤田拓也さん 科学   読み終わった 

著者は、紀元前1,000年までは、人間の「意識」は存在していなかった、とする。いや、そんな馬鹿なと考えるふしもあるかと思うが、プリンストン大学心理学教授でもあった著者は至って真面目である。

読み始める前は自分も眉唾もの・トンデモものではと少し疑っていたのだが、少し読み進めていくと、1976年刊行の本であるが、その大胆な仮説はいまでも色褪せていない。著者の主張はあくまでも仮説ではあるのだが、その考察は深く、そして本としてとても魅力的だ。刊行から30年経って、脳神経科学の分野においてはPETやMRIなどの技術進化によって多くの知見が得られるはずだが、この仕事があまりにも独特なためか、著者が没した後に誰にも引き継がれていないようであることが残念になる。

著者は、そもそも「意識」というものを考えるにおいて、まず「意識」は何でないか、から始める。

・意識は経験の複写ではない。
・意識は概念に必要ではない。
・意識は学習に必要ではない。
・意識は思考に必要ではない。
・意識は理性に必要ではない。

著者の定義するところの「意識」は、それがなくても人間はある程度はうまくやっていけるものだということである。「人は何について考えるべきか知る前に思考している」ものだし、そもそも「心の活動は速すぎて、意識にはついていけないのだ」

第一章の結論はこうだ。
「会話や判断、推理、問題解決にとどまらず、私たちのとる行動のほとんどを、まったく意識を持たぬ状態でこなす人々がかつて存在しえた可能性は十分ある。この見解は重大であると同時にいささか衝撃的だ。だが、現時点ではそう結論せざるをえない」
この前提をある程度共有できないと、ここから先の著者の議論を了解することは厳しいだろう。しかし、1980年代に行われたリベットの実験などから、意識はどうやら行動に対する後付けの説明であるということがわかったり、意識はいつもあるわけではないといった所見などから、著者の言う「可能性」については論理的には否定できないのかもしれない。ここは、ひとまずはそう考えて読み進めてもらいたいところだ。誰もが、その人生をまずは幼き頃「意識」がない状態で始まったことも思い出してほしい。

では、そもそも「意識」とは何なのか、という問いについて、著者は、その特徴を次のように挙げていく。説明がないとわからないだろうが、とりあえず。
(なお、⑥の修正や⑦や⑧の追加は、1990年に追加された後記による)

① 空間化
② 抜粋
③ アナログの<私> (注: 代理としてのアナログ)
④ 比喩の<自分>
⑤ <物語化>
⑥ <整合化> → <帰納統合>
(⑦ <集中>)
(⑧ <抑制>)

ここからが著者の大胆なところだが、上記のような側面から「意識」は少なくとも言語の後に続いたその帰結のひとつとして生まれた、のだと主張する。
それ以前においては、人間は意識を持っておらず、劣位半球である右半球のウェルニッケ野から幻聴が生成されて前交連を通して左半球に伝えらえるという仮説を導入する。著者はこれを<二分心>と呼び、神々の声とそれにしたがう人間という心の構造を持っていたと捉える。

その根拠として、言語中枢が左半球に集中していることを理由と、右半球にもその能力があるのにもかかわらず、顕在化していないことを指摘する。つまり過去においては、右半球と左半球の言語中枢が互いに独立をしていたのではないかというのが著者の仮説となる。ペンローズの皮質の刺激実験によって引き起こされる結果の他者性がそれを示しているともいうし、脳梁を切断された患者の症例についても、右と左が2つのそれぞれの独立した心であることの証拠である可能性があるという。著者はこの<二分心>の状態が、統合失調症の症状に近いと主張する。脳の組織化が行われる環境がかつてとは異なっているために<二分心>は発達せず、代わりに現在の「意識」が生成されたというのだ。
そうなると、古代の人間はみなが統合失調症で、右半球が発する幻聴=神々の声、を聞いていたということになる。著者によると、その通りだということだ。現在でも観察される催眠トランス状態や統合失調症はその<二分心>の名残りなのだという。スペインに滅ぼされたインカ文明も二分心の文明だったとしている。こういった著者の主張は、大胆かつ、危うい。しかし、惹きつけられる。社会進化や生物学的特質、淘汰についても取り入れながらこの大胆なる仮説を推し進める。

そしていよいよ交易と文字が始まったことにより、「神々との人間の提携関係がこのように弱まり、それが<二分心>崩壊の背景となった」とされる。複雑化したシステムが、「社会的混乱の中で、神々が人に何をすべきか告げられなかった」からだという。そのような<二分心>から意識への飛躍への要因は次のようなことだとする。

①文字の出現による幻聴の力が弱まった
②幻覚による支配の脆弱性
③歴史の激変の中で神々が適切に機能しなかった
④他人に観察される違いを内面的原因に帰すること
⑤叙事詩から<物語化>を習得した
⑥欺きは生き残るために価値があった
⑦少しだけ自然淘汰の力を借りた

著者は、ギリシア叙事詩の『イーリアス』と『オデュッセイア』の文献を注意深く分析し、その二つの作品の間において徐々に意識が生まれたのではないのかという。キリスト教の誕生も意識の誕生に結び付けられている。宗教や信仰も<二分心>をその起源としてるからだ。

最後に著者の仮説をまとめるとこうなる。
1. 意識は言語に基づいている。
2. <二分心> ... 証拠はいたるところにあると言う。宗教や幻覚・幻聴の存在もそうだ
3. 時期 ... 意識が生まれたのは紀元前1,000年ころだ
4. 二つの部分から成る脳 ... 右脳と左脳はそれぞれの役割を持っていた

著者は、「意識の働きはどれも、こうした行動の比喩や類推に基づいており、非常に安定した基盤を入念に構築している。そこで私たちは、実際の行動についての類推によるシミュレーションを<物語化>する」としている。言い換えれば、「意識の基本的な内包的定義は、「アナログの<私>が機能的な<心の空間>で<物語化>を行うこと」となる。そしてその外延的定義は、デカルトやロック、デイビッド・ヒュームにとってそうだったように、「内観できるもの」だ」ということになる。

古代人が、われわれが持っているような意識を持っていなかったという仮説は、科学の検証に耐えたとは言い難い。しかし、古代人が根本的に精神構造からして現在とは違っていたかもしれないという問いを立てること自体に高い独自性とその価値がある。

翻訳者の柴田裕之さんは、トール・ノーレットランダーシュの『ユーザイリュージョン - 意識という幻想』を訳されている。意識を巡る著作として、それほど有名ではないが名著だ。この本を訳したことが、本書の翻訳を引き受けるきっかけにもなっているのではないだろうか。本書も『ユーザイリュージョン』も大著であるが、ぜひ多くの人に読んでほしい本である。「意識」についての思い込みをおおいに揺さぶってくれる稀有な本である。


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『ユーザイリュージョン - 意識という幻想』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4314009241

レビュー投稿日
2015年8月10日
読了日
2015年8月8日
本棚登録日
2015年8月9日
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