思い邪なし 京セラ創業者稲盛和夫

著者 :
  • 毎日新聞出版 (2019年4月20日発売)
4.20
  • (13)
  • (7)
  • (3)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 143
感想 : 11
5

京セラ創業者の稲盛和夫の評伝。評伝の中でも、もっともよくまとまっているのではないかと思う。KDDI合併の話やJAL再生の話もその内幕にも触れられている。

まずは、生まれから鹿児島時代、家族の関係や受験の失敗、そして就職しての上京(京都)、松風工業時代のセラミックスとの出会い、京セラ創業と結婚、組合との向き合い、世界進出、第二電電創業、JAL再生までが年代記として綴られる。その中には、創業時の血判状の話、通信参入のきっかけとなった千本さんとの出会い、有名な孫正義とのアダプタのエピソードにも触れられる。こうした歴史が、稲盛さん本人だけではなく、多くの関係者への取材を通して書き上げられたものである。

特に通信自由化と第二電電設立やその後立ちあげ、競争の勝利、移動体通信事業への参入と成長、株式上場とNTT値下げに対抗したフェニックス作戦、PHS事業の失敗、そして合併によるKDDI設立の経緯は、自分の関わる業界であるだけに興味深く読んだ。無線通信回線敷設や多摩通信センター竣工にまつわる話、同時期に京セラが出る杭は打たれるがごとくバッシングにさらされていたことも初耳であり、いろいろなことがあったのだと改めて思う。

「ど真剣に生きてみろ」「手の切れるような製品を作れ」「お客様の召使になれ」「ネバーギブアップ」「ベクトルを合わせろ」「渦の中心になれ」「土俵の真ん中で相撲をとれ」「人間として何が正しいかを考えろ」「常に創造的な仕事をする」といった京セラフィロソフィとして知られる言葉がいかに生まれてきたのか、が分かる。また、アメーバ経営やその会計手法がどのようにして生まれて定着してきたのかも描かれている。
京都セラミックスでなく、"狂徒"セラミックスと揶揄をされたとも書かれているが、京セラは創業から今日に至るまで60年間以上一度も赤字を出したことがないという。そして、京セラだけでなく、第二電電(現KDDI)創業とJAL再生を成し遂げたその核には、京セラフィロソフィがあることに疑いを抱くことは難しくなってくる。
稲盛氏がかつてスト破りを行ったことに対して著者は、「儲けるという漢字は"信じる者"と書くと稲盛は言う。それはまさしく商売の基本である信用を意味する」と書き、松下電子の信用を得るために行ったと説明するが、おそらくは「信じる者」と「儲」の関係はさらに深いものである。「フィロソフィを信じる者」とビジネスとの関係は想定するよりも大きいのではないかと思っている。

利益に対する考え方もオーソドックスとも言えるが、それを社員のレベルまで徹底するところがフィロソフィとアメーバ経営の効果である。
「決算書は経営者の意思と実行力の所産であり、その経営に対する考課状でもある」というが、ここでいう決算書は、会社の決算書に限らず事業部の決算書もそうであり、事業単位、部単位、の決算書についても当てはまる。
また、公明正大に利益を追求することを是とし、「企業の利益は社会への貢献の結果だ」という。「企業というのは、良い商品を安く供給して社会を豊かにする。そのように社会に貢献した結果として、我々は利益を頂戴しているんだ」と心の底から考えているのである。

『生き方』が中国で300万部超のベストセラーとなっているという。中国が急速に資本主義経済への移行を進める中で、京セラ・KDDI・JAL再生を大成功させた物語は日本でよりもより多くのレスペクトを集めているのかもしれない。

「考えて考えて、本当に一歩一歩真剣に働いてきたら明日が自ずから見える。しかし、あさっては見えない。見る必要もない。一歩進めれば一歩先が見える。その一歩一歩の延長で未来のことが成し遂げられる」ということも、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ということも、中国の新興企業の方により刺さるのかもしれない。

あまり知られていないことだが、京セラのアメーバ経営において、業績と報酬をリンクさせていないことが挙げられる。素晴らしい業績を上げたアメーバに与えられるのは名誉と誇りである。仲間から寄せられる感謝や賞賛こそが最高の報酬と感じられる状態になることがアメーバ経営が成立する条件である。このことは本書でアメーバ経営について語るときに強調されている点である。事業部制以上に分権化が下部組織におよび、採算管理がアメーバごとの日当たり付加価値の算出ができるようになっているというのは経営イノベーションであるが、決して多くの企業に取り入れられていない。また、経営の感覚をアメーバのリーダーに持ってほしいという願いと期待でもある。それは、フィロソフィの観念がどこかで欧米型の企業経営理論と合致しないところがあるからではないかと考えている。

夜のコンパで親交と結束を図り、採用時には人柄をもっとも重視し、京セラのフィロソフィに共感できない人には辞めてもらう。決してあきらめず、苦労に苦労を重ねて求めるものができない社員に向けて、「君は神に祈ったか」と聞く。「緊迫感を伴った状況でしか、創造の神は手を差し伸べないし、また真摯な態度でものごとに対処しているときでしか、神は想像の扉を開こうとしない。暇と安楽から生まれるものは、単なる思い付きでしかないのである」と考える。こういった働き方は時代には合っていないのかもしれない。

著者もそのあたりのことは気にかけていて、「彼のたどった道の延長線上には、これからの経営の最適解はもはやないのかもしれない」と書いている。しかし、「過労死するような労働環境は論外だが、ほどほどに、適当に、肩の力を抜いて立派な仕事ができるほど、この世の中は甘くない。必死になって働くことを否定してしまっては、人的資源を唯一の資源とするこの国が衰退に向かうのはもちろん、人々は生きていくことの意味さえ見失ってしまう」として、「働き方改革は、こうした稲盛の言葉の否定ではないはずだ」と続ける。
働く時間を短くすることは手段であり、働き方改革の目的ではなく、フィロソフィで示される働き方と相反するものではないだろうと説明する。それは、著者の心のどこかでは、働き方改革の指針とは矛盾するものであることを認識しているのである。単純に、その働き方が時代にそぐわぬ、時代遅れのものになってしまったとは言うべきではないだろう。

そして、最後に『生き方』に書かれた次の言葉で締めくくるのである。

「働くということは人間にとって、もっと深遠かつ崇高で、大きな価値をもった行為です。労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果がある。単に生きる糧を得るという目的だけではなく、そのような副次的な機能があるのです。ですから、日々の仕事を精魂込めて一生懸命に行っていくことがもっとも大切で、それこそが、魂を磨き、心を高めるための尊い「修行」となるのです」


最後に、「経営12箇条、稲盛会計学 七つの基本原則」「六つの精進」「京セラフィロソフィ」「KDDIフィロソフィ」「JALフィロソフィ」のそれぞれの項目をまとめたものが付記されているのが便利。

----
【三社合併】
本書では、DDI、KDDI、IDOの三社合併についても比較的詳しく書かれている。
その中で、KDDに対する評価が辛辣である。

まず、最初に合併の話が出たとき、「KDD幹部は、本当に殿様みたいでかみ合わなくて苦労しました」と稲盛さんは著者に語ったというように一度は破談する。その直後、トヨタ系のTWJと合併をしたが、さらに経営を苦しくしてしまう。約1年後に合併の話を持ち出すことになる。

それに対して、「「我々は以前とは変わりました」と言ってきたが、変わっていたのは財務内容だった」と全くきつい皮肉を込める。

さらに合併に際して、リストラを求められたのだが、そのリストラについては次のように書く。
「稲盛は贅肉の多さが目立つKDDに対し、「合併前に経営のスリム化をお願いしたい」とリストラを求めた。
14,700人いた従業員を五年間で2,000人削減する目標が立てられたが、いざ早期退職を募集すると応募する者が殺到し、難なくこれを達成することができた。役所的な雰囲気の会社だっただけに、みな稲盛流経営に恐れをなしたのである。
合併後の元KDDの存在感は、否応なく低くなってしまった。彼らのプライドの高さと時勢を見る目のなさが、自らの首を絞めたのである」
稲盛流の経営に恐れをなしたというよりも(おそらくきちんと理解してはいなかった)、有利子負債の多さに将来性を感じられずに出て行ったというのが割と真実に近かったのではないかとも思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ビジネス
感想投稿日 : 2020年12月30日
読了日 : 2020年8月19日
本棚登録日 : 2020年8月19日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする